(22)対応策
「申し訳ありませんが、それは無理ですね」
「なぜです? その女性は、この城にいるのですよね?」
「いませんよ? 収穫祭なので城内で生活している使用人達は、交代で家に帰していますので」
ケーニスは一瞬不審そうな顔になったものの、説明を聞いて些か残念そうに代わりの提案を口にした。
「そうですか。それでは、作業場を見せていただきたいのですが」
それを聞いたカイルが、不思議そうな表情を装いながら問い返す。
「作業場? 洗濯場をですか? どこの城にもある、変哲もない場所だと思いますが。そちらの城の洗濯場と同様だと思いますよ?」
「違います! 防水布の作製作業場です!」
「ああ。そちらでしたか。それは城では作っておりませんよ。彼女の家族が細々と作っているのを城で買い上げて、特定の商人に卸しているだけですので」
「はぁ!? どうして一家族だけで作らせているのですか? そんな事をしたら,
大量に作れないではありませんか!?」
そこでケーニスは、怒りで顔を紅潮させながら喚いた。しかしカイルは、平然と言葉を返す。
「どうして大量に作る必要があるのです?」
「どうしてって、それは……。必要とする者が大勢いるからですよ」
不審に思われないよう、ケーニスは興奮を抑えつつそれらしい事を口にした。しかし淡々としたカイルの口調は変わらなかった。
「雨の日にどうしても農作業や土木工事をする必要がある場合に必要だとは思いますが、それほど何千、何万も必要ないでしょう。現に彼女も『必要な人に必要なだけ渡れば良いし、原材料も大した手間もかかっていないからあまり高くは売らないでください』と言われているから、生産量を抑えて安値で卸しているので」
軍事用としても有用と思っているなど微塵も感じさせない口調に、ケーニスは思わず苛立たしげに叫んだ。
「下働きの女の思慮が足りないのは仕方がありませんが、伯爵も育ちが良過ぎて領地経営の何たるかをご存じないようですな! こんな金の生る木を放置しているなど、言語道断ですぞ!」
「ええ。何しろ元王子ですから、血統と育ちの良さはこの国随一ですね」
「…………」
ケーニスの非難の声を、カイルは満面の笑顔で一刀両断した。相手が全く意に介していないのが理解できたケーニスは、怒りのあまり歯噛みして黙り込む。そんな彼に対し、カイルは傍目には穏やかに語りかけた。
「非才な身は、日々、家臣や領民に助けて貰っております。ですから今後も、家臣や領民の意向に沿った領地経営を行っていくつもりです。これまでしっかりと領主としての力量を発揮してカルスタを発展させてきたヴォール男爵は、私のやりようなどお気に留める必要もありますまい」
そこでなんとか怒りを抑え込んだケーニスが、低い声で申し出てきた。
「それでは……、その下女の名前と、城下のどこに住んでいるかを教えていただきたい」
「直接訪問されるおつもりですか?」
「ええ。何か問題でも?」
「いえ、問題というか……。確認しますので、少々お待ちいただけますか?」
「構いません」
鋭い視線を向けてきたケーニスに断りを入れ、カイルは壁際に控えていたメリアに声をかける。
「メリア。ダレンに伝言を頼む。使用人達の休暇申請簿を持って来るように。一番最新のものだけで良い」
「畏まりました」
メリアは一礼して退出し、それから応接室では話題が弾むことはなく、不気味に静まり返っていた。少ししてメリアを従えてダレンがやって来て、カイルに薄めの冊子を差し出す。
「カイル様、ご所望の物はこちらです。どうぞご覧ください」
「ありがとう」
受け取ったそれにカイルは目を通し始めたが、ページを幾らも捲らないうちに独り言のように告げた。
「ああ、やっぱり。彼女は収穫祭の休暇に合わせて、長期の休暇を申請していますね。申請書類に見覚えがあったと思った」
「は? 長期休暇ですか?」
「ええ。なんでも実家の父親の体調不良が長引いていて、この機会に一家でお見舞いに行きつつ家業を手伝って来るとか。あとひと月は戻って来ませんね。彼女は真面目に働いていて、何年も長期休暇を取得していなかったので、この際纏めて取るのを許可しました」
「ひと月ですと?」
「はい。それでは片付けなければならない案件がまだ少々残っておりますので、ここで失礼いたします。また晩餐の時にお会いしましょう」
「……そうですね。楽しみにしております」
カイルは事も無げに目的の人物の不在を告げ、話はこれで終わりとばかりに立ち上がった。対するケーニスは全く信じていない顔つきになりながらも、ここで事を荒立てても全く益がないのは理解しており、おとなしく引き下がる。
「あの生意気な小僧、いい気になりやがって。本当に、偶々幸運に恵まれただけじゃないか。それにどこまでも、手の内を見せないつもりか。その女が、本当に長期休暇の筈がない。絶対に身柄を隠したのに決まっている」
カイルがダレンとメリアを引き連れて応接室を立ち去ってから、ケーニスは憤怒の表情で忌々しげに呻いていた。
応接室に取り残されたケーニスがどんな悪態を吐いているかなど、カイル達には容易に想像できた。それでダレンが廊下を歩きながら、一歩先を歩く主君に短く感想を述べる。
「お見事でした」
「あの程度なら、予想の範囲内だ。どうせこれからも、色々な事柄についての探りを入れてくるだろう」
「一応、全ての事案にそれらしい設定をつけて、噂を流してあります。それに沿った対応をしておけば、特に問題ないかと思われます」
「しばらく城内の皆には、連中に纏わりつかれて迷惑をかけると思うが、我慢して貰うしかないな」
当面の問題を口にして、カイルは重い溜め息を吐いた。それにダレンが、平然と応じる。
「ご安心ください。ヴォール男爵一行の対応者には、特別手当の準備をしております。シーラが出発前に、しっかり手配していきました」
「さすがだな」
「どんな不測の事態が生じるか分かりませんから、男爵一行の滞在中はなるべくカイル様の側に控えています」
メリアの申し出に、さすがにカイルは難色を示した。
「いや、メリア。それはさすがにちょっと……。毒見役も他の者に変えているし、お腹も大きくなってきたし」
「まだ目立つほどではありませんし、侍女の仕事に支障をきたしていません。城内であからさまに大げさな護衛を付けるわけにいきませんし、最後の最後は私がカイル様をお守りします」
「そうだな。何か言い含められていたり、嫉妬に駆られたりしてヴォール男爵が凶行に及ばないとも限らない。万が一の時は頼むぞ」
メリアが大真面目に断言し、そんな彼女の発言をダレンが真顔で肯定する。それを聞いたカイルは、思わずダレンに苦言を呈した。
「ダレン……。ここはメリアを止めるべきだろう」
「そんな時間と労力の無駄になる事をするつもりはありません」
「アスランも了承済みです。諦めてください」
部下二人に素っ気なく言い返されてしまったカイルは、無言で額を押さえて項垂れたのだった。