【第二十五話】魔王、婚約破棄をする。
翌朝目が覚めてから、俺は決意した。悩んでも仕方がない。俺は、好きになったら直球な方だ。この日も学校だったので、俺は昼食時、食堂で対面する席に座っているリザリアの様子を窺った。そして彼女が飲み物に手を伸ばしたタイミングで切り出した。
「あのさ、二人きりで話したい事があるから放課後あけてくれない?」
俺の言葉に、リザリアが動きを止めた。そしてゆっくりと視線をあげた彼女は、驚いた顔をした後、小さく頷いた。その後、リザリアは窓の外を見る。
「今日はいい天気ですわね」
まだ残暑は厳しいし、秋の気配はない。俺は頷きながら、劈くような蝉の声に耳を傾けた。頭の中では、放課後話す事をまとめていた。
「裏庭の四阿に行こう」
俺が述べると、リザリアが視線を戻して頷いた。
こうして食事を終えてから、俺は午後の講義は適当に聞き流しながら、放課後を待った。そして全ての講義などが終わってからすぐに、俺はリザリアの机へと歩み寄った。
「行こう」
「ええ、分かりましたわ」
俺達は並んで教室を出た。道中は特に会話もなく無言で、その後校舎裏へと俺達は向かい、屋根付きのベンチへとテーブルをはさんでそれぞれ座った。俺は何から話そうかと思案する。だが俺が口を開くより先に、リザリアが俺に言った。
「話とは、なんですか?」
「実は俺、魔王なんだ」
俺は言い方を色々考えていたのだが、つい反射的に伝えてしまった。
「――え?」
「正確には封印されていた魔王の魂が解放されて、俺に転生したっていうのかな」
慌てて付け足すと、リザリアが目を丸くした。
そして――破顔した。そこには花が咲くような笑顔が浮かんでいる。
俺の頭は疑問符で埋まった。何故リザリアは笑っているんだ? それがさっぱり分からなくて、思わず俺は首を傾げる。
「よかった……」
小声でリザリアが言った。その声にも、嬉しさがにじみ出ているように感じた。
「なにが?」
しかし本当に理由が分からない。魔王の魂が転生したという事実の、何がよかったっていうんだろう?
「良い想像と悪い想像をしていたのです、話の内容に関して。ですが私の予想とは全く違いましたわ。だから――本当によかった……」
華奢な白い指を組み、リザリアがテーブルの上に手を置いた。それを見据えながら、俺は問う。
「何を想像していたの?」
するとリザリアが、照れくさそうに笑った。
「良い想像は、告白されるのではないかと期待していたのです。裏庭に呼び出されるなんて。ここは告白によく使われると評判ですもの」
「それは知らなかったよ。俺としては、ひと気が無い場所を選んだだけなんだけどね」
「そうですか」
クスクスと笑ったリザリアを見て、俺は顔を背けた。
「ねぇ。俺ってさ……君の事が、好きそうだった?」
「さぁ、どうでしょうね」
するとあからさまに濁されたので、俺は姿勢を戻して、双眸を僅かに細くした。リザリアはただ笑っているだけだ。
「悪い想像は?」
俺の言葉に、リザリアが今度は微苦笑した。
「逆に、『好きではない』と明確に言われるかと思っていたのです。つまり――婚約破棄をお願いされるかと思っていたのですわ。これは……ずっと思ってもいたのです。元々が私の一存で、我が儘でしたから」
それを聞いて、俺は短く息を呑んだ。
「もしもグレイルに、婚約を破棄しようと言われたら、私はあきらめようと思っていたのですわ」
それを聞いて、俺は思わずポカンとした。え? 婚約破棄してよかったのか? 円満解消も出来た感じ? 俺はそれを知り、思わず告げた。
「ねぇ、それって、今からでも遅くない?」
「えっ?」
「俺、婚約破棄したいんだけど」
きっぱりと俺が告げると、リザリアが虚を突かれたような顔をした後、泣きそうな目をした。だが、それからゆっくりと頷いた。
「……分かりましたわ。それではここに、ナイトレル公爵家の名に誓って、婚約を破棄するとお約束しますわ」
実にあっさりしたものだった。俺には非常に難題だと感じていたけれど、これでもう、俺達の間に、愛のなかった婚約はない。婚約破棄が、成立した瞬間だった。俺はそれを理解してから、悲愴が滲んでいるリザリアの顔を、改めて見た。
「じゃあ言わせて。俺は君をきちんと好きだから、魔王と分かった上で、俺と結婚してほしい」
「えっ……?」
「元々が治癒と医療魔術みたいな――打算的な書類上の婚約じゃなくて、きちんと俺は君と恋がしたい。だから俺の恋人になって、その上で俺と結婚して下さい」
俺がそう告げると、リザリアが呆然としたような顔をした。驚愕したように俺を見ている。そのまま俺達の間には、暫しの間沈黙が横たわった。そして――リザリアの両目から、涙が零れ落ちた。しかしその表情には、笑顔が浮かんでいる。
「嬉しい……本当ですか、グレイル。本当に、私の事を好きになってくれたのですか?」
「うん、本当だよ」
「私も、グレイルの事が好きです」
感極まったように泣いているリザリアを見て、俺は立ちあがった。そして彼女の隣に座りなおし、脳裏に魔法陣を刻む。すると俺の目の前に、ヴェルベット張りの小箱が現れた。紺色のこの箱の中には、魔王家に代々伝わる、花嫁に贈る指輪が入っている。伴侶と決めた相手に贈る品として伝わっているもので、子供が生まれる度に、二つセットで作られる。サイズは魔術で自動調整される。指輪形態の魔導具の一種だが、俺はまさか、自分がこれを誰かに贈る日が来るとは思っていなかった。俺は手に箱を取り、蓋を開ける。
そこには、サファイアを埋め込んだ、銀色のシンプルな指輪が入っていた。
「ねぇ、リザリア。これ、俺とおそろいなんだけど、貰ってくれない?」
「っ、ほ、本当によいのですか?」
「俺が聞いてるんだけど」
するとリザリアが涙を片手で拭ってから、何度も頷いた。俺は彼女の、白いその手を取る。そして左手の薬指に、静かに指輪を嵌めた。そして、自分のものとして、チェーンつきの同じ指輪を喚びだして、俺は首から下げた。指にそろいで嵌めるのは、ちょっと気恥ずかしかったからだ。
――なお、この指輪には、位置探知魔術と瞬間治癒魔術が込められている。だから何処にいてもやろうと思えば場所が分かるし、怪我をしたら瞬時に治るようになっている。魔王の伴侶は何かと狙われやすいからという配慮だったんだろうけど、安全な今の世には必要はなさそうだ。だが、俺は好きになった相手の事は心配なので、その魔術を無効化する事はせず、そのままにしておいた。俺って案外心配性なんだよね。ただ、ストーカーだとか言われたらいやなので、リザリアには魔術については伝えない事に決めた。
こうして、俺とリザリアは、恋人同士になったのである。