第三話 過去
私は、セバスチャン。奴隷だ。
前の主人は立派な人だった。小さな領の代官だったが、一代で叙勲して、準男爵を経て男爵に陞爵した。子爵にもなるのではないかと言われていた。
領地を得てからの旦那様は、領民には優しく、味方となった者には、どこまでも誠実に対応した。
敵対した者には徹底的に戦った。特に、領民を不幸にする敵対者には、慈悲を与えない。係累には手を出さないが、関係した者は徹底的に潰した。相手が、上位貴族でも矛を収めなかった。
味方も多いが、敵も多かった。
特に、近隣貴族であるアゾレムとはそりが合わなかった。
旦那様が、男爵に陞爵した時に、アゾレムは”マガラ渓谷越えを行いマカ王国から領土を奪還する”と声高に宣言した。
アゾレムは準男爵としては大きめの領地を持っていたが、元々の気質なのか領土は荒れ果てて、領民の数も少なくなっていた。そして、メルナの森に隣接する領地には、森から魔物たちが日々の生活を脅かしていた。森も徐々に広がっていた。
アゾレムは、少ない手勢と、教会勢力から借りた兵と、派閥の長から借り受けた兵で、マガラ渓谷越えを実施した。
数年に渡る戦いで、王国はアゾレム以外にも大きな損害を受けることになった。アゾレムの後ろに居る宰相が、引くに引けない状況になってしまい。国是とまで言い切って、マガラ渓谷越えを実施した。
過大とも思える犠牲の上に、マカ王国が持つ街や村の多くを占領した。
マカ王国は、スナーク山脈から流れる豊かな水を讃えるスナーク大河までをトリーア王国の領土とすることで、戦争を終わらせた。
王国は、新たに得た土地を、アゾレム新男爵に与えた。
マガラ渓谷から先の領土は、アゾレム新男爵を筆頭にした、宰相派閥に占められることになった。
私は、アゾレムは気に入らないが、アゾレムが新しい領地に変わることで、旦那様から離れるのは”よい”事だと思った。
痛がらせの様な通告や手紙を受け取る回数が減るだろうと考えた。
それから、数年は平和に過ごせていた。
アゾレムが、マガラ渓谷の渡り場を作り、法外な値段をつけていると聞いたが、マガラ渓谷を渡るような用事は無い事から、旦那様はあまり気にされていなかった。私も、旦那様からの命令があり、アゾレムや宰相派閥の動向を探っている時間が減ってきた。
旦那様は、貴族家の当主としては、立派な方だ。
しかし、一つだけ汚点となる
ご子息の教育を、奥様に任せてしまったのが間違いだった。
奥様も悪い人では無いのだが、間違った向上心と偏った貴族象を持っていた。そして、それをご子息に幼少期から教え込んでいた。
決定的になったのは、奥様が農民崩れの盗賊に襲われて、命を奪われてしまったことだ。
ご子息は、何もしなかった旦那様を”無能”と蔑むようになっていた。
旦那様は、貴族に必要な物は最低限に抑えて、領民の生活向上に務めていた。中央との繋がりは最低限に抑えていた。領民からの信頼が厚く、国王や先王陛下からの覚えはよかった。しかし、間違った教育を受けてしまったご子息は、中央との繋がりこそが貴族に必要な物で、貴族が貧相な生活を送るのは間違っていると考えるようになってしまっていた。当時・・・。隣接する貴族家は、アゾレムに代表する領民から毟りとっていた貴族家だ。実情よりも、虚像を優先し、貴族が贅沢をする事こそが正義だと言い続けるような者たちだ。
ご子息と旦那様の対立に発展するまでに、それほどの時間は必要なかった。
収穫祭を行うために、旦那様が領民を招いた時に、事件が起きた。
ご子息は、既にマガラ渓谷からスナーク大河までを領地にしていたアゾレムと繋がりを持っていた。
そして、あろうことかアゾレムから兵を借り受けて、”紛れ込んだ盗賊を討つ”と言って、収穫祭を襲った。
旦那様は、1人でも多くの領民を逃がす為に戦い。凶刃に倒れた。
私たち使用人にも逃げるようにおっしゃってくれたが、私たちは最後まで旦那様と戦う覚悟で居た。
戦いの最中に、ご子息に通じていた者に、旦那様が討たれてしまって、私たちの心は折れてしまった。
ご子息は、私たちを奴隷商に売り渡した。
アゾレムに関連する奴隷商に渡る前に、グローズ奴隷商に買われた。そこで、店主であるアッシュ様から話を聞いた。
旦那様のご学友であるアッシュ様は、旦那様から”もしも”の時には、使用人を頼むと言われていたようだ。
男爵家ですが、最低限の人数で運営していた為に、私たちは貴族家の表と裏に精通している。
グローズ奴隷商では、アッシュ様から頼まれて、奴隷となってしまう者たちに教育を行うことになった。
グローズ奴隷商で、数年を過ごした。
旦那様と過ごした日々は忘れないが、思い出となっていた。アッシュ様から、アルフレッド=ローザス・フォン・トリーア殿下を紹介された。その流れで、ミヤナック家の次期当主に内定しているハーコムレイ・フォン・ミヤナック様と知己を得ることができた。
その後は、貴族間のきな臭い噂や情報を扱うようになった。
身分は、奴隷のままだ。
何度か、ハーコムレイ様からミヤナック家に招きたいと誘われたが、私たち程度の者では、ミヤナック家では役に立たないのは解り切っていたので、断り続けた。
その後、何度か新興の貴族家を紹介されたが、以前のような情熱を持つことができなかった。
そして、先日。
アルフレッド殿下とハーコムレイ様から、パシリカを受けたばかりの少年に仕えてみないか?と、誘われた。
その少年は、王家の血を受け継いでいるが、王家に連なる”名”を持っていない。それどころか、貴族でもなかった。申請を行えば、伯爵くらいにはなれると言っているが、本人にそのつもりはない。
サビナーニ殿下。
護衛の騎士と恋に落ちて、駆け落ち同然の状態で、王都から姿を消した。
その殿下の子供だと教えられた。
殿下の夫である。ニノサ殿も有名人だ。彼と殿下の血を受け継いでいる。その者が、宰相派閥を追い込む為の文章を持っていた。ニノサ文章と名付けられた書類を取引材料にして、彼の仲間?が運営を始めるギルドという組織の後ろ盾になるように依頼してきたらしい。
アルフレッド殿下は、彼にメルナにある王家所有の屋敷と森(旦那様の元領地を含んだ)の全域を渡そうとしていた。それだけではなく、スネーク山脈近くの森や、アロイ近くの王家が所有している土地を渡そうと考えていると告げられた。
どんな功績をあげたのか詳細には知らされていないが、アルフレッド殿下とハーコムレイ様は本気のようだ。
そして、私たちに、彼・・・。”リン=フリークスに仕えないか”と・・・。
私たちは、返事を保留した。
実際に、彼を見てから判断したいと告げた。
それから、彼を監視した。
何度か、姿を見失った。
「セバスチャン。結論は出たのか?」
「はい。アッシュ様。私たちは、リン=フリークスを主としたいと考えています」
「わかった。ハーコムレイ様に連絡をする。早ければ、明日にも、来ると思う。君たちの素性や過去の話は、一切しない。リン様が、君たちを”NO”だと言えば、それまでだと考えていて欲しい」
「はい。解っております」
アッシュ様に、私たちの結論を伝えてから、3日後に、リン=フリークス様がグローズ奴隷商を訪れた。
監視していた時の印象とは違った。
見透かされているような目線だ。率直に、恐ろしいと感じた。旦那様・・・。元旦那様が、敵対者に向けている目と同じだ。
警戒されているのが解る。聡いお方のようだ。元旦那様のご子息のように騙されて、騙されていることを知らないまま全てを奪われるよりは、いい。
新しい主人を得た。
旦那様は、聡いお方だ。私の言葉から、家人の人選を委ねてくれた。
また、昔の様に旦那様を支えて、家を盛り立てる事ができるかもしれない。
私は、皆に感謝をしながら、リン=フリークス様。新しい旦那様を盛り立てる方法を考え始めた。
しかし、旦那様は、私たちなどが考えられる程度の器ではなかった。
本当に、これから楽しい日々が過ごせそうだ。