鬼ごっこ
腕相撲大会が終了した直後。
「あ! そういえば持ってきた宿題やるの忘れてました!」
桜が急に慌てだした。
「なんかデジャブだな。夏に来てた時も帰る前にそんなこと言って騒いでた」
僕が呆れてそう言うと、桜は
「そんなに量はないので時間はかからないと思いますけど、明日は早起きなので手伝ってもらえるとありがたいです」
と甘えた声を出した。
「そういうことなら日向に教えてもらえばいい」
「任しとき」
えっへんといった感じに日向が胸を張る。
「七歳に勉強を教わる中学三年生ですか……。なんだか情けないですね。というかそもそも分かるんですか? 日向ちゃんが賢いのは知ってますけど、流石に中三の内容は難しいのでは」
「あ? 偏見か? そうやって年齢で決めつけんのか? お? 最近の七歳はすごいんやぞ」
日向はすごい勢いでまくし立てた。
「いや、バカにしたつもりはないんですけど。まぁとりあえず持ってきます」
桜はカバンを持ってきて、中からいくつかのプリントを取り出した。
「こんな感じですけど。やっぱり難しいでしょ?」
「んー。見た感じわからんのは無いなぁ」
「マジで言ってます?」
信じられないといった様子で桜が驚く。
「日向は学力だけでいえば義務教育を受ける必要がないレベルだからね」
「そうなんですか。こんなちっちゃいのにすごいですね~」
日向は自分の頭を好き勝手に撫でまわしている桜の手を掴んだ。
「私は今から成長するんや。ちっちゃいって言うな」
「それは失礼しました」
桜は日向のほっぺをつんつんしながら悪びれることなく謝る。
「まあええわ。ほんじゃ私はこのプリントやるわ」
日向はプリントを一枚取ってさっそく取り組み始めた。
「ありがとうございます」
「僕たちも手伝おうか」
「そうでゴザルな」
「私もやるー」
子供組で桜の宿題をやることになった。
「どうです? みんな普通に解ける感じですか?」
桜が自分のプリントの問題を解きながら訊いてきた。
「んー。そうだね。難しいのは特に無かった」
「もう終わったんですか!?」
「ほれ」
僕は解き終わったプリントを桜に渡した。
「ほんとだ。ちゃんと裏まで全部終わってますね。それに見た感じ間違いも無さそうです。って、名前のとこに佐々木恭介って書いてるじゃないですか!」
「あ、ごめん」
「まったく。あなたは本当におっちょこちょいですね」
桜は恭介の部分を消しゴムで消して桜と書き直した。
「桜? お前の苗字は佐々木じゃないだろ」
「あらそうでしたね。これは失敬。私もおっちょこちょいなようです。はっはっは!」
「そうみたいだな。はっはっは。さっさと宿題終わらせようか」
「はい」
僕たちのやりとりを見て、けいが言った。
「切り替え早いのはいいことでゴザルな。ほい、俺も終わったでゴザルよ」
「私もー」
けいも天姉も桜に解き終えたプリントを渡した。
「ほぇー。みんな流石ですね。私はもう少しかかりそうです」
その後、悪戦苦闘する桜に日向がアドバイスしていた。
七歳が中三に勉強を教える様子はなかなか面白いものだった。
翌朝。
お土産として天姉の作ったマカロンを大量に持たされて桜は帰っていった。
桜を見送った後、午前の訓練を終えた僕たちは先生と駄弁っていた。
「そういえば桜と話してるとき、普段どんな訓練してるのかって話になって思い出したんですけど、久しぶりにアレやりません?」
僕が先生に言うと、けいが先に反応した。
「どれでゴザル?」
「鬼ごっこ」
先生は
「確かに最近やってないな。分かった。じゃあ午後は鬼ごっこをしよう」
と言った。
するとそこへ天姉がやってきた。
「三人ともお疲れ~。麦茶持ってきたよ~」
「ありがと」
「なんか鬼ごっこって聞こえたけど。今からするの?」
麦茶を僕たち三人に配りながら訊いてきた。
天姉はいつも僕たちの訓練に参加したがっている。
でもゆずが昔からそれに反対しているのだ。
先生の訓練はたくさん怪我するし、傷だらけになる。
酷い時には血まみれになることもある。
僕とけいの体には先生やげんじーほどではないにしても、かなりの数の傷跡がある。
そんなことをさせたくないのだ。
僕も反対だ。
傷だらけの体になれば将来きっと後悔することになると思うから。
そう言っても天姉はなかなか納得してくれない。
強くなって僕たちを守るんだと言う。
却下し続けていると
「私が女だから参加させねーのか? 男女差別か? お?」
「いや違うけど。ただ天姉が傷つくのを見たくないだけ」
「自分たちは散々傷だらけになってるくせに。私がそれ見て何も思ってないとでも思ってんのか?」
「そんなこと言われてもなー」
と軽く喧嘩になる。
でも鬼ごっこは別に怪我するような訓練ではないし天姉が参加しても大丈夫だろう。
「天姉もやる?」
「え、いいの? マジで? やります。着替えてくるね」
そんなわけで四人で鬼ごっこという訓練をすることになった。
鬼ごっこのルールは簡単だ。
先生が鬼で僕たちが逃げる。
先生にタッチされたら僕たちの負け。
二時間逃げ切ったら僕たちの勝ち。
今まで勝てたためしがないけど。
逃げていい範囲は結構広い。
山の中の木に赤い目印がしてあって、そこまでの範囲なら木の上だろうが岩の下だろうが自由だ。
ルールを説明された天姉は
「なんか普通だね。もっと危ないことするのかと思ってたけど」
拍子抜けだという顔をした。
ちなみに天姉は
僕たちも同じ恰好だ。
運動するときはいつも作務衣を着る。
「鬼ごっこは怪我するようなことはあんまりない訓練だからね」
「へぇー」
「それじゃあ僕たちはこれ着るか」
「そうでゴザルな」
「ん? なに着てるの?」
天姉が訊いてきた。
「重り」
「えっと。重りをつけて鬼ごっこするの?」
「うん。僕たちは10㎏。先生は50㎏重りをつけてやる。天姉はつけなくていいよ。ハンデってことで」
「……怖。うちの弟たちそんなことしてたんだ」
「めっちゃ引いてるじゃん」
天姉にドン引きされながらも鬼ごっこがスタートした。
五分後に先生が僕たちを追いかけ始める。
その前にできるだけ離れたい。
三人で走って先生から離れながら天姉に追加で説明した。
「ちなみにだけど、僕たちは先生にタッチされなければいい。木刀とかで攻撃して時間を稼ぐのも手だよ」
「先生は反撃しないことになっているでゴザル。まぁ避けるなり木刀を叩き折るなりするでゴザルが」
「……うぇー。怖。ってか木刀とかどこにあるの?」
「そこら辺にあるのを使えばいいでゴザルよ」
「そこら辺?」
「ほれ。こことか」
僕が地面に突き刺さった木刀を指差すとまた天姉がドン引きした。
「なんで木刀が刺さってんの……」
「うちの周辺ってこんな感じだよ?」
「マジかよ。今まで全然気がつかんかった」
「マジでゴザル」
「探せばどこにでも武器はあるから。それじゃ頑張ってね」
ずっと三人で行動するわけにも行かないので、天姉にアドバイスしたところで僕たちは別れた。
そこからさらに五分くらい経った頃。
僕は木に寄り掛かって体力を温存していた。
二時間逃げ切るにはペース配分が大事だ。
いくら先生といえども、あれだけの重りをつけたまま僕たちと同じスピードで動き回れるわけじゃない。
焦らず冷静にいることが大事だ。
一応その辺にあった木刀を拾っておいた。
息を潜めながら休憩しながらも周囲の警戒は怠らない。
突然、二十メートルほど離れたところで鳥が飛び立った。
来たようだ。
「……恭介か?」
気づかれた。
隠れているのが僕であることまで分かっているようだ。
どうして分かるんだろう。
ほんと怖い。
先生はゆっくりとこちらに近づいてきている。
先生との距離が十五メートルくらいになった時、左手に木刀を持ったまま僕は走り出した。
先生が追いかけてくる。
流石にすぐ追いつかれるということはないが、まだ序盤も序盤。
始まったばっかりだ。
後半のことを考えると余計な体力を使いたくないし、できるだけ早く撒きたい。
一応作戦がある。
僕は適当な方向に逃げているわけではない。
この先にある岩場ゾーンを目指している。
そこはゴツゴツとした、人よりもデカい岩がたくさん転がっていて、ただでさえ進むのが難しい場所だ。
重りをつけている先生には動き辛いことこの上ないだろう。
とか言っている僕も重りはつけているのだから動き辛いわけだが、僕は普段からここを走っている。
似たようなことをしているのを、例によって先生のパソコンでネットを使っている時に見かけたが、パルクールという名前がついていた。
いつもと同じようには動けないが、それでも慣れた道だ。
僕が有利だろう。
ぴょんぴょん跳ねて岩から岩へと飛び移る僕を見て、先生は一旦僕のことを諦めたようだ。
他の二人を探しに、僕に背を向け走り出した。
恭介たちと別れた後、私は周囲を警戒しながら歩き回っていた。
私は今、すごく楽しい。
いつも弟たちが傷だらけになりながら訓練しているのを見ていることしかできなかった。
どれだけ自分なりに強くなろうと頑張っても二人に追いつけなかった。
この訓練が二人の強さの秘訣であるとは思わないけど、それでも参加できたことが嬉しい。
あの二人は姉心を全然分かっていない。
この前、早乙女さんが襲撃してきた時も日向たちを守るためとはいえ、弟たちに戦わせて自分は隠れているということが耐えられないほど悔しかった。
私も二人を守るために強くなりたい。
今までそう言って何度も訓練に参加させてもらおうとしたが、ずっと拒否されてきた。
あれ、そういえばなんで今日は参加させてくれたんだろう。
これまではどんな訓練であっても、どれだけお願いしても参加させてくれることはなかった。
んー。
よくわがんね。
そんなことを考えている時
ガサッ。
背後で音がした。
振り返ると桜澄さんがいた。
肩に手を置かれる。
「へ?」
私は一瞬状況が理解できず固まってしまった。
桜澄さんは少し気まずそうにして
「捕まえた」
と言った。
「うわあああ!」
遅れて驚く。
「い、いつの間に」
「三十秒くらい前からだな。天音の後ろ姿を見つけて気配を消して近づいたんだが、なかなか俺に気づかないからどうしたものかと思ってな。なんとなく驚かすのも気が引けて声をかけようかとも思ったが、なんかそれも違うよなと思い直して手を振ったりしてみたんだが」
「いや全然気づきませんでしたよ。ってか後ろでそんな右往左往してたんですね。なんかシュール」
「恭介たちだったら気づくから、気づかれないまま背後まで近づくということが普段無いんだ」
「だから野生動物かよ。はぁーびっくりしたー。ってかもう終わり!? まだ始まったばっかなのに……」
「ああ。今回は残念だったが、危なくない訓練ならまた今度一緒にやろう」
「お、マジですか! よっしゃー!」
すぐに捕まってしまったことは残念だったが、また訓練に参加させてもらえると思うと、嬉しさの方が勝った。
鬼ごっこ終盤。
生き残っているのは僕だけになっていた。
残り二十分。
ここからが本番だ。
すぐに終わってしまったら訓練にならないので、先生は終盤になるまで、ある程度手を抜きながら僕たちを追いかける。
もうそろそろ本気で捕まえに来る頃だろう。
とか考えてると先生が現れた。
真っ直ぐこちらに向かって走ってくる。
すぐに背を向けて僕も走り出した。
……マズいな。
少しずつ距離が縮まっている。
このままでは追いつかれてしまうので、勝負に出ることにした。
僕は振り返り、先生に向かって距離を詰め、木刀を振り下ろした。
先生はそれを後ろに跳んで避ける。
追撃。
先生が着地した瞬間に突く。
顔に迫る木刀を先生は左手で掴んで止めた。
そして自分の方へと引き寄せる。
僕は木刀を手放すと同時に柄の部分を蹴り上げた。
木刀が宙を舞う。
それが落ちてくる前に僕は偶然足元に落ちていた木刀を拾い、先生に斬りかかる。
先生がまた後ろに跳んで避けたところで、僕の頭上からさっき蹴り上げた木刀が落ちてきた。
それを左手でキャッチすると適当なところを殴って折り、短くした。
「宮本武蔵ごっこか」
「はい。二刀流って実際強いんですかね」
先生はその辺の木をちらっと見ると、軽い身のこなしでその木に登り、太めの枝を殴って折った。
どうやらそれを武器にするようだ。
木から降りてきた先生と対峙する。
先生から仕掛けてきた。
反撃しないって言ったじゃないかと思うかもしれないが、このくらいは反撃のうちに入らない。
右手で持った枝を鋭く突いてくる。
僕はそれを右の木刀で左側へと逸らす。
先生は勢いのまま左手を伸ばしてきた。
先生にしてみれば、僕にタッチした時点で勝ち。
僕を倒す必要はない。
迫りくる先生の左手に向かって、腕を交差させるようにして、短い方の左の木刀で先生の手を刺すつもりで突く。
先生は手を引っ込め、一旦その場にとどまった。
「最近は本当にお前たちの成長を感じる」
「嬉しいなー。でも今先生50㎏重りつけてるもんなー」
棒読みである。
これだけハンデがあっても先生は平然と僕たちを追い詰めてくる。
ほんといつになったら勝てるんだろう。
結局この後、残り八分くらいの時にタッチされてしまった。
でもいつか絶対勝ってやる。
この人はもう随分前から僕の人生の目標だ。
僕は『いつか』が訪れてくれることを願いながら、先生と共に家に帰った。
家に帰ると先に捕まった天姉とけいが待っていた。
「あ、お帰りー」
「ゴザル~」
二人が手を振って迎えてくれた。
「ただいま」
「恭介も泥まみれだねー。けいもこの通り泥まみれなんだよ」
天姉は隣に座るけいを見ながら言った。
「まあね。天姉はどれくれい逃げられたの?」
「すぐ捕まっちゃった。怖かったよ。気づいたら真後ろにいるんだもん」
「天姉は警戒心がないでゴザルなー」
「あんたらが強すぎるの。そういえば桜澄さんはなんで私たちを見つけられたんです? 逃げていい範囲結構広かったですよ?」
「恭介とけいに関してはしらみつぶしに探し回った」
「へぇー。ん? じゃあ私は違うの?」
「天姉に関してなら僕でもすぐに見つけられたよ」
「俺もでゴザル」
「どうやって?」
「んーっと。分かんない」
「なんだそれ。なんか隠してるでしょ。いいから答えろよ~」
肩を掴まれてぐわんぐわん揺さぶられる。
面倒なので答えることにした。
「匂いだよ」
「え、匂い? わ、私臭かった!?」
天姉は自分の体をクンクン嗅ぎまわり始めた。
「逆。いい匂い過ぎるの。山の中でそんな匂いだったら目立つんだよ」
「あんたらは犬か。あ、だから体に泥つけてんのか」
「そう。匂いを誤魔化すためにね」
「サバイバーだなー。それともう一つなんだけど、なんで急に訓練に参加させてくれたの?」
今度は真剣な目をして訊いてきた。
「そりゃ天姉が参加したがってたからだよ」
「今までどんだけ頼んでも参加させてくれなかったじゃん」
「あー確かに。よく考えたら自分でもなんでなのか分からんな」
僕は少し悩んだ後
「そろそろ先生の訓練を受けることが出来なくなるからじゃないかな」
と答えた。
「引っ越したらそうなるでゴザろうな」
「あー……。そういうことか」
天姉は、なるほどねと言いながら何度か頷いた。
「天姉がずっと訓練受けたがってたのは知ってたし、学校に通い始めて出来なくなる前にせめて危なくないやつだけでも、って思ったんじゃないかな。自分のことなのに他人事で申し訳ないけど」
「そっか。でも危ないやつもやってみたいなー。そこに強さの秘訣があるはず」
「あのね、天姉に姉心があるようにこっちにだって弟心があるんだよ」
「ねーちゃんを大事に思う弟心を分かってほしいでゴザル」
「んー。お互い様ってことか。分かった。納得してあげよう。それにしてもあんたら私のこと大好きだな」
「こっちのセリフでゴザル」
「お互い様だね」
僕たちは小さく笑い合った。