二人の関係
「__あ」
ポスターの高さやらを話し合いながら、掲示物をはがしていると、去ろうとしていた先生がふと何かを思い出したような声を上げたのを聞いた。
伝えそびれたことでもあったかと考える間に、先生は俺の隣で作業する杉浦の肩を叩く。
「杉浦」
先生が名前を呼んで、顔を突き合わせた途端、杉浦の瞳は何かを察したように揺れる。
……何か、違和感を感じた。
というより、二人の間に何らかの暗黙の了解があるらしいことはすぐに分かるくらい、世界が完璧に構築されていた。
思わずガン見してしまった。
見ちゃいけないものではない気もするが、じろじろと野次馬精神で見るものでもないと思う。
慌てて目を逸らして、作業の手が止まっている彼のため、ポスターの端に貼るテープを取っていく。
「はい」
何を言われたわけでもなく、恐らく瞳だけで察した何かに、杉浦は静かな声で返事をした。
その後、杉浦は俺の名を呼んだ。
「夜船、あのさ」
作業の手を止めて杉浦の方を見ると、いたって普通の笑顔でこちらを見ている。
「何?」
ぶっきらぼうなイメージを与えて傷つけないよう、俺も普段通りの穏やかな笑顔を見せて笑った。
杉浦は、ポスターの右上を手に取り、壁に沿わせて丁寧に位置を調整しながら続ける。
「今日、まだやることあるからさ。お礼また今度になって悪いんだけど、これ終わったら帰ってくれていいよ」
落ち着きのある生真面目な笑顔で聞かされた言葉に俺は何故か狼狽えた。
この流れから察するに、澄野先生に何か頼まれごとをしていたんだろうか。
杉浦と話すのは苦じゃないどころかやりやすささえあるし、何となく、澄野先生と杉浦が仲が良さげなのは意外で話を聞きたい気持ちがあった。
「……迷惑じゃないなら、手伝うけど」
今日の放課後にずっとやっていた通り、杉浦を補助をしながら言ってみる。
「澄野先生に頼まれ事?」
杉浦は人をうざいとか思うような性格をしてない、それは分かっている。
けど、帰っていいと言われているのに手伝おうとするのはちょっと過干渉だったかもしれない。
言ったそばから言うんじゃなかったなんて思うことは珍しくないが、そんな後悔の後にほっとさせてくれるのは杉浦の人柄だった。
「ありがとう。また頼ろうかと思っちゃうよ」
くすくすと笑いながら言うその自然な態度で、決まり悪げに頬をかいた。
「でも、まあ、他の人には頼めない事だから」
ただ遠慮しているにしてはいやにはっきりした口調は、杉浦にしては、とても強い意志みたいなものを感じた。
他の人には頼めないと言いながら、まるで、仕事を他の人に取らせないようにしているような。
杉浦みたいな奴からは感じることはないはずなのだが、多分これは。
欲――らしきもの。
いいや勿論、杉浦の事を大して知っているわけではないのだから、気のせいかもしれないのだが。
――引き下がったほうがいい気がする。
杉浦が、何かしら考えるところがあって手伝いを断ったならそれに従うべきだ。
それが何かは分からないが。
「そ……分かった、頑張って。今日の事は気にしなくていいからさ」
すぐに別れることになって残念は残念だが、今日の事はまたいつか聞き出せばいい。
杉浦は、今日のことをきっかけに俺が声をかけたとしても、それを嫌がることは無い奴だ。
きっとこれから先会って話したとして話題も振りやすいはずだ。
ポスターを貼る作業をすべて終えると、杉浦の目を見て言う。
「じゃ、また声かけろよ。生徒会に人が足りない内は、いつでも手伝うからさ。杉浦ってなんか、無理しそうな性格してるし」
杉浦は目をぱちくりとさせ、やがて控えめに首を縦に振った。
「よく言われるけど、この短時間話しただけで言われちゃったのは初めてだ。……ありがとな、助かるよ」
驚きのこもった声で言ったが、最後に笑った顔はなんだか嬉しそうに見えて、少し安心した。
今日勇気を出して俺に声をかけられたようなことばかりじゃないだろうし、頼れる先は多くて損はないだろう。
これで話すきっかけが増えたなら、俺としても結果オーライだ。
「暇なら図書委員に入ってくれたらいいのに」
ずっと杉浦の後ろで会話を聞いていた澄野先生が、にやりと笑いながら唐突にそう声をかけてくる。
俺もびっくりしたし、杉浦もかなり驚いたように、え、と少し声を漏らしていた。
「え……いや、暇というか……」
俺が断るための口実を見つける前に、先生は何食わぬ顔で言った。
「まー、暇じゃないか。彼女いるもんな、大事にしなきゃ」
俺達の恋愛事情、先生の耳にまで入ってんのかよ。
今更どうこう言う気はないが、なんか落ち着かない。
「ま、帰るなら気を付けてなー夜船。ご苦労さん」
別段本気でもなかった様子の澄野先生は、随分気の抜けるような態度で俺に手を振る。
俺は退散する流れだ。
杉浦と澄野先生はこれから用があるみたいだし、邪魔する理由もない。
杉浦は話しやすく、同じ目的を持って行動するやりがいがあって、いい気分転換になった。
そのせいか少しばかり名残惜しいが、自然な風体を装って、俺も手を振る。
「はーい。じゃな、また明日」
二人からの見送りを受けて、図書室を後にすることにした。
澄野先生と、杉浦。
珍しい組み合わせだ。
知る限りの二人は真反対の性格だし、仲が良さそうなイメージはない。
しかし、考えてみれば、タイプが同じだから仲がいいとは限らない。
ちょっとした偶然で今日、俺と杉浦が行動を共にしたように、傍から見たら意外な組み合わせの二人が仲良しということは有り得る。
加えて、今日感じた通り、杉浦は性格がいい。
元々面倒くさがりな澄野先生にはむしろいい相手なのかもしれない。
ただ、それにしては、少し言葉を交わしただけのあの二人の雰囲気は、なんだか。
部屋を出た後、振り返ってちらりと二人を見てみることにした。
やはりあの二人からは、ただ仕事を託し託された先生と生徒、という空気は感じ取れない。
仲が良い風に見えるのは、他人行儀じゃないからで、決して二人の距離が近いわけではない。
でも、独特の空気を纏っている気がする。
二人は、言葉に出来ない二人だけの関係をすでに構築している。
……見ていたらそんな気がした。
内緒の話をするみたいに密かに耳打ちをしていたり、なんだか目の奥に熱を秘めていたり。
なんだかまるで――二人だけの秘密の関係を持ってるみたいだ。
まさか、仲良しとか利害の一致とかじゃなく、もっと分かりづらい関係なんだろうか。
失礼な勘繰りを始めた俺の目に、ふと杉浦の笑った顔が映る。
いたって普通の笑顔だが、蠱惑的でらしくないくらいの笑顔に見えた。
楽しい遊具にはしゃぐ子供と、週末に趣味の時間をゆったり満喫する大人が混在しているような、快楽を秘めたような印象を受ける笑み。
杉浦は、澄野先生といるのが、楽しいとか?
__好きとか?
結論が出たところでどうということもあるまい勘繰りは、そう続くものではなかった。
とうに忘れていたころ、携帯からバイブレーションが鳴り出した。
ふと二人から視線を外し、ポケットの中に入れておいたそれを出すと、なんと琴美からのメッセージが入っている。
俺はその瞬間に杉浦たちの事は忘れて、食い入るように画面を見た。
メッセージ欄を開くと、ママからおつかい頼まれちゃった、と続いている。
落胆した気持ちが沸けど、いいやまだ最後まで読んではいないと、一縷の希望さえ抱いて先を読んだ。
しかし、改行の後、ついでに牛乳とチーズ買っていって、と書かれ最近流行りのアイドルグループのスタンプでお願い! と終わっている。
……ありがとうも、ごめんも無かった。
叱るべきかもしれない、最近おかしいと心配すべきかもしれない。
それでも、俺は考えるのを放棄した。
甘やかすようだと言われるかもしれないし、理由も聞かず使いっ走りは情けないかもしれない。
琴美がかわいそうなのかもしれないし、俺が哀れなのかもしれない。
それでも踏み込むことができないまま、従順な返答を琴美に返す。
『分かった、遅くならないうちに帰れよ。』
そして、さっさと校舎を出ることにして歩き出す。
杉浦と澄野先生の事も何となく気になっていたが、気分が落ちてしまって、新しい人間関係の事を考える前向きな気持ちは潰えていた。