第22話 山縣の世界の安寧
大正九年のその年、山縣はスペイン風邪を罹患した。
病床に伏せりながら、今度こそ、迎えが来たのだと、山縣は考えた。
貞子には、部屋に入らないようにと告げている。彼女には、まだ未来がある。移してその未来を潰すような事はしたくなかった。
熱に浮かされながら、痛む肺を抑え、何度も咳き込む。苦しかった。死んでいった子供達の事が脳裏を過ぎる。あの子達も、このように苦しんだのだろうか。そればかりを考えていた。
ふと瞬きをした時、布団の脇に、立っている着物姿の白い足が見えた。始めは貞子かと考えたが、すぐに違うと理解する。ゆっくりと視線を上げた山縣は、そこに佇む友子を見た。幻覚だと、本人にも分かっていた。熱が見せている、夢だ。
「旦那様」
「……会いたかったぞ」
「私も、お会いしたいです」
友子の幻影が、すっと山縣の隣に座った。正座をして、山縣の痩けた頬へと手を伸ばす。
「ただ、あなたには、まだやるべき事が残っているでしょう?」
「松子も嫁に出た。思い残す事は、無いんだ。お前が逝った時に、俺は世界を失ったと感じた事がある。今も、時折そう思うんだ」
時折、と、頻度が減ったのは、貞子のおかげだ。しかし、男女の愛を思い起こす時、友子の存在が、山縣にとっては大きすぎる。
「いいえ、貴方の子供は、まだ手が掛かるようですよ」
「松子は立派な淑女に育ったぞ。見せてやりたかった」
「――違います。もっと大きな、この国の事です」
「っ」
「あなた様が育ててきた、この大日本帝国は、まだ旦那様を必要としていますよ」
励ますような友子の声は、夏の日差しを連想させるのに、その姿は死装束だから不思議だった。同時に、友子の低く暗い声音での読経も響いてくる。過去の明るい記憶と暗い思い出が交錯しながら、山縣の耳を侵す。
「生きて下さい。お会いするのは、もう少し先の事」
山縣が次にハッとして目を開けた時には、勿論友子の姿など、どこにも無かった。その日、山縣の熱は引き、彼はスペイン風邪に打ち勝った。
快癒した山縣は、貞子と共に、庭に出ていた。
「――友子の夢を見たんだ。あいつが、俺を救ってくれたように思う」
山縣が静かに言うと、貞子が穏やかに笑った。
「山縣様が友子様を愛されるのと同じように、友子様も死してなお、山縣様を愛しておられるのだと思いますよ」
そうであれば良いと、山縣は願った。
――宮中某重大事件が起こったのは、その翌年の事である。
既に大正の天皇陛下の皇太子殿下である後の昭和の天皇陛下の婚約者、そのお立場に内定していた久邇宮良子女王には、家系的に遺伝病があると明らかになった。色覚の異常である。
華族女学校が再び学習院とひとつになった学び舎で、身体検査の折に、その事実は発覚した。
この頃になると、揺らいでいた軍部は、嘗ての藩主に抱く恩義のようなものと、宗教色を併せ持つ――神である天皇陛下を頂点に、形を成すようになっていた。山縣の人力があって、漸く支柱が整ってきていた。そのお血筋に、病魔が入り込む事は、避けなければならないと、山縣は感じていた。己が病弱で、子を失った時の悲痛を思い出してもいたが、一番は、陸軍の安定を考えていた。
ただ同時に、裕仁親王と久邇宮良子女王の間には、愛があるというのは理解していた。それを引き裂きたいと思ったわけではない。純粋に、我が子のような軍、ひいては国の安定を願っただけだったが――強い反発が起きた。
以前より強まっていた山縣への批判が、より大きくなる。最終的には、後の昭和の天皇陛下ご自身の意向で、婚約は内定した。だがこの一件で、山縣の権威は大きく失墜する。
それでも、山縣は構わなかった。自分の想う所を成しただけであり、既に政府には、若き風も吹き込んでいる。
椿山荘で庭の小川を眺めながら、山縣は原敬の事を思い出していた。最初こそ険悪だった平民宰相との仲は、次第に良好になりつつあった。分からず屋だと山縣は当初こそ感じていたが、話してみれば原は、柔軟に受け止める広い視野も持ち合わせていた。
自分が墜ちたとしても、原もいる。元老としては、西園寺公望が思い浮かぶ。
後を任せられる人材が、揃い始めている。
庭を清明な風が吹き抜けていった。
――原敬暗殺事件が発生したのは、そんな矢先の出来事だった。
一気に、目の前が暗く変わったように思えた。足元から、築いてきたものが瓦解していく感覚だ。過去にも何度も、味わった事がある。
「どうして……」
山縣は、居室に飾ってあるビスマルクの銅像を、何とはなしに眺めながら、陰鬱な気分で俯いていた。まだ先があるはずだった才能ある風が、その路を絶たれた。先が短い己が生きながらえている事が、滑稽に思えてならない。
以前なら、涙しただろうが、もう泣く空間を用意してくれるお倉も、逝ってしまった。貞子の前でも随分と心が軽くなるが、このような気持ちの時に思い出すのは、誰でもなく、お倉だった。職責が伴う涙の時は、大局を見透かすようなお倉のそばが一番だったのだ。
「山縣様」
「貞子……」
茶を持って顔を出した貞子を見て、山縣は力なく笑った。
「頼みがある」
「何です?」
「もし俺が亡くなっても、この庭を、守ってくれないか? 友子との、そしてお前との思い出が詰まった風景を、暫しの間で良いから、残していて欲しいんだ。貞子が自由になる間、守ってくれないか?」
「ええ……お約束いたします。この風景は、私にとって貴重な優しさに満ちた空間ですもの――山縣様の思い出と、山縣様が語って下さった奥様の記憶が詰まった、一つの完結された世界のようで、まるで切り取られた絵画のような、そんな温かい気配に溢れています」
いつもよりも大きく頷いた貞子の姿に、山縣もまた頷き返した。
その後山縣は、小田原の別邸である古稀庵へと移った。
そして和歌を詠んでいた。
椿山荘よりもさらに、伝統的な日本庭園よりも、もっと外れて自然主義的な日本庭園を構築している古稀庵において、山縣は庭を見る度に考える。自然である方が、少し近代的な方が、古くからの日本を、伝統的な庭園よりも伝えていると感じるのは、己が武家屋敷で育ったからではないのかもしれない。
その一生を振り返れば、ここまで来たのかという想いに溢れ返っている。
皆、去っていった。
しかし次こそは、己が去る番であると、山縣はどこかで感じていた。友子の幻影はああ言ったが、それは友子が逝くのが早すぎたからだ。もう、この国は山縣の手を離れている。
近年の世相は、さながら反抗期の子供のようだ。
山縣は自分亡き後の、政党や山縣閥の暴走を恐れてもいる。
だが、抑え、先導する力は、既に無い。衰えた己に残されているのは、憂う事しか出来ない日々だ。
『無理をしては駄目ですよ』
お倉に繰り返し言われた声が、蘇ってくる。
『休む事も仕事だよ』
伊藤の苦笑と揶揄が入り混じったような声音が続いて響いた気がした。
「――そうだな、俺もそろそろ休む時が来たらしい。無理はしたくても出来ないようだ」
一人呟いてから、山縣は久しぶりに筆をとり、書を嗜んだ。
――山縣が、八十三年の生涯に幕を下ろしたのは、大正十一年の事である。
自由民権運動の弾圧や、新聞での批判、山縣閥が不興を買っていた事などから、二月九日に行われた山縣の葬儀への参列者は、国葬にしては、少なかった。しかし、逝った山縣は想っていただろう。人気取りがしたかったわけではなく、少数でも募ってくれた者がいた事、山縣を慕う者がいてくれた事が、十分嬉しい事だと。
このようにして、明治維新直後の混乱から、大正というより新しい時代の中盤まで生きた、日本という国を導いた一人は、この世を去った。
きっとあの世では、愛する妻や、伊藤という親友、そして男女の仲を超えた友情を覚えたお倉という食えない女と、若かりし日の頃のように、明るく言葉を交わしたに違いない。
――その後貞子は、八十歳になる頃まで、約束通り、椿山荘を守る。
山縣が愛した風景を、己もまた、愛でながら。
同時に、日本という国は、続いていった。今も、なお。