「大事な言葉」
「俺たち、これから公園でサッカーしに行くんだけどよ、勇太も行くよな!」
五年一組の教室。放課後になったので、僕は無言で帰る準備をしていると、クラスメイトの陽《はる》くんがそう言った。
ビクッと身を震わせてから、コクリと頷く。
「よし、そんじゃ行こうぜ!」
陽くんの他に悟志くんと和也くんも一緒にいた。
ランドセルを背負うと、彼らの後ろに付いていく。
「……何でいつも誘うんだよ」
「……あいつ何も喋らねぇしよぉ。こえーわ」
悟志くんと和也くんは小声で陽くんにそう言っていたが、僕にも聞こえていた。
「まあまあ」
陽くんはにこやかに取りなしていた。
でも、僕も不思議に思う。僕は昔から喋るのが苦手だ。喋ろうとすると、すぐ詰まってしまう。
陽くんは一年生の時から良く僕を遊びに誘ってくれた。なのに、いまだに緊張してまともな会話もできない。
だから、悟志くん達が言うことはもっともだ。僕なんかと遊んでもつまらないはず。
僕のせいでああやって陽くんが責められるのは、何だか心が痛かった。
変わりたい。そう思う気持ちはある。だけど、初めの一歩を踏み出せずにいた。
サッカーを終えて家に帰ると、リビングでお母さんが迎えてくれた。
「ゆう君、おかえり」
「ん」
僕はお母さんに対してもこんな様子だった。少しは喋れるので、まだマシな方だ。
そんな僕を責めることもなく、お母さんは朗らかに笑って言う。
「そうだ、こういうの教えてもらったんだけど、興味ある?」
見せられたスマホに表示されていたのは、同じ兵庫県三田市内でやっているらしい『ナックルキックボクシングジム』という場所の案内だった。
変わるきっかけを欲しがっていた僕は、それに何か運命のようなものを感じて、思わず声を出していた。
「や、やるっ……」
「え、本当に? 無理してない?」
お母さんは驚いた様子だった。
それでも僕が頷くと、すぐに納得してくれた。
「そっかぁ……分かった。じゃあ連絡してみるね」
次の日曜日、早速『ナックルキックボクシングジム』の体験ができることになった。
建物の中にはサンドバッグやミットのようなボクシング用の道具が色々と並んでいる。
先生とは、上手く喋れない僕に代わってお母さんが話してくれた。
ジムの説明を聞き終えたところで、他の子供たちと一緒にトレーニングを行っていく。
軽いランニングや筋トレ、それからパンチやキックの練習をした。
これまでしたことのないような身体の動かし方に、少し勇気が湧いてくるような気がした。
でもその間に何度か他の子供たちが話しかけてくれたが、僕はやっぱり何も言うことができなかった。
それを見かねたのか、休憩時に先生が傍に寄ってきた。
「喋るのが苦手なんだってね。でも、喋りたい気持ちはあるのかな?」
俯いていた僕はコクリと頷いた。
すると、先生は考える素振りを見せた。
「そうだな……まずは大事な言葉だけ言う練習をしてみるのはどうだい?」
その言葉に僕が首をかしげると、先生は詳しく説明してくれる。
「まずは挨拶だね。おはよう、こんにちは、こんばんは。次に謝る時のごめんなさい、最後にお礼のありがとう。これが何より大事な言葉さ。これさえちゃんと言えたら大丈夫。他は少しずつ言えるようになればいいよ」
確かに、僕はその時々で何を言えば良いかが分からなくなってしまうので、言う言葉を絞って練習すれば、ちゃんと言えるかもしれない。
そう思うと、自ずと拳に力が入っていた。
それを見た先生はニカッと笑みを浮かべたのだった。
僕は教室に入ると、もう来ていた陽くん達に近づいた。
大丈夫、家で一人で何度も練習したんだ。
「お、お、おはようっ」
以前までは何も言わなかったので、陽くん達は驚いていた。
「いつも、ごめんなさい……ありがとう」
そう言うと、悟志くんと和也くんは照れた様子だった。
「ほらな、良い奴なんだよ、勇太は」
陽くんは自慢するように言うと、僕の方に手を伸ばしてきた。
「これからもよろしくな!」
「うんっ」
僕はその手を握り返し、頷く。
そこには、以前までの自分とは少し違う、新しく変わった自分がいた。