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刺客

先生はこの時、外出していた。
今朝の訓練はげんじーが担当することになっていた。

僕とけいとげんじーの三人で外に出ようとしたところで、天姉が起きてきた。

「天姉が早起きするとか珍しいね」
僕の言葉に天姉は眠そうに目を擦りながら答えた。

「なんか嫌な感じがして、全然寝付けなかったの。めっちゃ眠いから水飲んでもっかい寝るつもり」
そう言って天姉は食器棚からコップを取り出した。

「二度寝か。別にそれはいいんだけど、嫌な感じか」

分かる気がした。
なんだか僕もさっきから得体の知れない気持ち悪さを感じる。

その時、玄関を叩く音がした。
僕たちは互いに顔を見合わせた。

げんじーの訝しむような顔を見るに、昨日のような事情での来客というわけではないだろう。

僕たちが玄関に向かうのを見て天姉はテーブルにコップを置くと、けいの背中に隠れるようにしながらついてきた。

げんじーがドアを開けると早乙女さんが立っていた。
今日もマスクをつけている。
そして俯き気味に険しい表情を浮かべている。

天姉がけいの後ろからひょっこり顔を出しながら安心した様子で言った。

「あ、桜澄さんのお知り合いの方でしたっけ。昨日も来られてましたよね。あーびっくりしたー。知らない人が訪ねてきたのかと思った」
「……」
早乙女さんは黙ったまま鋭くげんじーを睨んだ。

「天音、下がれ」
げんじーも早乙女さんを睨み返しながら振り返ることなく言った。

「え? ど、どうしたのげんじー。そんな怖い声出して……」
天姉が不安そうに訊く。

げんじーは天姉の質問には答えずに、早乙女さんを威圧するように言った。

「風河。どういうつもりじゃ?」
「……俺は、桜澄を表舞台に引きずり出す。あいつの強さをこんなところで腐らせておくわけにはいかない」
早乙女さんは力強く言った。

「桜澄を出せ」
「生憎外出中じゃよ」
早乙女さんは眉間に皺を寄せた。

僕は天姉に耳打ちした。
「日向と桜は?」
「寝てると思う。ね、ねぇどういうことなの?」

「説明は後だ。今すぐ二人を叩き起こして三人とも屋根裏に隠れろ。天姉は二人を守れ」
「え、でも……」

「今は余裕がないんだ。聞き分けてくれ」
「……うん。わかった」

一度頷くと天姉は階段を駆け上がっていった。

「俺一人がそんなに怖いか?」
早乙女さんは指を鳴らしながら煽るように言ってきた。

「一人? ご冗談を。今この家を包囲してる人間は少なくとも数十人はいる。一体どういうつもりなんですか早乙女さん?」
けいが足首を回しながら訊いた。

早乙女さんは少し驚いたようだった。
「気づいていたか。……仮にも桜澄に教育を受けているんだ。そのくらい当然といえば当然か。謝罪しよう。正直見くびっていた」

「そんなこと訊いてないです。僕が知りたいのは、なんのためにこんなことをしているのかってことだ」
けいは少し語気を強めて言った。

「さぁ。どういう理由だろうな」
早乙女さんがマスクを外した。

マスクの下には頬を斜めに横切る傷跡があった。
僕はそれを見たことがある。

「……思い出しました。あなたは父に僕を買い取る話を持ちかけたあの男だ」
「よく覚えていたな」

「下手くそな笑顔とその傷跡のギャップがどうにも気味が悪かったので印象に残ってたんですよ」

「僕もあいつの葬式で女親と話してるの見たことあるな」
けいが言ったあいつというのはけいの父親のことだろう。

これで分かった。
早乙女さんは小野寺家側の人間だ。

げんじーは早乙女さんから目を逸らすことなく懐から緊急用の携帯を取り出して耳にあてがった。
携帯から小さく先生の声が聞こえてくる。

「……どうした師匠。緊急事態か?」
「ああ。マズいことになった。今すぐ帰ってこい」
「わかった」

げんじーは通話を切ると、携帯を靴箱の上に置いた。

「桜澄は来るのか?」
「そりゃ来るじゃろうな」

「そうか。……お前たちは人質にする」
早乙女さんが僕とけいの方を見た。

「そうなるでしょうね」
けいがため息をついた。

僕は振り返って
「ゆず! 聞いてたでしょ? 家の仕掛けで天姉たちを守って」
と言った。

「はい」
短く返事があった。

「もう一人隠れていたのか。まぁいい」
早乙女さんは耳につけているインカムに手を当てた。

僕は素早く靴箱から草履を二足取り出した。

「さあ。それじゃ僕とけいは逃げるか」
「そうだな。逃げるぞ」
けいは僕から草履を受け取りながら答えた。

僕たちは頷き合ってリビングに走った。
窓を開けて外に出る。

そして僕は山の奥へと、けいは物置小屋に向かった。

「追え」
早乙女さんがインカムで指示するのが聞こえた。

そして家の周囲で待機していた早乙女さんの部下と思われる奴らが僕たちを追ってきた。

人数は僕の方もけいの方も七人だ。
七対一とか大人げないな。

「そんじゃ、わしの相手は桜澄が来るまでお前かの?」
「もうあんたじゃ俺の相手は務まらない」
「どうじゃろな」


 僕が物置小屋に入ると、遅れて到着した七人が入りロに立ち塞がった。

「追い詰めたぞ!」
一人がニコニコしながらバットをくるくる回している。

「あなたたちの仕事って僕を捕らえることじゃないんですか? 逃げ道塞いだだけで満足しちゃダメでしょ。ほら。捕まえないと」
僕が手招きすると
「あ? 調子乗んなよクソガキ」
ニコニコバットが近づいてきた。

「死ね!」

バットが振り下ろされるのを眺めながら、僕はスイカ割りのことを思い出していた。

そういえばあの時はバットが重すぎて加減するのが難しかったな。
こいつが使ってるバットは軽そうだ。

僕はこの小屋に入った時点で木刀を握っていた。
バットを木刀で受け流すと、ニコニコバットの脛を蹴り、痛みで蹲ろうとしたところを後頭部に手を回し鼻に膝を叩き込む。

「ブハェ!」
ニコニコバットはその場にうつ伏せに倒れ込んだ。

ここに倒れられていると邪魔だから、つま先をニコニコバットの鎖骨あたりに潜り込ませ、そのまま蹴り上げるようにしてお仲間さんたちの方に送り返した。

僕はニコニコバットが落としたバットを拾い上げた。
そして木刀は地面に置く。

「この木刀もう古くて脆いからバット借ります。これあんま重くないし加減しやすそうですからね」


 適当な場所まで走ったところで立ち止まると、僕を追ってきた七人は二人組が二つと三人組がーつの三グループに分かれて僕を取り囲んだ。

「釣れたのはやっぱ七人か。確かけいのとこにも七人釣れてましたよね。全員で何人いるんですか?」
「……」
「無視ですか」

面倒臭いな。
多対一だったらやっぱり壁とかを使って相手を正面だけに集めるのが理想だ。

少なくとも背後は取られないようにしたい。
全方位に敵がいるのはマズい。

僕たちの戦闘においての力関係は上から順に、先生、げんじー、僕とけいが同じくらい、天姉、ゆず、日向って感じだ。

状況によって変わるかもしれないが大体これで間違いない。
桜については知らないけど。

細かく見ると、僕の方がけいより技術が上で筋力が下って感じだ。

だからこういう事態になったときには、けいはあの小屋に行くと決めていた。

相手が正面からしか来ないので筋力でゴリ押しできるからだ。

それに僕よりは少し下ではあるけど、けいの技術も一般的なものよりは遥かに高い。
けいの方は心配いらないだろう。

天姉は……正直に言えば僕やけいよりは弱い。

持ち前のセンスと、大切な人を二度と失わないために強くなるという覚悟と努力で強くなったが、先生に戦闘訓練を受けているわけではない。

自己流であそこまで強くなったのは驚異的だけど、今回襲撃してきたこいつらはかなり強そうだ。

天姉にも勝てる相手と勝てない相手がいるだろう。
特に早乙女さんには絶対敵わない。

ゆずが上手いこと家のからくりで天姉たちを守ってくれたらいいんだけど。

早乙女さんの相手は多分げんじーがすることになるだろう。

自分より強いげんじーの心配をするのはおかしいけど、場合によっては助太刀した方がいいこともあるかもしれない。
早く戻らないと。

攻撃を捌きながら状況を整理していたが、これは結構きつい。

こいつらはヒットアンドアウェイで数の利を存分に発揮している。
それに強さにムラがある。

弱い奴を仕留めようとすると強い奴がその隙を狙ってくる。

二人組は強弱、三人組は強強弱の組み合わせで弱い奴を囮にしてる感じだ。

早く戻りたいし、もう手加減するのはやめよう。

弱が正面、強が背後から迫ってきた。

弱の右ストレートを左手で手首を掴んで止め、背後の強には右の裏拳で顎を振り抜く。

強は咄嗟に身を引いて、意識を絶つことができなかった。
それでも僕の拳には確かに骨を打った感触があった。

強は倒れこそしなかったものの、視界がかなり揺らいでいるのだろう。
明後日の方に手を伸ばしている。

完全に意識を刈り取るため、体を捻り首筋に左のハイキックを入れて仕留めた。

そして掴んだままの弱の右手首を右斜め後ろに引っ張りながら、空いた脇の下に右膝を抉り込む。
弱は呻き声を上げて倒れた。

次の二人組に向かって距離を詰め、弱を押しのけ、強に軽く左ジャブを打つ。
強はそれを右手ではたき落とした。

その強の右手首を右手で掴み、手前に引きながら左肘で側頭部を突く。

危ないし急所は狙いたくなかったけど、げんじーの方が心配になってきた。

この人たちの安全に配慮している場合じゃない。
さっさと潰そう。


 早乙女を前に島崎玄柊が膝をついた。

「ハァハァ。さすが現役の格闘家じゃの。年寄りにはちときつい」

「あんたは確かに伝説だった。だがそれは何十年も前の話だ」

「ほんと歳は取りたくないもんじゃ……フン!」
島崎玄柊が早乙女に足払いを仕掛けながら立ち上がった。
早乙女は後ろに跳んで難なく躱す。

「どうした、動きが鈍くなってるぞ。もう終わりか? 老いたな爺ィ」
「抜かせ若造ォ! グッ!」
早乙女が殴りかかってきた島崎玄柊の腹に拳を捻じ込んだ。

「悲しいものだな。あんた程の人でも老いには勝てないのか」

地面に拳を突き立て、なおも立ち上がろうとする島崎玄柊を見下ろしながら早乙女は言った。

その時。

「……何をしている風河」

小野寺桜澄が到着した。
感情の読めない表情を浮かべている。

早乙女は口角を上げて彼を見た。
「桜澄……ようやく来たか。少し話そう」

彼は地に伏した師の姿を見た。
そしてゆっくりと視線を早乙女に移して訊いた。

「これはどういうつもりだ?」

早乙女は得意げに答える。
「お前を表舞台に引きずり出すためだ。桜澄。お前の強さは、はっきり言って異常だ。俺が今なんて呼ばれてるか知ってるか? 日本が生んだ化物、人類の宝だとさ。笑えるよな。その俺は昨日手合わせした時も、今こうして向き合っていてもお前に勝てる気がしない。人類の宝はお前だよ、桜澄」
「……」

「どれだけ褒め称えられようが、俺は自分より強い奴がいることを知っている。こんな屈辱があるか? ……俺はどんなことをしてもお前を世間に認めさせる。表舞台に引きずり出す。そして俺が一番でないということを世間に証明するんだ」

「……できると思うか?」
「なに?」

「お前が今言ったんだ。俺は人類の宝なんだろ? 俺に勝てると思ってるのか?」

「い、いくらお前でもこの人数に勝つことなど不可能だ!」
早乙女はインカムで指示を出した。
即座に早乙女の部下が現れ、彼を取り囲む。

「素手なら厳しいかもな。だがそっちが武装してるんだ。俺が武器を使ってはいけない道理はないよな?」

彼はどうやって収納していたのか、懐から刀を取り出した。
早乙女が目を見開く。

「それは……真剣か?」
「模造刀さ。ズルいか?」
「舐めるなよ。こっちは二十人いるんだぞ」


 俺を取り囲む男たちは俺を牽制するように武器を構えていた。
俺は刀を杖のように逆手に持った。

「どうした? 来ないのか?」
俺がそう言うと
「……クソッ! うおぉ!」
叫びながら一人突っ込んで来た。

「待て、一人で突っ込むな!」
錯乱しているのか、風河の言葉が聞こえていないようだ。

せっかく左手にナイフを持っているのに、なぜか右手で殴りかかってきた。

迫り来る右フックを軽くのけ反って避け、刀の柄の部分でみぞおちを刺すように突いた。

「ゴッ!」
男は倒れ、気を失った。

それを見て今度は二人同時に仕掛けてきた。

右から来た奴は刀で喉仏を、左から来た奴は裏拳で頬を殴る。
二人とも吹っ飛ばされ、気絶した。

「どんどん来い。どうせ結果は変わらない」


 七人全員を倒した後、僕は全速力で家に向かった。

家に着くとたくさんの人が倒れていて、先生と早乙女さんが対峙していた。

早乙女さんが理不尽を嘆くように叫んだ。
「二十人だぞ! こいつらは決して弱くない! なぜだ……なぜそれ程までの強さを持っていながら、こんなところで燻っている! お前は……なんなんだ!」

「……お前曰く人類の宝、日向曰く強さの権化、けい曰く怪獣、天音曰く河童、恭介曰く世界のバグ、だそうだ。……風河。俺はな、あいつらの親だ。お前の言う通りにするのも面白そうだが、生憎とそんな暇はない。悪ガキ共の親は大変なのさ」

「っ! 畜生! うおぉぉ!」

先生は早乙女さんの右ストレートを刀の柄で受け止め、そのまま刀を振り上げて早乙女の顎を打ち上げた。

早乙女さんはそのまま後ろ向きに仰向けで倒れ、気を失った。

「おっ倒しましたねー」
けいがバットを持って戻ってきた。
「あ、このバット持ってきちまった。まぁいいや。え、げんじー大丈夫?」
「なんとかな」
けいがげんじーに肩を貸した。

僕は先生の隣に立った。
「とりあえず決着はついた感じですね」
「そうだな」
先生は早乙女さんを見下ろしながら答えた。

こうして僕たちはなんとか早乙女さんを退けることができたのだった。

しおり