第8話『心の絆』
ギャンブルマスターである白い燕尾服の女と一樹の心の絆は、女にとっては深く切ない……。
なぜなら一樹の体験は、記憶ごと失われてしまったからだ。
知るのは、白い燕尾服の女ただ一人だけ。
彼女と彼はなぜ、特別な絆で結ばれているのか。
かつて転移前にいた世界東京で、一樹が命懸けで助けた相手……。
それが彼女だった。
一命を取り止め無事助かったものの、しばらくした後、まったく別の要因で死してしまう。
本来転生して天使になるところを、いずれ一樹がイルダリア界にくることを知り、死神となっても一樹を導き救たいと考え、今の身に落ち着く。
ただし時間軸は異なり、彼女が死神に転生してから異なる時間軸で過ごし千年以上の歳月が流れてから、ようやく一樹に巡り会えたのである。
そう、すでに彼女の目には一樹との一つの未来が見えていた。
だからこそ、天使を捨ててまでして今に至る。
思い人をいずれ、自身の力で救いだす。その代わりに……。
――今は。
女は、正体を明かせぬまま当時の色褪せぬ思いで、暴走しそうになるもなんとか抑えてふれあう。まさしく千年の恋である。
そうとも知らずに一樹は、どこか安堵する相手と感じるものの、答えはわからないまま接していた。
――ある日。
晴天が広がり、暑さや寒さを感じない穏やかな空気を肌に感じ取れる陽気な日だった。
まったく持って、地下街なのを忘れてしまうほどだ。
一樹は、ぼんやりと風景を眺めながら、この地下街のことを考えていた。過去の偉人たちはなぜ、高度に発展したこの場所を放棄までして、どこに消えてしまったのだろうかと。高度な魔導技術で作られたのは一目瞭然だ。
単に、自身の知識不足でわからないとかならまだしも、どうやらどこの文献にも消えたことについては触れておらず、残ってすらいない。
あえて表現するなら、突然消えたと言える。
それでも、当時から積みあげられた知識は、魔導図書館に行けば唸るほどある。
知識は貴重で、現存する最古の図書館だろう。
そうして知識の共有化もされ受け継がれているので、魔法は高度なまま維持し続けている。
といわれるものの、詳しくは知らない。興味本位で以前図書館に通い詰めて調べただけの話だ。
ただ言えるのは、途中で歴史の途絶えている時期がある。
原因が何なのかは知らず、何年なのかも知れず他の大勢は意識もすることなく、今に受け継がれている。
不自然さや違和感があったとしても今日の自分と明日の自分に関係なければ、興味を持たない人の方が多いだろう。興味を持つのは一部の者と後は、せいぜい歴史学者ぐらいだ。類推ができても、それを今の生活にはまったく影響しない。
今を生きている世界とは、そいうものだ。
一樹は、中央の巨大な柱となっている場所からほど近い中央広場にて、ぼんやりと空を眺めていた。
隣にはどういうわけか、白い燕尾服で仮面をつけたままのギャンブルマスターが座る。目の部分に細いスリットしか入っていないので、表情は変わらずわからない。
それでも、なんとなく微笑んでいるぐらいはわかる。どことなく、雰囲気で感じ取れるようになるぐらいまで、会話を重ねてきたのかも知れない。
ギャンブルマスターは、ぼんやりしている一樹へ不意に声をかけてきた。
「ねえ、一樹はなんで、今日一緒に過ごそうと思ってくれたの?」
思わず一樹は考え込んでしまう。そういえばなぜなんだろうと。
そこで、わからないなりに感じたことを伝えようと、口を開く。
「俺にもよくわからないんだけど……。なんだかどこか知っている人の面影に近いのか、見ていると安心する瞬間があるんだよな……」
一樹の言葉の意味に対して敏感に反応を示し、仮面をつけたままの顔が一樹の顔に迫る。
「知っている人って? 記憶を少し取り戻せたの?」
一樹は気にも留めず、ゆっくりと考えを伝えた。
「う〜ん。何も掴めていないんだよな……。東京でのこととなると、まるでわからないんだよな。あっ、東京って、前にいた世界での話な」
一樹はコンパネを教えてくれて、かつ世界樹とパイプを持つこの女なら、別に話しても大丈夫だろうと思い軽く転移前の話に触れた。
ギャンブルマスターは何か思い悩むようにして、地面を見つめているように呟いていた。
「それってもしかして、いた時の物を見たら、記憶が蘇ることはあるのかしら……」
今座る場所は、芝生のような草が生え渡り、皆それぞれがくつろいでいる。とくに何か建設する予定もなく、相当以前から芝生だけが生えた場所として、皆の憩いの場になっているとのことだ。
ある意味、公園に近いのかも知れない。広さは一戸建てが縦横に五十軒ずつ収まりそうな場所は、相当広いと言える。
一樹は賞金首ではあるものの、穏やかな場所でゆっくりと過ごすのも悪くないと思っていた。危機感が足りないと言われれば、それまでかもしれない。とはいえこうした時間は、一樹にとって今は大事に思えていた。
というのもついこの間、ようやく浅瀬でゾンビアタックをし始めて、さらに帰還後は『ポショ』作成となかなか濃密な時間の使い方をしていた。
やっているゾンビアタックは、いわゆる『ポショ』の「ぶっかけ狩り」で、大きく負傷したら体にぶっかけて湯水の如く使いまくり、敵対する相手を倒していく戦法だ。即死以外ほぼ一瞬で完治するため、『ポショ』があるうちは無敵に近い。
無茶な戦い方をする分、経験値への見返りも大きい。
とはいえ、例の脳を分解する『経験の書』のおかげで、一樹は短剣での暗殺者の動きはできる。
やっていることは非常に危なっかしいと言われ、ギャンブルマスターもついてくることになり、今日の過ごし方もその時に話た何気ない約束だった。
神経を張り詰めすぎると、いつか気づかぬうちにやられるので、こうした息抜きが必要らしい。
今の一樹は、できることが増えてアドレナリンが出まくりだった。本人は、まったく問題ないと認識をしているだけなので、それ自体が異常だから気をつけた方がいいとまで言われる。
たしかに今は、一樹のワクワク感ばかりが全面にでているものだから、思わぬところで足をすくわれることもあるだろう。
意外なことに、一樹は助言について素直に聞き入れることが最善だと思って受け入れている。
なぜなら、経験則による答えであれば、確かな正解の道へのショートカットだからだ。
失敗して学ぶことで得るものは多いにせよ、正解がある程度予測できるならそれに越したことはない。
ぼんやりと考えすぎたのか、ギャンブルマスターが一樹の肩を指先で突いて、ようやく今になって気がついた。
ついついぼんやり考え込んでしまったことに、一樹は素直に詫びる。
「あっ、悪い。マジで今気がついた」
仮面をしていてわからないもののギャンブルマスターは、何処か頬を膨らませているような気がした。
「もう、大丈夫? 慣れないことばかりで、かなりきていたりする?」
「それもあるかもな。今ぼんやり考えごとをしていたんだ」
「どんなこと?」
「狩りのこととか、かな?」
「そう……。何か東京のことで思い出したことはある?」
何か期待を込めて一樹を見ているような雰囲気だ。というよりは、目線が釘付けになり痛いような気もする。
「唐突にそう言われてもな……。ん? 八王子駅の南口にとちの木通りってあったような……」
空を見上げながら思い起こすように話して横を見ると、さらにめちゃくちゃ顔が近い。顔というより仮面が近いか……。
「うん! それで?」
「いや、そこまでだ」
期待から一気に、奈落へ急降下したかのようだ。なぜか肩の力が、すっぽり抜けたような姿を見せる。さらに悩むような姿も見せている。何が彼女をそうさせているのか、まるでわからない。
「どうしよう……。でも……。やっぱ」
あまりにギャンブルマスターらしくない、しおらしい態度を取るものだから、思わず聞いてしまう。
「どうしたんだ? ギャンブルマスターらしくないな?」
すると意を決したかのように、仮面をゆっくりと外しはじめた。思わずその動きに目が囚われていると、劇的な変化があった。ギャンブルマスターの素顔は、とんでもない美少女だった。
まつげは長く影になるほどで、黒目がちな目は大きく潤んでいるように見える。前髪は横に流れており軽やかに見えた。
なぜこれほどまでの美貌を隠しているのかはわからない。ただ、どこか懐かしいような、それでいて切なくなるような、そのような心持ちになる。
――なぜだ……。
それが俺にはわからなかった。思わず頬から涙が伝う。
一樹の涙に驚いた様子をギャンブルマスターは見せた。
「えっ? 何か気がついたの?」
涙を流した本人ですら、なんだか理由がわからない。
「わからない。どこかであったような気がしてさ……。それに、なぜこんなにも嬉しい気持ちと、真逆の悲しい思いがあるのかわからない」
頬を伝う涙が意味する物は、まるでわからずにいた。
ところが、その答えに満更でもなさそうな態度をギャンブルマスターはとる。
「そう……。今、これ以上は言えないし、何も答えられないけど……嬉しい!」
なんだかわからないけど、ギャンブルマスターがひどく近しい存在に見えてきた。残念ながらそれ以上の記憶は辿れない。
辿れない意味はおそらく、俺の失った記憶に、深く関わることなのかも知れない。
やはりこの感覚があるのは、俺にとって深く心に残る何か関係することだろうか。
そうすると、ギャンブルマスターは同じく転移者なのかもしれない。これ以上答えられないなら、答えなくてすむことを伝える。
過去ももちろん大事だし、これからはさらに大事だ。たしかに知りたいと思う気持ちは嘘ではないし、知れるなら知りたい。
とは言え、過去の俺自身が選んだ選択肢だ。当時の状況はよくわからないし、その時選べる中で一番よい選択をしたと思いたい。
だから今の思いを信じて伝えようと思う。
「会えてよかった」
ギャンブルマスターは頬を赤く染めて、眉を背伸びさせ目を大きく見開き、思わず開いた口を手で覆い隠し驚く。
「え?」
今の一樹にはわからないけど、頬を自然と伝う涙は決して嘘ではないと思っていた。
だから今の思いを伝える。
「恐らく記憶があったなら、きっという」
ギャンブルマスターは、指先で涙を掬い上げる仕草を見せると酷く悲しそうでいて、嬉しい気持ちも混在しているような様子でいう。
「うん……。私もよ」
ぽろぽろとこぼれ落ちるほどの大粒の涙を、ギャンブルマスターは流しながら、今日一番の笑顔で微笑んだ。