第185話 ミノラルの道化師への願い
「あっ、ワンちゃん」
村長の娘だというミロルが俺たちの宿に訪れて、『ミノラルの道化師』と話をするにはどうしたらいいかと聞かれた俺は、とりあえずミロルを部屋の中に入れることにした。
宿に入ってきたミロルにベッドに座らせると、ベッドの上を占拠していたポチに気づいたようで、ミロルは目を細めるように笑ってそんな言葉を漏らしていた。
何かを確認するようにちらりとこちらに向けられた視線を感じ取って、俺は口元を緩めた。
「ポチが良ければ、触ってもいいーー」
「わっ、寄ってきてくれた」
ポチは俺の言葉を聞き終わるよりも早く、のそっと動くとそのままミロルの膝の上に乗って丸くなっていた。
気持ちよさそうに頭を撫でられる姿は、どこからどう見ても子犬のそれだった。
こうして見ていると、自分がフェンリルだということを本人すらも忘れているように思える。
まぁ、子犬と少女という組み合わせは空気を和やかにしてくれるし、ポチにはそのままでいてもらうか。
「それで、ミノラルの道化師に伝えたいことって、何かな?」
俺の言葉を受けて、ミロルはポチの頭を撫でていた手をぴたりと止めた。
唇をきゅっと少し強く閉じた後、ミロルは正面に立つ俺達の方にちらりと視線を向けてから、ゆっくりと口を開いた。
「この村を、救ってもらいたくて」
「救う?」
少女の言葉から出るにしては少し重いような言葉。それから不安そうに服の裾をきゅっと掴んだ後、ミロルは言葉を続けた。
「数年前まではあんな変な宗教なくって、みんな元気だったんです。でも、突然教会に変な人が来て、変な人形配ったりしてから流行り病が村に広がり始めて、みんなおかしくなってきて……」
ミロルは昔を思い出したのか、上げていた顔を歪めた。
おそらく、この村の人たちもどこかで気づいているのだと思う。この歳の女の子が疑問を持つのだから、大人が何も思わないはずがない。
それでも、村の外部に助けを呼べずにいるのは、自分の家族が信仰をやめて殺された男のような末路を辿るかもしれないと脅えているからだろう。
「だから、ミノラルの道化師様に助けて欲しくって、その、ミノラルの道化師様は子供を助けてくれるって聞いたから」
「でも、ミノラルの道化師は恐怖の対象とか、悪魔とか言われてるんだぞ? 怖くないのか?」
今や『ミノラルの道化師』は大悪魔とか言われている始末だ。この歳の子がそれに頼るということに、何も感じないわけがない。
俺の問いに対してミロルは一瞬で顔を青くさせたが、それでも途切れ途切れで言葉を続けた。
「こ、怖いけど、このままお金が無くなったら、私もいつかみっちゃんみたいに……」
そこまで言うと、ミロルは込み上げたものがあったのか鼻をすすりながら、涙を溢し始めた。
拭っても拭っても流れてくる涙は、幼いながらに死への恐怖を感じているのだろう。
そんなミロルを見ていられなくなったのか、リリはミロルの隣に腰かけて優しくその体を抱き締めていた。
ミロルの途中で言えなくなった言葉がなんだったのか、それを想像するのは難しくはなかった。
村長の家でさえ、村長が栄養不足で頬をこけさせていた。つまり、この村である程度の権力がある人間でさえ、食にお金を回せていないというのが現状だ。
多くのお布施ができなくなった家の子が、呪いの影響で衰弱死をするという末路を辿るということも十分にあり得る。
そんな子供の死を目の当たりにして、今度は自分の番なのかもしれない。そんなことを考えずにはいられなかったのだろう。
目の前で小さな女の子が恐怖で泣いているという状況。そんな状況を前にして、それを無視できるはずがなかった。
なにより、『ミノラルの道化師』がこんな現状を知ったら、無視するわけがないだろうしな。
「……その村に来た変な人って、毎日教会にいるのか?」
「ぐすっ、毎日はいないけど、明後日の午後から村の人は教会に来るようにって言われてるから、明後日はいると思うけど」
「そっか、それだけ分かれば十分だ」
俺はそう言うと、ミロルの頭の上にポンと軽く手を乗せた。
ミロルはそんな返答が返ってくるとは思わなかったのか、きょとんとした顔で俺を見た後、その表情のまま言葉を続けた。
「もしかして、本当にミノラルの道化師様に伝えてくれるの」
「そうだな。もしも、どこかで会うことがあったら伝えとくよ」
意味ありげな言葉と少しの笑みだけを残して、俺はミロルの頭から手を離した。
「きゃんっ」
「あっ、あははっ、くすぐったいよっ」
そんな俺たちのやり取りをミロルの膝の上で聞いていたポチは、何を思ったのかミロルの手をぺろぺろっと舐め始めた。
ミロルが泣いていたから、励まそうとしたのかとか思いながら二人のやり取りを見ていて、俺はふと思ったことがあった。
あれ? この部屋に入って来た時よりも、ミロルの顔色が少し良くなってる気がする。
そんなことを考えていると、ポチがそのままじゃれるようにして、ミロルが首から下げているペンダントを少しだけ舐めたのが分かった。
あまりにも自然過ぎる動きではあるが、不自然な動き。
俺は少し考えた後、気づかれないようにそっとミロルが首から下げているペンダントに【鑑定】のスキルを使ってみた。
すると、そこには俺たちに渡されたペンダントにあったような呪いの表示がなくなっており、解析結果はただのペンダントとなっていた。
……もしかして、フェンリルの力で呪いを浄化したのか?
「きゃんきゃんっ!」
そんなことを考えている俺の前で、ただじゃれているだけのようにしか見えないポチの姿を見て、俺は一人少しだけ困惑するのだった。