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【第一話】魔王、思い出す。




 ――って、マズイマズイマズイ。なんでこのタイミングで思い出したのかは不明だけれど、俺はそうだ、魔王だったんだ。愕然としながら、俺は右手に握っているノンアルコールのシャンパンが入ったフルートグラスを見つめた。滝のように冷や汗が流れてくる。

「リザリア・ナイトレル! 貴様との婚約を破棄する!」

 目の前では何やら怒鳴り声が響いているが、そんな事より俺は、蘇った記憶に意識を取られている。そうだ、俺は、魔王だ。魔王については、この体でも習った。三百年と少し前に、勇者パーティにより封印されたと、今の時代には伝わっている。実際俺は、封印された。鮮明にその記憶が残っている。寧ろ、つい数分前に封印されたかのような心地だ。

 俺は狼狽えながら、自分の体を探索(サーチ)した。すると、魔王だった俺の肉体の魔力色と、この体の魔力色が合致している事に気がついた。魔力色が同じ場合、魂も宿る事が出来る。俺はこの体の最古の歴史を辿ってみた。受精卵の段階、まだ魂が宿る前に、俺はこの器に入り込んだらしい。つまり、俺は記憶が無かっただけで、俺だ。思考回路も完全に俺と同じで、人格が変異した感じも無い。ただただ記憶だけが甦ったとしか考えられない。勿論、十六年間生きてきた、こちらの体の記憶もある。

 現在の俺は、ベルツルード伯爵のグレイルだ。両親が昨年魔獣災害で死去したから、まだ学生の身分であるが、爵位を継承した。俺の他に血縁者はいなかったから、俺は天涯孤独になっていたと言える。そして本日は、俺が今日から通い始めた、エンゼルフィア王立魔術学院の入学パーティだ。

「聞こえなかったのか!? なんとか言え!! 貴様との婚約を、破棄すると言っているんだ!! 俺は真実の愛に目覚めた。俺にはスカーレットしか考えられない!」

 煩い怒声に、俺はチラリと視線を向けた。けれど動揺の方が勝っているから、すぐに再びグラスを見て、精神集中を図った。魔王……魔王だと? もし俺の魂が魔王だと知れたら、やはり再封印されるのか? い、いや、もう封印した者達はいないだろう。俺の記憶によると、封印騒動は三百年以上前であるし、死者には魔術は使えない。そして俺が大人しくしていれば、誰も封印する理由だって持たないはずだ。そうだ、俺は大人しくしていればいいんじゃないか。このままグレイル・ベルツルードとして、静かに静かに人間として暮らしていこう。うん、それがいい。間違いないだろう。

「分かりましたわ、アンドレ王太子殿下。でしたら(わたくし)も、新しい恋に生きます。私はここに宣言します。ベルツルード伯爵のグレイル卿と婚約いたします!!」

 その時、婚約破棄されていた女性とが、凛とした声を放った。俺はよく通るその声を、最初右耳から左耳へと素通りさせようとしたが、含まれている名前と、一気に集中してきた視線により、硬直せざるを得なかった。

 え?
 は?
 なに? なんだって?

 そんな心境で俺はグラスから、婚約破棄が行われているホールの正面へと視線を向けた。そこでは金色の緩やかな巻き毛に、美しい蒼色の瞳をした少女が立っていて、真っ直ぐに俺を見ていた。

「よいですわね? グレイル卿」
「え……?」
「ずっとお慕い申し上げておりました。好きです、私と婚約して下さいませ!」

 俺は頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。必死で記憶を辿ってみるが、彼女と会うのは今日が初めてだと思う。なのに、ずっと……? 不思議に思って俺は、情報閲覧(ステータスオープン)の魔術を使ってしまった。無意識だった。すると目の前に、透明な板のようなものが浮かび上がって見えた。これは魔王の魔術であるから、俺にしか見えない。俺はこの体でも魔王にしか使えなかった魔術を行使できるらしいと確認しつつ、浮かび上がったステータスを凝視した。

 名前は、『リザリア・ナイトレル』とある。ナイトレル公爵家の名前は、俺でも知っている。王家の次に影響力と権威がある名家であり、勇者が先祖だとされる家柄だ。実際目視したリザリアと、俺が知る勇者の魔力色は同じだ。血縁者や末裔は、色が類似する事が多い。しかし問題はそこではない。『好感度』だ。俺はステータスの一番下を見た。そこには、『個人間』と『他者間』という二つの好感度表示の選択肢がある。俺は視線で『個人間』を選択した。これは、リザリアが俺に向けている感情から、好感度をレベルで表現する代物だ。

 結果――好感度、21%。
 凄く低いというわけではないが、恋愛感情はおろか、友情にすら至っていない数値だ。友情ラインは30%からだ。これはただの知人という扱いだが、正直初めて会ったと思うから、知り合いですらない。

 つまり、俺を好きだなんて言うのは嘘だ。そう叫びたくなりつつ、俺はステータス表示を消失させて。するとリザリアが続けた。

「これはナイトレル公爵家からの正式な打診と受け取って頂き、構いませんわ!」

 俺は思わず震えた。今の体の俺の爵位では、到底太刀打ち出来ないところに、リザリアは立っている。絶対王政かつ絶対階級制のこの国において、爵位は絶対だ。断れば、王家に報告されて、俺は断罪される可能性まである。

 断れば、悪くすれば国外追放されるかもしれない。
 そんな目立つ事をしたら、魔王だと露見して、封印されてしまうかもしれない。
 絶対に、嫌だ!

「分かりました」

 俺は努めて冷静な声で答えた。どうせ彼女も本当は俺を好きではない以上、機会を見て円満に婚約は解消すればよいだろう。

「ありがとうございます」

 俺に対して二コリと笑ってから、リザリアは王太子殿下に視線を向けた。

「それでは以後、公爵家はアンドレ殿下には関知致しません。お元気で」
「好きにしろ! せいせいした!」

 そう捨て台詞を吐くと、王太子殿下は近くにいた平民の少女へと歩み寄り、顔を融解させた。デレデレとしか表現不可能のその顔を見ていると、リザリアが俺に歩み寄ってきた。

「今日から宜しくお願いいたします」
「あ、はい」
「どうぞ、気楽にお話して下さいませ。今日から私達は許婚なのですから」
「……はぁ。そうですね」
「グレイルとお呼びしても?」
「どうぞ」
「では、私の事も、リザリアと」

 そんなやり取りをしている内に、学園の鐘が八度鳴り響き、入学パーティの終了の時間となった。

「ごきげんよう」

 すると淑女らしい笑みを浮かべて礼をしてから、リザリアは帰っていった。それを立ち尽くしたまま見送った俺は、ノンアルコールのシャンパンをやっと一口飲み込んだ。

 これから……一体どうすれば……?
 魔王の記憶と、リザリアの新婚約の相手に選ばれた事の両方について、俺は眩暈がしそうな心地だった。


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