エピソード8 十回目の世界
これは初めての行動じゃないか、とサクヤは思う。
魔王城への潜入時、サクヤはいつもカグラの説得に負け、結局はエリーの計画通りに裏口から潜入していた。
しかし今回は違う。今回はカグラの説得を押し切り、一人で正面から突入する事にしたのだ。
そのせいで、カグラが見た事もないくらいの悲しそうな顔をしていたが……。それについては、仕方がないと割り切ろうと思う。
(きっとアイツらは、いつも通りエリーに殺されるんだろうな)
そう思えば、仲間を見捨てて来たようで良心がズキズキと痛む。
カグラとヒナタは、エリーを微塵も疑ってはいない。これまでもそうだったように、今回もまた、彼女を信じて呆気なく殺されてしまうんだろう。
けれどもそれは仕方がない。だって今回は創造主の指示通り、死ぬの前提でここに来ているのだから。自分が死ぬのは当然だが、仲間にも犠牲になってもらおうと思う。
(それにしても困ったな)
一人で魔王城に突入してから数十分。サクヤは途方に暮れていた。
大量のモンスター達に行く手を阻まれたからではない。そんなヤツらは、凄腕剣士(自称)と呼ばれるサクヤにとっては大した敵ではないからだ。逆に「え、何でここに剣士が?」とか、「あれっ、裏口から誘い込むってエリー様が……」とか言っていたヤツがいたので、やっぱりエリーは魔王側の人間だという確証が取れた。その点については、正面から突入して良かったと思う。
では何故、サクヤがこうして途方に暮れているのか。
それは肝心の魔王のいる間の場所が分からなくて、城内で迷子になってしまったからである。
「そりゃそうだろ。だってオレ、今まで一人で魔王城に入った事なんてないんだからよ!」
いつもはエリーが一緒だった。そして魔王の味方である彼女は、当然魔王のいる間の場所を知っていた。だからサクヤは騙されているとは知りつつも、エリーの後を付いて行けばいいだけの話だったのだ。
しかし今回はどうだ。敵とはいえ、エリーという案内役がいない上、突入したのはいつもの裏口じゃなくて、初めて入る正面からの魔王城。裏口から入った時は、延々と階段を上っていたから、正面から入った今回も、とにかく上に行けばいいと思っていた。
しかし当然の事ながら、正面から入った時と、裏から入った時とでは内部の構造が違う。どの階段を使って、どの通路を通れば魔王のいる間に着けるのか。それが全く分からない。
しまった。その事にもっと早く気が付けば良かった。
「くそっ、一匹くらい生かしておけば良かった!」
そうすれば魔王のいる間まで案内させられたのに、とサクヤは後悔する。
サクヤがモンスター達を斬りまくったせいか、もともとモンスターのいないエリアだったのかは知らないが、ここにはサクヤ以外の人間どころか、モンスター一匹の姿すらない。とにかく魔王のいる間を目指さなければならないのだが……。
一体どこをどう行ったら目的地に着けるのだろうか。
「あ? 何だ、ここ?」
とりあえず上階へ行けそうな通路を選びながら進むサクヤの前に、広い通路が現れる。もしかしたらサクヤが思っている以上に、魔王のいる間は近いのかもしれない。
突然魔王やエリーの奇襲があるかもしれない、と慎重に通路を進めば、その奥に立派な扉が現れる。
他の扉よりも上質な扉。
もしかしてここが、魔王のいる間だろうか。
(いや、違う)
慎重に扉を開け、中の様子を窺ったところで、そこが魔王のいる間ではない事に気が付く。
ゆっくりと扉を開けた先に現われたのは、桃色を基調とした広い部屋。
天蓋付きのベッドに、お洒落なドレッサー。上質な素材で出来た家具に、ズラリと並ぶ沢山のぬいぐるみ達。
ここは……女の子の部屋だろうか。
(それにしても、ぬいぐるみの数多くないか?)
箪笥の上、棚の中などに所狭しと並んでいる沢山のぬいぐるみ達。大きいモノから小さいモノ、モコモコの動物から呪いの和人形みたいなモノまで、様々な種類がいる。あまりにも多すぎて、沢山の目に見られているようでちょっと不気味だ。
(何だよ、ぬいぐるみ大好き女子でもいるのか?)
それにしても集めすぎだろう、と若干引きながらも部屋を物色する。
クローゼットを開ければ、ズラリと並ぶ様々な色のドレスに、これまた棚にズラリと収納されている高そうなバック。そして引き出しの中に並んでいるのは、輝く宝石が散りばめられた沢山のアクセサリー。
ぬいぐるみを含め、部屋にあるそれらは一度も使われた形跡はなく、新品そのモノであった。
(何? 収集癖のある女でもいるの?)
これはイヤリングだろうか。緑色の宝石が付いたそれを手に取り、サクヤはこの部屋の主を想像する。
魔王の名の下に高価な品物を買い漁り、使う事なく飽きて片付けてしまう成金女。
「……」
想像したその姿に、サクヤは口角を引き攣らせた。
(つーか、どこから買い込んで来るんだよ、これ? 魔王のクセに人間の店で買い物でもしてんのかよ?)
そう考えたサクヤであったが、彼はフルフルと首を横に振る事によって、すぐにその考えを打ち消した。
だって相手は魔王なのだから。人間のお金など持っているわけがない。
ならばここにあるモノは全て盗んで来たモノなのだろう。お金を払って買い物をしている魔王よりも、堂々と店を破壊し、商品を略奪している魔王の方が、易々と想像出来るのだから。
(最悪だな……)
しかも盗んで来るモノがぬいぐるみやドレスであるところが何とも情けない。こんな事自分が言うべきではないのだろうが、ぬいぐるみを盗んでいる時間で、街の一つや二つでも破壊すればいいのに。
しかしサクヤが、そんな良からぬ心配をしている時だった。彼の目に、この部屋には似つかわしくないそれらが飛び込んで来たのは。
「これは……花、か?」
ぬいぐるみ達の視線と、情けない魔王の姿に気を取られ、気付くのが遅くなってしまったが。
この部屋に似つかわしくないモノ。それは枯れた花であった。
花瓶に入れられたまま、しばらく放置されていたのだろう。それは何の花だったのか、そしてどんな色をしていたのかも想像できないくらいに朽ち果てており、モサモサとした白いカビまでもが生えていた。
「花瓶は……全部で十個か」
なら、花も十種類あったのだろう。まさか花も集めるだけ集めて、何の世話もしなかったのだろうか。だとしたら、かなり残念な性格の持ち主である。
(まさか、飼ったまま放置していたペットの死体とかも出てくんじゃねぇだろうな……?)
有り得そうで怖いと怯えながら、サクヤは次に箪笥の小さな引き出しに手を掛ける。
しかしその時だった。背後から、殺気を含んだ低い声が聞こえて来たのは。
「まさかそこも開けるつもり?」
「っ!」
その声にハッとして、サクヤは勢いよく後ろを振り返る。
いつからそこにいたのだろうか。そこにはとんでもなく冷たい表情をした、エリーの姿があった。
「何だよ、見られたらマズイモンでも入ってんのかよ?」
「ええ、そうよ。だから止めたのよ」
見られたらマズイモン……まさか本当にペットの死体でも入っているのだろうか。
「つー事は、お前はここに何が入ってんのか知ってんだな?」
「もちろん知っているわよ。ここは、私の部屋だからね」
「へぇ、お前の部屋ねぇ……」
私の部屋。魔王城にある自分の部屋。
それはつまり、彼女が魔王側の人間であると認めるに等しい言葉であった。
「何でお前の部屋が、魔王城にあるんだよ?」
「私が魔王側の人間だからよ」
「はッ、つー事は、もうオレらの仲間のふりをする気はねぇって事だな」
「……。どうせもう知っているんでしょ? だったらそんな事をする必要はないじゃない」
魔王の姿は見当たらないが、彼がエリー一人でサクヤのところになど行かせるわけがない。どうせ近くにいるのだろう。
それからカグラとヒナタはどうしたのだろう。自分が抜けた事で人質として捕らえられたか、それともその価値すらないと判断されて殺されてしまったか。
「カグラとヒナタはどうした?」
「あんたと違って、私の事を信じてくれていたから。だから殺すのは簡単だったわ」
「そうか」
サクヤが潜入時にいようがいまいが、二人の死の運命は変えられないらしい。おそらくはそうだろうな、とは思っていたから、その事実を伝えられたところで特に驚きはしないのだが。
「驚かないのね。もしかして、私が二人を殺すつもりだって知っていながら、別行動を取ったの?」
「お前が裏切り者だって言っても、アイツらは信じてくれなかったんだ。だったら殺されたとしても、そんなの自業自得だろ」
「最低。それが仲間に対して言う台詞?」
「アイツらを殺した張本人に言われたかねぇよ」
ハッと鼻を鳴らしながら言い返してやれば、エリーは不機嫌そうに眉を顰めた。
「ねぇ、どこで私が裏切り者だって気付いたの? そんなに怪しい行動、取っていなかったと思うけど?」
「……」
その質問の後、サクヤはいつも「お前に教える義理はない」と答える。そしてそのやり取りを最期にサクヤは殺されてしまう。
ならば別の答えを返せば、少しは結果が変わるだろうか。
「どこも何も、お前が魔王とこっそり会ってんの、何度も見せられていたからな。あれだけちょくちょく会っていれば、そりゃ誰だっておかしいと思うだろ」
まあ、嘘なんですけど。
「それだけ?」
「あ?」
それだけで私を裏切り者だと断定したのかって、聞いてんのよッ!」
「ッ!」
瞬間、エリーの纏う雰囲気がガラリと変わり、その赤と青のオッドアイが、血色の双眼へと変わる。
しまったと思った時には既に遅く、エリーの体から溢れ出た闇の力に吹き飛ばされていた。
「がは……っ!」
朽ちた花の花瓶が並ぶ棚に、勢いよく体を叩き付けられれば、割れたその破片が体に突き刺さる。
頭上から落ちて来た他の花瓶に頭を殴られれば、グラリと脳が揺れた。
「ねぇ、その何度もって何回の事? 最初に見たのはいつ? 話の内容は知ってんの? ねぇ、どうなのよッ!」
「ッ!」
まくし立てるように詰め寄って来るエリーに、サクヤは血が流れ出る頭を押さえながら表情を歪める。
ふと目が合ったのは、今の衝撃で壊れ、首と胴体が離れてしまった和人形。
ああ、今回も詰んだな。
「答えなさいよッ!」
「ち……っ、ギャンギャンとうるせぇな……」
最期の力を振り絞り、サクヤはエリーを睨み付ける。
何回かと聞かれても、これで『サクヤ・オッヅコール』は十回目だ。数えているわけがない。
最初に見たのはいつかというのも、それはたぶん『サクヤ・オッヅコール』の一回目だろうが、生憎その時の記憶はないから正直分からない。
話の内容に至っては、どうせ二人で愛を囁き合っていただけだ。そんなモン、逆に聞きたくもないわ。
「な、ンで、テメェがキレてンだよ? キレてぇのは、こっちだわ」
「はッ、どうせ全部自分の都合の良いように解釈して、私を悪人だと決め付けて、納得して喜んでんでしょ! 何よ、こっちの気も知らないで! ふざけんな!」
「あ? テメェが悪人だってのは、間違いねぇだろ。人間のクセに魔王側に付き、カグラとヒナタを殺して、これから全人類皆殺しにするんだ。テメェ以上の悪人なんかいるかよ」
「……あはっ、そうね、確かに全人類からしたら、私以上の悪人なんかいないわ。だけど……」
「っ?」
そこで一度顔を伏せてから、エリーはそっと顔を上げる。
怒りに燃える真っ赤な双眼。
そこからボロボロと流れていた涙に、サクヤはドキリと心臓が跳ねたのを感じた。
「私からしてみれば、一番の悪人はあんただわ、サクヤ」
「は、何だよ……?」
ゆっくりとした動作で、エリーの右手がサクヤに向かって翻される。
そこに集まって行く高い魔力。
ああ、これで十回目は終了か。
「何で、テメェが泣いてんだよ……?」
いつもは魔王の胸の中で幸せそうに微笑んでいるクセに。それなのに、何で今回は怒りに涙しているのだろうか。
(残念だな)
その理由が聞きたかったのに。それなのに頭に血が上っているエリーは、彼の質問には答える事なく、いつも通りの闇の力を彼に向かって撃ち放つ。
(もうちょっとだけ、話がしたかったな)
いつもとは違った後悔をその胸に抱えながら。サクヤの意識はそこで途絶えた。