それからリクの指先が元の姿に戻るのに一週間近くを要した。
リクが修繕とメンテナンスを受けている間は代わりの廉価版のシッターロイドが支給されるのだが、昴は代替えのシッターロイドには全く懐くことはなかったという。
その話をメンテナンスセンターにリクを引き取りに来た空から聞かされたリクは、とても驚くと同時に、自分が昴にとって必要とされているものだと知り、喜びを感じた。
マスターに必要とされる喜び。それはシッターロイドにとっての最大級の賛辞と報酬とも言える。
目に見えない不確かなものであるので、シッターロイド自身が自覚するには高度な感情機能と学習知能が必要となる。
その点に置いてリク、つまりRS0412は特に優れた機能が備わっているので、戸惑うことなくごく自然に受け止めることができているようだ。
喜びを噛みしめながら、リクは今回覚えたそれが今までになくきらきらしていて“あたたかい”感触がした。まるであのポットのお湯を被った日に降り注いだ昴の涙のように。
『空さん、』
「うんー?」
『涙って、“あたたかい”ものなんですか?』
「涙が、あたたかい? そうだなぁ……なかなか詩的な事を言うね、リク」
リクが投げかけた疑問の言葉に、空は車を運転しながらくすりと笑った。RS0412は感性の鋭いシッターロイドだと聞いてはいたが、こんなに豊かなものだとは思いもよらなかったのだろう。
父親である空は、シッターロイドの世話になった経験が少ない――あったとしても、いまリクの代替えに家にいる廉価版のシッターロイドのようなものとしか接したことがなかった――ため、リクのまるで生身の人間のように表情は勿論、抱く感情の豊かさにも毎日驚かされていた。
所詮、“彼ら”は機械仕掛けのロボットなのだから……という、自分の心の底にある偏見が日々覆されていくのを感じずにはいられない。
そしてそういった存在を傍らに置ける我が子を、羨ましくも思った。こんな存在が傍にいたら、きっと人生における何かが変わるだろう、と。
『俺、なんかおかしなこと言いましたか?』
「いや……すごく素敵な感じ方だなって思って。そうだねぇ、涙は……“あたたかい”かもしれない。実際、身体の中を通って零れてきているから、体温を纏っているとも言える。でもそれは一瞬で、零れ落ちた時も“あたたかい”のかはわからない。ましてや、リクは――」
『俺は、アンドロイドですからね……それに、あの時は、俺の手は壊れてたし……』
「うーん、そうだなぁ……その涙をリクが“あたたかい”って思えたのは、リクがその涙を零した相手を“あたたかい”って思ってるからじゃないのかな」
『俺が、相手を……』
「その相手って、昴?」
空の言葉に、リクは驚きの表情を向けて振り返る。その表情はまさに人間のそれと同じだ。
それすら見透かしていたかのように、空は冷静に運転を続けていて、「アンドロイドでもびっくりするんだね」と、笑った。
『……すみません』
「謝ることじゃないよ。君が驚くのは人間に近い証拠だし、昴にぬくもりを感じてくれるのはマスターとしての昴を慕ってくれている証拠でもあるんだから」
空の言葉に、リクは驚きというちいさなバグともトラブルとも取れないもので発生した、脳内の靄(もや)が払拭されていくのを感じる。
そして同時に、昴の保護者である彼にも自分を認められ、必要とされた喜びを得た気がした。これは大きな報酬とも言える。
『ありがとうございます!』
「こちらこそ、いつもありがとうね。それから、今回のことは、本当に悪かった」
「ごめんね、リク」と、空はすまなそうな表情をしてリクを見つめる。
人間がシッターロイドのマスターである以上、どんなに過ちを犯そうともそれを認めず、頭を頑なに下げない者も少なくない。そうすることは人間の沽券(こけん)に係わるとでも思い込んでいるのかもしれない。
しかしそれは人間に近いアンドロイドたちからすれば、人間であるマスター達は自分達アンドロイドを認めていないという不信感というバグを生み、後々トラブルを生じさせる一因にもなりかねない。
リクのかつてのマスターの中にもそういった者がいなくなかったワケではない。そしてそういう者に限って、シッターロイドの仕事の評価が辛口で細かいのだ。
主従関係にある以上、ある程度の威厳は必要なのかもしれないが、潤滑な信頼関係を維持するためには、こうして素直に礼を言ったり、立場に関係なく過ちを認めて頭を下げたりすることも欠かせないのかもしれない。
空からの礼の言葉と、今回の損傷の件での謝罪の言葉を受けて、リクは慌てて次の言葉を捜した。でも瞬時にふさわしい言葉が見つからず、ただ俯くばかりだった。
「リクがいてくれるから、本当に昴がよく成長してると思うよ。これからもよろしくね、リク」
『はい!』
昴の待つ家へと向かう道に車を走らせながら交わした言葉もまた“あたたかい”と、リクは感じ、そっと胸元に手を添えた。そこが、そうなったように感じられたからだ。
見慣れた風景が車窓に広がり始めて、リクは安堵したように寛いだ表情をする。
家ではちいさなマスターが、自分の帰りを今か今かと待っているかと思うと、手を宛がったところがふわふわと“あたたかく”なった。