274 ムハドとサーシャ
「ムハドさん!」
……なぜだろう。この人に会っただけで、少し嬉しくなっている自分がいる。
そう、ラクトは思った。
「よう、ラクト。はは、ずっと村にいるのに、なんか、久しぶりだなぁ!」
ムハドはそう言って快活に笑うと、その黒茶色に輝く瞳をサーシャ達に向けた。
「あら……」
サーシャの隣に座っていた召し使いが、ムハドと目が合うと、思わず声をもらした。
健康的な肌色に、均整の取れた、少し堀り深めの容姿。黒の肩掛けと緑色の腰巻きというシンプルな身なりではあるが、ムハドはなかなか、かっこいいのだ。
それに加えて、どこか、身体にまとう、圧のない威。威風とでも呼べばいいのか、そういうものがムハドにはあった。
ムハドが入ってきた瞬間から、場の空気が少し変わったのを、皆、感じていたのだ。
「お兄さん、イケメン!」
ニナが正直に言った。
「おう!ありがとな!」
ムハドは笑顔で応えると、サーシャ達に向かって言った。
「リートとじいちゃんから、話は聞いた。大変だったようだな」
「あっ、いえ……」
ムハドの言葉に、恥ずかしそうに、召し使いは応えた。
「でも、キャラバンの皆さんが、頑張ってくれたので……」
「いや、岩石の村の護衛達も、みんなを守ろうとして、かなり奮戦してたんだろう。その名誉の傷跡の勲章が、護衛達みんなに、ついてるじゃないか……」
「……はい」
召し使いは、顔を火照らせて、今にも泣き出してしまいそうになっていた。
かっこいいだけでは、ない。ムハドは優しかった。
ムハドは、サーシャに目線を向けた。サーシャも、ムハドを見つめ返していた。
「……」
「……」
お互い、しばしの間、無言で見つめ合う。
「……フゥ、そうか」
すると、ムハドは口を開いた。
「どうやらあなたはあなたで、いろんなものを背負って、ここまでやって来たようだな」
「……」
「苦しみの扉、欲望の扉、修羅の扉……三濁の扉に渡って、ほとんどが、自責と後悔、そして、仲間を傷つけられたがゆえの、痛みと、怒り。少し、複雑な事情を抱えてはいるようだが……」
「!」
「とても、聡明な方のようだ。その扉までも……」
「なにを言って……」
「すまん、しゃべり過ぎた。でも、決して、悪い意味で言った訳じゃない。あなたは外見だけでなく、中身も美しいということだ。……じいちゃん」
ムハドは途中で話すのを止めると、長老を見た。
「うむ」
長老はうなずくと、手に持っていた書類に目を通しながら、話し始めた。
「え~、此度のロアスパインリザードの襲撃による、岩石の村の者達の被害じゃが、重傷者10名、軽傷者30名……」
「じいちゃん」
長老が話すのを、ムハドは遮った。
「大丈夫だ。そんな回りくどい言い方をしなくても、そこにいるお嬢さんは、分かっているし、なにを言われるかも、分かっている」
「……うむ」
長老は、書類から目線を離し、サーシャを見つめて、言った。
「メロ共和国にいくのを、諦めなされ、サーシャ殿」