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『――本当に、申し訳ございません!!』

 白を基調とした人気のない静かなだだっ広い廊下の静寂を切り裂くような声とともに、リクの額が床面に擦り付けられる。
 両の手を床面につけて深く頭を下げた姿勢のままで、リクは繰り返しくりかえし謝罪の言葉をうわ言のように述べ続けた。その指先は、パッと見ただけでもわかるぐらいに震えている。
 土下座をして額を床に擦り付けているリクの姿を、優海と空は呆然と見つめていた。その背後には、手術中の掲示ランプを灯して固く閉ざされた扉。
 扉の向こうでは、いま昴が痛みに耐えながら先ほどの事故で負った怪我の処置を受けている。
 時折悲鳴じみた幼い声が聞こえ、優海と空が辛そうに表情を歪めた。まるで自分達が痛みに耐えているかのように。
 昴が大怪我を負った事故は、彼を守るはずであるシッターロイドのリクの隙をついて起こったものだった。
 とは言え、その隙さえも未然に防ぐための危機管理装置が備わっているはずなのに、事故は防げなかった。
 完全なる安全装置はこの世に存在しないという理論はあるが、リクの過失による責任が全く問われないワケにはいかないだろう。
 その点を、リク自身は重く見ているのか、病院に両親が駆けつけたのを目にした瞬間から土下座をして謝罪し、それきり顔をあげていない。
 この場の時の流れが止まってしまったかと思う程の重たい沈黙が漂っている。
 アンドロイドは涙を見せないはずだ。そもそも涙腺が備わっていないし、いくら感情表現が高性能であっても、想いを揺さぶられて何がしかの現象を起こすまでには至っていないからだ。
 しかし――いま優海と空の前でひれ伏す“彼”は、すすり泣いているように見えた。床に垂れる雫も、啜る洟もないはずなのに……ここまで人間に近く作られてしまうと、とても痛々しく憐れな“生き物”に見えて来てしまうのが不思議だ。
 リクはただ、自分に課せられた役目を果たせなかった責任を感じての対処をしているのかもしれない。土下座は確かに相応の行為とも言えるかもしれなかった。
 だが、ふたりが求めているのは、そういった行為ではない。
 たとえそれを行っているのがシッターロイドという無機質な存在であっても、感情があり、知識知能があり、我が子に思いやりもって接してくれている存在である以上、土下座という無様な格好を取らせるのはあまりに心苦しかった。
 そうしたところで、昴の大怪我が瞬く間に完治するわけでも、事故がなかったことになるわけではないのだから。
 優実と空は顔を見合わせ、そしてそっと自分達の前で蹲るリクの前にしゃがみこむ。

「……リク、顔をあげてくれる?」

 優海がそう促したが、リクはちいさく首を横に振って頑なに顔をあげようとしなかった。自分には人と向き合う資格がないと言わんばかりの態度に、ふたりは改めて顔を見合わせて溜息を吐く。
 ふたりの吐息の狭間に、震える声でこう呟かれた。

『……俺を、廃棄処分に……スクラップにしてください……』

 アンドロイドが自らに課せられた最大の使命――マスターの命を守ること――を怠って最悪の事態が起こってしまった場合、この国のアンドロイドに関する法律では、そのアンドロイドは廃棄処分される決まりになっている。
 廃棄処分にもいくつか種類があり、電源を切られるだけの場合、メモリーを抹消される場合、最も重いものは、スクラップにしてしまう場合だ。
 スクラップは、アンドロイド本体もメモリーもすべて鉄くずにしてしまう。
 メモリーが廃棄されても、身体が残っていれば別のメモリーを搭載して再利用されることもなくはない。
 その場合はワケアリ品として格安に市場に出されるのだが、スクラップにされてしまえば、もう二度とそのアンドロイドは日の目を見ることはできなくなる。
 つまり、リクは引責のために自らアンドロイドにとっての“死”を選んだのだ。

「――リク、落ち着いて。昴は命を落としていないし、そもそも僕らは君を処分するなんてことはしないから」
『でも! 俺がちゃんと事故を未然に防いでいれば……防げたのに……なのに……』
「あのね、リク……あなたが使命を怠ったから昴が事故に巻き込まれたんじゃないよ」
「もし仮に君があの事故の瞬間に間に合っていたとしても、あの車は対物回避制御装置が備わってなかった。君が昴の代わりに取り返しのつかないほどの破損をしていたかもしれない。警察の方もそう言っている」
『でもそれで昴が助かるなら……俺は、本望です……昴は、無傷だったかもしれないし……』
「仮にそうだったとしても、仮定の話をしても仕方ないよ、リク……もう事故は起きてしまったし、昴は怪我をしてしまったんだから。だからってね、リク。あたし達はあなたをスクラップにはしない。だってあなたは、家族として昴をちゃんと助けてくれたんだから」

 事故現場から即昴を連れ出してしまったことで事故現場は混乱したが、ドライブレコーダーと周りの証言があったのでなんとか処理はできた。
 なによりリクが即座に緊急搬送したお陰で昴の怪我への処置に早く着手できたことは、搬送先の医者や看護師らから感謝されたことだ。
 リクは俯いたまま優海の言葉を聞いていた。涙こそ流れていなかったが、纏う気配は泣き濡れているようにも見える。

「今回の件は、リクがシッターロイドとして昴の我が儘を拒んだことで起こった事故かもしれないが、これは君が起こした事故じゃない。君はシッターロイドとして僕らとの約束を守ってくれたのだし、事故は制御機能のなかった車があの場にたまたま通りかかって起こった事だ」

 「ただの悲しい偶然で、リクのせいじゃない」優海と空がリクの手を握り締めて、力強くそう言うと、リクは恐る恐る顔をあげる。
 正面を向いた顔の乱れた髪の隙間から除く眼元はぼんやりとしていて、まるで泣き腫らしたかのように覇気がなく痛々しい。
 もし、自分に涙を流す機能があったのなら――リクはこの瞬間ほど人間になりたいと強く願ったことはなかった。ただ微笑を返すばかりが感情表現ではないことを既知しているリクは、涙を流すことで伝わる感情や想いがあることも理解している。
 理解しているが……自分には、それを表せるものがない。それが、もどかしく悔しかった。
 だからリクは、ふたりに問うように訊ねた。

『――俺はまだ、昴の傍にいても、いいんでしょうか……』

 リクの手を握っていたふたりの手に力が入り、やがて優海と空はリクを抱きしめた。やわらかく、強く、我が子にするのと同じように、ふたりはリクに触れる。
 そのぬくもりが、リクの存在しない涙腺を刺激し、ないはずの涙が眼元から溢れ頬を伝っていく気がした。

「あたりまえじゃない! 昴のシッターロイドはリクしかいないよ!」
「あの子の傍に、これからもいてやってくれ、リク」
『……かしこまりました、ありがとうございます』

 優海と空の言葉を噛みしめるように頷き、リクは再び昴のシッターロイドとして昴の傍につくことを許された。
 硬い金属の奥底にあるリクの心臓部とも言える部分が、震えるように稼働していたのは、普段にない状況に際してただエネルギーの供給にパワーが必要になっただけではなかったのかもしれないが……真相は誰にもわからないことだった。

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