第四十四話 厄災の娘(7)
何故こんなことになってしまったのか。
レイヒは地面の石を蹴る。ハルミとヴァルダは引き続き裏庭を掘り返し、何かを探すらしい。見つけ次第それを持って後から山に入るといっていた。
それでどういうわけかレイヒはシハルと山に来ている。しかもばあちゃんに絶対に立ち入るなといわれていた「旅人の道」だ。
「旅人は町で休んだ後、この峠道をつかって次の町へ行くんですね」
「そう聞いてるけど、旅慣れていない町の人は危険だから通っちゃダメだといわれてて、こっちの道には入ったことないんだよね……」
言いながらレイヒは辺りを見渡す。ばあちゃんがたまに道を整えていたようだったが、町の人たちが山仕事に使う道より薄暗くて歩きにくい。
「なんか暗くない?」
木々がおいしげって物理的に暗いのもあるが、植物の色や土の色もなんとなく暗いように思う。そして静かだ。虫や鳥の声もしない。ときおり風で木々がざわめく音だけがしている。
「暗い方が獲物をつかまえやすいのかもしれないですね」
ざあっと風が木々の枝を大きく揺らした。いつも通りの大荷物ですいすいとせまい山道をゆくシハルに遅れないように歩を進める。
「獲物?」
「気をつけてください。山の事故が多いのはお腹がすき過ぎていたからで、こうなるとレイヒさんも安全ではありません。なにせ昨日のように雛が死体を取りに来るくらいですからね」
相変わらず意味がわからない。わからないが、安全ではないところになぜ連れてきた?
「あの麓の祠、ちょうどこの峠道の入り口付近にありますね」
シハルが振り返って下を指差す。
「うわっ」
シハルの指先につられて振り返ったレイヒは思わず声をあげた。
背後にはあの子供が立っている。自分のせいでレイヒが驚いたと気づいていないようで、さらにその背後などを見て「何もいない」と感情のこもっていない声でつぶやいている。
「何もいないですか?」
シハルが問いかけると子供は首をかしげてから「山がいる」と言った。
「ここにいてもお腹がすくだけなので、必ず契約の証を取り戻しにきます。契約を違えたのはこちら側だということになっているはずですから、今山に入るのは危ないですよ」
さして危機感のない口調で言いながら例の干からびた臓器のようなものを見せてくる。それが契約の証の「偽物」ということだろうか。とりあえず気持ち悪いので視界に入れたくない。
「ハルミさんは契約を反故にする気はないとおっしゃっていたので、レイヒさんが引き継ぐしかないわけですけど、契約にはおそらく贄の提供が含まれていたはずなんです」
やっぱ意味がわらかないなと適当にふんふんと聞いていたレイヒだが、次の言葉に凍りつく。
「レイヒさん、贄を準備できますか?」
贄?
真っ先に頭に浮かんだのは昨日ハルミを突き刺そうとした太い枝である。あのとき確かにハルミも「山の贄」といった。
「あのぉ、贄……というとぉ……」
「一日ゆっくりと休んだ旅人などがちょうどいいでしょう。中でもこの峠道をものともしない健康で生きのいい人間です。足腰に自信のない者、病気を患っている者は遠回りになっても街道へ戻る道を選びますからね。よくできたふるいです」
それはつまり――どういうこと?
「引き続き贄を提供し続けるか、山の恵みをあきらめるか、二つに一つということになります」
言葉を失っているレイヒにシハルは前を向いたまま山道を淡々と登ってゆく。
「――動物を狩ってその命をもらって生きるのも、旅人の命を贄として生きるのもさして違いはない……と、お祖母様はお考えになったのでしょう」
シハルのいっている意味が少しずつわかり始める。つまり昨日の鳥の化け物みたいなものに贄を与えて、その見返りに山の恵みをもらっていたということなのだろうか。ばあちゃんはあの化け物とそんな契約をかわして町を成り立たせていたということ?
「何それ、重っ」
それが本当ならば、町でのばあちゃんの扱いにも納得ができるし、レイヒが何もしなくともごはんが食べられていた理屈もわかる。つまり汚れ仕事を引き受けていたということか。レイヒが仕事をしていなかった、正確にいうとできなかったのが、町のみんなの大誤算というわけだ。
息を切らしながら峠道を登ってゆくと、木々の間に何かが見え始めた。
「やはり私たちが贄だと思っていますね。レイヒさん、何があっても動揺しないでください。あちらは罠をしかけているつもりだと思いますが、こちらが罠にかけるんですからね。あと、食べないでください」
「は?」
どういう意味かよくわからないが、シハルはなんだか楽しそうだ。明らかに仕留める気まんまんに見える。
木々の間から現れたのは、山の中にあるにはおかしなくらいに立派な屋敷だった。レイヒの身長を超える大きな木の門の上からよくしげった古木がのぞいている。周りは白っぽい土塀がぐるりと囲っていて、レイヒの家よりもずっと立派だった。
「こんなベタな罠に誰がかかるの」
子供は相変わらずシハルの袖をつかんでいる。
「こんなお屋敷がどうして山の中に?」
「どうしてかというと、旅人が間違いなく興味を持つからです」
身もふたもない。
シハルは長い銀の髪の中から金色の半円を取り出し、帯にひっかけた。それはなんだか不思議な音をたてて揺れている。それからいそいそと例の干からびた心臓を懐に入れようとした。大きすぎて入らないことに気づくとゆったりとした袖口の方に入れる。よくもそんな気持ちの悪いものを服の中に入れる気になるものだ。
「隠しておいた方が本物っぽいです」
誰も何も聞いていないのに得意げにこちらを見ている。
「そうだね」
仕方がないので一応こたえてあげた。
シハルが大きな門を押すとすうっと不自然なくらいに軽く開く。山の中とは思えない広い庭に点々と飛び石が配置されていた。誘われるように門をくぐると、周りの庭木は季節外れの花が控えめに咲いていて、不思議とどこからか水音がする。
「歓迎されています」
シハルが指した戸口はほんの少しだけ開いていた。
「うわぁ、中も広いなぁ」
薄暗いが本当に立派な屋敷だ。永遠に続きそうな廊下をシハルもあの子供も迷いなく進んでゆく。シハルの腰で揺れている金色の半円が不思議な音色で鳴り続けていた。
「お待ちしておりました。どうぞ中へ」
やはり少しだけ開いていた入口から座敷へあがると、なぜかそこにハルミがいた。声をあげそうになるが、シハルがちらりとレイヒに視線を送る。そう、確か「動揺するな」といっていた。こういうことなのか。いや、どういうことなんだ。ハルミは今、穴を掘っているはずだ。これは幻覚か何かということ?
釈然としないまま、座敷を進むとそこには膳がふたつ並べられている。
「僕の分はないみたい」
子供はいつもどおりの無表情でシハルをみあげている。
「お疲れでしょう。どうぞおあがりください」
ハルミはにっこりとレイヒに笑いかける。どこからどう見てもハルミに違いない。シハルが膳の前に座ったので、レイヒもそれに倣う。どう見てもあやしいが、とりあえずここまでは騙されてあげるらしい。
「僕の分がない」
子供はしつこく言ってシハルの膳から汁物の椀を取ると妙にお行儀よくそれを飲みはじめた。そういえば峠道でのどが渇いた。膳にはぎやまんのグラスに冷たそうな飲み物もおいてある。レイヒは思わずそれを手にする。
「ダメだってシハルがいっていたでしょう」
レイヒの手を子供がつかむ。そういえば「食べないでください」とかなんとか言っていた気がする。「飲まないで」ではなかったが、これもダメなのか。のどが渇いた。
「どうぞ。遠慮なく」
目の前でハルミが微笑んでいる。ここ最近、なんだかカリカリしていたが、そういえばハルミは普段おっとりとしていて優しいのだ。久々に再会したような妙な懐かしさがこみあげてくる。レイヒはぼんやりと膳に戻したグラスをまた手にしていた。
「交渉に来たんです」
シハルの凛とした声が座敷に響いた。はっとしてレイヒはグラスを取り落としそうになる。
シハルは先ほどの干からびた心臓を出してどんと置く。
うわぁ。気持ち悪い。レイヒはグラスを膳に戻す。
目の前のハルミの顔色が一瞬で変わった。ぞっとするほど冷たい目だ。そして気づくとその姿はまったく別の人間に変わっていた。
シハルだ。
いや、よく見るとシハルと瓜二つの男だった。
「正客はあなたでしたか」