ついに初出勤、歓迎される訳も無く……
フォルティーネは肝を冷やした。邸の門を出たらちょうど、皇帝が迎えに降り立ったところだったのだ。予定の時刻よりも少し早めに来たらしい。アルフィーに促されなければ、皇帝を待たせるという不敬罪を犯すところだった。
アルフィーは通常、フォルティーネとエリアスが居るところでは気配を消し影のように見守るスタンスを徹底していた。室内では周りの家具、室外では木の一部等に溶け込んで一体化するように。彼には『カメレオン』のように隠密・擬態のスキルがあるらしい。普通にして本来、彼もまた非常に目立つ存在だ。どうやらフォルティーネとエリアスが一緒の際は敢えて隠密・擬態スキルを発動させているらしい。隠密捜査、影の護衛にも適しているという。その為余程緊急の事が無い限り、二人の会話を割って声をかけて来る事はない。故に、裏を返せばそれだけ時間が押し迫っていたという事だ。
皇帝は今回、黄金色の絨毯で迎えにやって来た。それを見るなり、エリアスの形の良い眉が歪み、不快感を露わにした。完全に、エリアス特性空飛ぶ絨毯の対抗だ。
「ハッハッハッ……記念すべき初出勤、かつ俺が皇帝となって初めての秘書官だ。信頼の証に#揃いの魔道具__・__#にしてみたぞ」
と皇帝は得意顔で笑った。
「これはこれは#今回も__・__#我が最愛の婚約者を、皇帝陛下がわざわざ直々にお迎えに来て頂き有難き幸せに存じまする」
フォルティーネはエリアスが何を言い出すのか冷や冷やしながらも共にお辞儀をする。
「帝国の永遠の太陽、ランハート・ルイ・ギベオン皇帝陛下に……以下省略……」
「ちょっ、ちょっとアリアス!!」
(以下省略だなんて……)と焦るフォルティーネをよそに、エリアスは涼しい顔で言葉を連ねる。
「何せ、#男しか居ない__・__#という仕事場に私の最愛の|女性《ひと》を送る訳ですから、どうにも不安になってしまいまして」
「いやいや、何の問題も無いさ。何故ならこの俺が直に連れて行く訳だからな。この事が何を示すのかを読み取れない無能な側近は居ないさ。なんたって#お揃いの魔法絨毯__・__#で初出勤する訳だからな」
皇帝も小馬鹿にしたように応戦する。フォルティーネは胃がシクシク痛み出した。
「いやいや、仕事自体は優秀だとしても。邪推をする奴らは何処にでも存在しますからねぇ……」
「まぁもし仮にそんなヤツが居たとしたら、しっかりと制裁を加えれば良いさ。見せしめにな」
皇帝は薄く笑った。何処となく残忍さを孕んだその笑みに、フォルティーネはゾクリと背筋に寒気を覚える。やはり、『冷血皇帝』『暴君』と異名には理由があるのだ、と再確認した。
「なるほど。……だ、そうだぞフォリィ」
突然向けられたエリアスの声に我に返る。
「あ、え?」
「だから、もし誰かに何か嫌な事言われたりされたりしたら、遠慮せずにすぐに陛下に報告するんだぞ?」
「あ、うん。そうね。陛下、心強いです。本当に有難うございます」
(いやいや、そんな告げ口みたいな事したら後が怖いって、もしかしたらクビになるかもしれないんだし)
フォルティーネは表面上はエリアスに同調し、皇帝に礼を述べながらも内心では複雑な思いだった。伏魔殿……不
穏な予感しかないが、兎に角やってみるしかないのだ。今朝方、初勤務に対して占ってみた事を思い出す。
(ウェイト版タロット78枚で『今日の私の一日とそのアドバイス』を占ったところ、今日の私『ワンド4・逆位置』……この場合は『歓迎されていない』。あー、やっぱりね。で、アドバイスは『ソード2・正位置』つまり二枚舌の相手に注意せよ、逃避してはならぬ……だったのよね。うーん、やっぱり初日から厳しい状況になりそうなのよね。まぁ当然と言えばそうだけれども)
そんな事を思っていると、
「さて、そろそろ行くか!」
と言う皇帝の声に身を引き締めた。
「フォリィ、くれぐれも気をつけてね。絶対に無理はしないようにね」
エリアスは囁くように言いながら、背後からフォルティーネを包み込むように抱き締めた。
「うん、大丈夫よ。取り合えず二時間だけだし。行って来るね」
胸の前に回されている彼の腕に両手を添えながらフォルティーネは応じた。愛されている心地良さにほんの少し善いながら。
「……過保護なヤツめ」
呆れようにぼそりと呟く皇帝に、エリアスは両腕の抱擁をゆっくりと解き、フォルティーネの背中を軽く押しながら「では、宜しくお願いします」と軽く頭を下げた。
「任せておけ」
皇帝は軽く手を挙げてこたえると、フォルティーネを視線で促しヒラリと黄金の魔法絨毯に飛び乗った。フォルティーネも、準備万端んで待機していたエリアス特性魔法絨毯へと乗る。勿論、エリアスのエスコートつきなのは言うまでもない。フォルティーネが乗り込んだタイミングで皇帝の絨毯がふわりと浮き上がる。フォルティーネもそれに続いた。同時に、二人を中心にして大地に浮かび上がる大きな光の魔法陣。それが光の柱のように天空に伸びて行くと、すぐに光の道へと変化していく。それを辿るようにして二人は進んで行った。
見えなくなるまで見送っているエリアスとアルフィーの視線を背後に感じつつ、フォルティーネは皇帝より三歩ほど下がった距離を保って飛ぶように思い描く。次第に緊張感が増してくる事は否めない。緊張している事を否定するよりも受け入れて開き直る方が良い、とフォルティーネは経験上知っていた。
(これから#伏魔殿__・__#に乗り込む訳だもの。緊張するのは当たり前の反応よ)
「大丈夫だからな」
皇帝はこの上無く優しい笑みを浮かべ、穏やかな声を発して振り返る。その春の日差しのような柔らかな言動を意外に思いながらも、淑女の微笑みと会釈で応じた。周囲に巡らされている光が一際眩しく輝く。数回瞬きすると、大聖堂を連想させる重厚な広い廊下が目に飛び込んだ。次に、深紅の薔薇と瑠璃色の狼が描かれたステンドグラス制の扉……の前にズラリと立ち並ぶ男性陣。扉を中心に左右に五名ずつ、年齢は様々だが紺色の地に銀色の飾りボタンのついた制服に身を包んでいる。
ドキッとフォルティーネの心臓が竦み上がった。皇帝とフォルティーネを迎える為に並んでいる側近たちだ。皆、口元に笑みを浮かべているが瞳は冷やかに見つめている。
(これは……明らかに歓迎されていない、わね。まぁ、予想通りなんだけど)
十名分の刺されるような視線に全身を晒されつつ、魔法の絨毯がくるくると自動的に巻かれ空気に溶け込むようにして消えるのを待つと、フォルティーネは一歩進み出て極上のカーテシーをした。取り合えず、最初が肝心だ。相手がどうだろうが、挨拶だけはしっかりしないと。
フォルティーネの頭の中には、皇帝がどんな反応を示していようが気にする余裕は無かった。