第5話 日常と非日常と
翌朝、いつもと同じ時間に燈矢は家を出た。
玄関を出て、門扉を通り抜け、あたりを見回す。
そこにいつも見かける姿が見当たらず、少し困惑する。
毎朝、燈矢の家の前で立っている、長年の腐れ縁の幼なじみ。
余程のことがない限り、必ず毎朝、燈矢を待っていた彩。
彼女の姿が何処にもなかったのだ。
「…知るかよ、何で俺がアイツのことばっか気にしなきゃいけないんだ馬鹿らしい。」
吐き捨てるように言うと、燈矢は一人で学校への道のりを有るき始めた。
燈矢の家から学校まで徒歩で大凡30分程度かかる。
少しペースを上げれば20分まで短縮できるが、朝からそんな面倒なことはしたくないので、燈矢は早く起きることで通学路をのんびりと歩くことが出来ていた。
昨日から、なんかイライラする。彩のやつ何考えてんだよ。
口にすることは出来ないので、心のなかで悪態をつく。
様子がおかしかったので、電話をしても出ない。朝家を出たら居ない。
あからさまに避けられてると感じて、燈矢の苛立ちは収まらない。
「朝から最悪の気分だ…。」
大きく一つため息をつく。学校サボろうかななどと馬鹿な考えが浮かぶ。
しかし、中途半端に真面目な燈矢は、この程度で学校をさぼることなど出来るわけもなく、ダラダラと歩みを進めるのであった。
結局のところ、その日は燈矢は彩の姿を一度も見ることはなく終わった。
燈矢は3-A、彩は3-Cなので、顔を合わさない日があっても不思議ではないのだが、いつもは昼飯のお誘いだったり、教科書の貸し借りだったり、何かと行き来があったので、放課後まで顔を合わさないというのは、1年に2-3回あるかという程度なので、昨日のことと合わせて燈矢はなんとなくモヤモヤとした思いを抱えていた。
(部活に行くか…)
鞄を手に音楽室へと向かう。
「あ、柊君、今から部活いくの?」
教室から出ようとした所で、燈矢に呼びかける声が上がる。
「ん、御門か。そうそう、ちょうど今から行くとこだわ。」
声の主を振り返ると、見慣れた顔があったので、笑みを浮かべて応える。
御門 碧衣。
燈矢と同じ3-Aの生徒。文芸部に所属していて、一見お嬢様風に見えるその外見と、誰とでも交流する明るくて社交的な性格のせいで、男子のファンが多い。
一部男子の中では、発育の良さも人気の原因になっている。
2年の時は腰まで有るロングヘアをしていたが、3年になった時に肩ぐらいまでの短さにバッサリと髪を切ったため、失恋の噂が囁かれていたのも記憶に新しい。
「今日は、奥さん来てないみたいだけど、何ぃ喧嘩でもしたの。」
少しこちらを探るような目で見ながら、碧衣が質問を投げかける。
「いや、なにか特別あったわけじゃないんだけどなぁ‥昨日からちょっと機嫌が悪いみたいだな。電話にも出ねぇし、俺にもわからん。」
肩をすくめて燈矢が応えると、ふーんと気のない返事で碧衣が返す。
「あなた達の夫婦漫才見ないと、なんか落ち着かないから、早く仲直りしなよね。」
余り興味なさそうな口調でこう言うと、またねと言い残して碧衣は教室を出ていく。
俺も行くか、と誰にいうでもなく言うと燈矢はその足を音楽室に向けた。
「よーっす石神ぃ、今日さ、彩のやつどうだった?元気だったか。」
音楽室の隣、準備室に楽器を取りに入ると、偶然そこには彩と同じクラスの
石神 沙奈恵が居た。華奢な体つきに黒髪ストレートロング、病弱にも見える程の白い肌。少し目尻の下がった可愛らしい目が印象的な女子で、その容姿で、一部男子から熱烈な人気を誇っている。
最も、本人は人見知りと言うか、引っ込み思案というか、余り人と関わり合うことが得意では無いようで、その状況を迷惑がっているらしいが。
「あ、柊君。えっと、彩だよね。うん、いつも通りだったよ。特に変わった様子じゃなかったけど、何かあったの?」
顎の先に右手人差し指を添えて、小首をかしげる。
一部女子からはあざといと不評を買い、一部男子からは可愛いと絶賛される仕草。
1年の頃から同じ部活のメンバーとして活動していた燈矢は、これが彼女の素で有ることを知っている。本当に無意識にこういう行動をしているのだと。
「そっか、サンキュ。んじゃおれパート練習してくるから、また後でな。」
彩がいつも通りだったのに、自分に対してはいつもどおりではないことに、またモヤモヤした思いを抱いてしまって、燈矢はわけもなく苛立っている自分を自覚してしまった。