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第15話 初代内閣総理大臣



 山縣は内務卿の執務室で、首元を正していた。本日は、初代内閣総理大臣の選定がある。首相を決める会議の場に、己が参加出来る事を、まず誇りに思う。しかし自分が総理大臣になるとは、思わない。なりたいかと問われると、正直分からなかった。

 伊藤には成果が無いと言われるが、山縣とて政府を更に安定させるべく働いている。その為に力が欲しいという思いは、伊藤と変わらない。

 政府の自分を除いた実力者としては、井上馨の事も忘れがたい。

「どうなさるんですか?」

 内閣制度が始まれば、内務卿という名称も、内務大臣に変わる。そんな事を考えていた山縣のもとに、腹心の部下の一人である大山巌が顔を出した。現在は彼が陸軍卿をしている。温厚な大山を見る時、山縣は器の大きさを感じる事がある。山縣と違い大山は、部下としても上官としても、補佐にまわり、任せる質だ。

「どう、とは?」
「俺としては、山縣内務卿も、十分首相に相応しいと思うんですけどねぇ」
「光栄な事だな」
「ただ、ほら、みんなの噂だと、三条様と伊藤さんの争いになるとかって」
「争いというのは正確じゃない。国にとって、相応しい者が首相となる、その為の場だ」

 単なる権力争いではないのだと、山縣は念じる。すると大山が朗らかに笑った。

「俺は山縣さんの、そういう真面目な部分を尊敬してますよ」

 その言葉に送り出されて、山縣は会議の場へと向かった。しかし理性では国のためだ、信念がある、そう繰り返しても、心の中に嫉妬や羨望、目が息吹き始めた権力への執着が無いといえば嘘になる。

 重々しい飴色の扉を明け、会議の部屋に山縣が足を踏み入れると、既に会議の出席者は揃っていた。山縣が一番最後だったらしい。己の席を目指して進んでいると、三条実美と視線が合った。彼を推す者達も、山縣を見る。

 一方の伊藤を推す井上馨などは、困ったように山縣へと視線を向けた。伊藤本人は、俯いている。この時伊藤は、己が内閣総理大臣になる事は、現時点では無いと、半ば確信していた。生まれもあるが、山縣がまず自分を推さないだろう。その状況下では、仮に首相になったとしても、山縣の協力が得られない可能性が高い。好敵手であっても、今は親友と呼ぶには溝があるとは言え、発言力を増してやまない山縣の協力が得られなければ、内閣の維持は厳しいものがある。山縣が欠くならば、総理になっても困難の方が多い。ならないとは思っていたが、なった場合も不安の方が大きい。ならば、首相という力を今回は諦めるほかない。伊藤はそう考えていた。

 こうして、会議が始まった。

「やはり太政大臣の三条様は、お生まれが違いますな」

 三条実美を推す一人が、それとなく切り出した。あくまでも雑談のような口ぶりだった。三条実美本人は、複雑そうな顔で腕を組んでいる。彼自身も、己があくまでも名目上のトップだったと理解しているからだ。その後も、三条実美に対する賛美は続いたが、どれも高貴な身分を褒めるものばかりだった。

 その流れを打ち切るように、静かに発言したのは、井上馨である。

「しかしまぁ、世の中は変わりましたな。鹿鳴館外交をしていても、言葉の壁というのは、思いのほか大きいと感じますよ」

 井上はそう告げると、心なしか引きつっているものの、努力するように笑顔を浮かべる。

「やはりこれからの総理大臣という新しい、大日本帝国の代表は、外国とのやり取り――それこそ、赤電報の一つも、すらすらと読めないと、とても西洋と並び立つ事は出来ないのでは無いでしょうかねぇ」

 三条実美が英語を流暢に話せるわけではないと、勿論井上は知っていた。井上は言いながら、伊藤の方を見る。伊藤は井上に対して、片目を細めくしながら、口元だけに笑みを浮かべた。井上だって英語はそれなりに出来る。しかし伊藤と親しい井上馨は、伊藤を首相にと推す一番の人間だ。

「だったら伊藤! 伊藤君しかいないなぁ」

 そこへ、声がかかった。伊藤が硬直する。それから目を見開いた。
 その聞き慣れた声の主は、しかし予想外にそんな事を言った。
 ゆっくりと確認するように、伊藤は山縣へと視線を向けた。

「ペラペラと英語を話せて、文章も読める。確かにこれからの時代には必須だなぁ」

 山縣は一歩引いたような、興味がなさそうな瞳で、よく通る声を放つ。それから緩慢に視線を動かし、伊藤を見た。視線が合うと、山縣は口角を持ち上げて、ニヤリと笑った。しかし今度は、その瞳に苦笑が見て取れる。




 ――その数日後の夜、伊藤と山縣は、富貴楼にいた。
 二人が最後に揃って訪れてから、十年以上が経過している。

「伊藤博文内閣総理大臣、か」

 開け放された窓からは、冬の海が見える。薫ってくる潮風は、現在も過去も変わらない。

「狂介には、反対されるかと思うちょった」

 現在室内には、二人と――お倉しかいない。お倉は、二人に酒を注ぎ終えると、窓辺に座って外を眺めている。山縣と伊藤は、その姿を一枚絵のようだと感じながらも、まるで二人だけがここにいるかのような体で話をしていた。

「なぁに。ここでの予言が、本当になったっつぅ事にすぎねぇだろ」

 冗談めかした江戸弁で、山縣が答えた。すると伊藤が吹き出した。
 お倉は何も言わない。

 結局の所、国を思えば、伊藤以外の選択肢は無いと、初めから山縣は考えていた。やはり、溝――対立したとしても、それはお互いが国を思うからこそだったのだ。上辺でいくら険悪になろうとも、相変わらず二人は気心が知れた親友のままだったのだ。

 こうして久しぶりに気楽に話をしてみたら、驚く程昔と変わらなかった。
 山縣はいつかこの部屋で、伊藤が首相になる日が来ると考えた事がある。
 それが現実になっただけの事だ。

「狂介、内閣ではお前が尽力してくれる事を期待しちょる」
「――俺達は方向性が違う。よって、俺は俺の信念を貫くから、協力出来ない事は出来ない。そう言う時は、率先して俊輔を推す事は無いぞ。先に断っておくがな」
「相変わらず真面目だな。僕に取り入って、地位を固めるという発想は無いのかい?」
「今でも散々、長州藩閥と言われているだろうが」

 山縣の言葉は事実だったが、伊藤はそれが正確ではないと知っている。一つは、薩長で政治をしつつ、政党政治を考えてもいる伊藤は、単純に政府の中で現在の所、発言力が高いといえる人材が、あくまでも薩長に限られているだけだと理解していたからだ。

 大事なもう一つは、藩閥政治の代名詞のように挙げられる山縣は、勘違いされていると知っている点だ。まるで在りし日の西郷隆盛のように、山縣は一度面倒を見たら、その後の面倒見も良いのだ。何もそれは、長州の者や陸軍省上がりの者に限った事ではない。確かに近しい彼らをより大切にしている面もあるだろう。それは木戸に蔑ろにされた過去が手伝っているのかもしれないと、伊藤は時に考える。だが、山縣の元に集う多くは、山縣の面倒見の良さに惹かれてやってくるのだ。これは、伊藤には無いものだった。伊藤は人当たりは良いが、誰かに目をかけたりはしない。よく言えば、平等であり公正だったが、悪く言えば、割り切り、冷たいのだ。古くからの友人はいるが、伊藤の下に集う者は、伊藤を慕う同志のような存在よりも、圧倒的に伊藤を過度に尊敬しているか、権力欲が旺盛な者ばかりである。伊藤は、山縣の人望が羨ましくもある。

 伊藤は、誰よりも山縣を理解している。だからこそ、相対するのだ。

 ――その後、伊藤はますます力を増していくのだが、山縣もまた、伊藤に次ぐNo.2の座を確固たるものとしていく。


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