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幽霊問題

メルクリウス寮の幽霊問題は歴代の申し送り事項だったにもかかわらず、塩漬けにした学院側にも責任がある。情報漏洩でなく情報の抱え込みを論うのなら風通しの悪い魔導査察機構はどうなのか、と。

地縛霊の言い分を聴取し環境改善を先送りした点をディック氏に問いただす。
しかし彼とて匙を投げていたわけでなく、膠着状態のまま息苦しい日々を送っていたことを必死に弁明した。

どうにもならない状況を孤軍奮闘する一生懸命さはハルシオンの可愛らしさにつながる。

まったくもって血は争えないというか。

それはハルとハルの母の行動を見ているかのようで、あの時母がとった行動がハルが母を真似しているかのように思えるものだったのを。
だから俺はハルシオンが研究について何も言わず、隠していたことに気づいていることを今改めて知ったのだ。

俺は彼女の発言によって自分のしたことが正しかったということを知るとともに罪悪感を感じていた。ハルシオンが研究内容を秘密にしていた理由、俺は彼女のことを思ってやっていなかったことに気がつかされた。彼女は俺のことを想ってくれていたから、俺が傷つくことを良しとしなかったから研究のことについて口に出すことを我慢した。しかし彼女の研究を他の人にまで隠すことが正しいことだとは到底思えなかったからだ。

俺はいたたまれなくなった。

「かあさん、もういいだろう! 皆カツカツなんだ。鬼詰めしないでくれ!」
そしてハルシオンの活躍ぶりを(かなり盛って)報告した。
「パルスマギメーターの研究が幽霊少年グルッパを救ったんだ!」
しかし、母はひるまない。「第一に水星逆行の克服とこれとは別問題」
俺の母は続けた。「二つ目に、研究を秘匿していることを私は許せない」

名指しされてハルシオンはうつむいたままスカートを濡らしていた。
「学術研究に善悪はないと信じます。諸刃の剣は使う側の道徳次第です」
そういった。それから少し間を置いてから再び語り出す。
「私だって思い上がってた部分があった。でも、結果が全てだと思うわ!」

エリファスが腕組みをほどき、重い口を開いた。

「あなたの研究がどのようなものであるかをあなた自身が理解していなかったことには驚きましたわ。それなら、研究が失敗に終わる可能性は十分にありますものね。あなたが研究の内容を知ることができない状況においてあなたの研究が成功する見込みはほぼ無いと言えるかもしれませんわね」といって俺を指差しながら言った。

すると、だ。ハルシオンがキッと両家の母親を睨みつけたのだ。

まるで俺を守る白馬の姫騎士であるかのように雄弁をふるった!

「この研究、私の基礎がなければ成功しないことですわよ。この研究は私にとって非常に重要なものだと思っておりますの。あなたには分からないと思いますけど、私はその研究を認めています。
ですので、研究の成功、ひいては赤ちゃんの健康のために私がこうして来ているのです」と言って締めくくって一礼すると彼女は元居た場所へと戻っていったのであった。その光景を見ながら俺は心の中で思った「何者なんだ、彼女は……」と……。

と、その時、講壇に置かれた一冊の資料にオプスが気づいた。素早く流し読みして甲高い声で呼び戻した。
「ちょっと…これ…」

睨みつけられて、ハルシオンが「わあっ」と舞台袖へ隠れる。
オプスは目を白黒させながらページを繰りなおし、叫んだ。
「どういうことなの? これ、ハルちゃん…貴女ねえ!」

ここからがハルシオンの恐ろしいところだ。あとは怒涛の展開だった。
彼女が全部持って行った。
ハルシオンの感情をブレンドする研究。聞こえはいいが内容はぜんぜんマイルドじゃなかった。パルスマギメーターの副産物として地縛霊を分離する技術。
それは悪霊退散と言った従前の荒療治でなく、真逆の和解する方法だった。
反魂法の一部を拡張して死者を復活させるのでなく昇天と再生をブーストする発見だった。これを発展させれば怨霊のたぐいはスムーズに輪廻転生する。
その副作用として新しい霊の定着をうながす。出生率をあげる作用がある。
(お腹の赤ちゃんって誰の子だ。まさか、処女懐胎した?)

荒唐無稽な話だと思いたい。だが、水星逆行に打ち勝つ力というのは並大抵のことではない。ただ反魂法は自然の摂理に逆らう儀式だ。
だが、こう考えられないだろうか。
やることなすこと全てが裏目に出る星のもとで森羅万象に楯突けばどうなる。
万物理論が盛大にバグって凄まじい作用が生まれるのではないだろうか。

その考えが頭を過ぎっていると横でディック氏が口を開く。
「すごいですね。あれが……うちの妻から聞き及んでおりましたが、まさか本当にそのようなことを言われる方がいたなんて」と俺に告げてきたので俺は「ええ、そうですか」と返事を返すしかできなかった。

ディックがエリファスから孫の顔を催促され不妊治療に通っていた話はあとで聞いた。夫人も悩んでいたが、はからずもハルの研究に救われる形になった。

俺とディック氏はしばらくハルとハルシオンの研究についての会話をしていたが、しばらくして俺は彼に言った。
「研究については、俺に任せておいてくれ。君の奥様は君の研究成果を待っていますよ」と言うと彼は「ええ……わかりました。
妻に伝えておくことを約束しましょう。
あなたのおっしゃる通りにしますのでよろしくお願いします」と頭を下げながら言って来た。俺はそれに答えるようにして「もちろんですよ」と笑顔を浮かべながら言ったのである。すると、エリファスが
「あなたの研究、是非見せて頂きたいものです。きっとハルが喜びそうね」
と笑った。
「私としてもぜひ拝見させていただきたいと思っておりますわ。これからの研究にも役に立ちそうでしてね」と言ってきた。
「ハルシオンさん」と俺は言って彼女を見た。
「私の研究があなた達の役に少しでも立てば幸いです」
ハルシオンはそういって一礼した。その時見せた顔は真剣で、今までのどこか抜けたような感じの顔とは違って凛々しく見えた。
「では」と俺は言って立ち上がる。
「ありがとうございました」
と彼らは言った。ハルシオンの母親は最後に「ハルのことよろしく頼む」と頼んできたのであった。
「ありがとう」
ハルはそう言った。
「うん、ハルもありがとう。ハルのおかげで少し気持ちが晴れた」

ハルシオンの母親の家を出た俺たちはすぐにマンチェスターにある研究所へ向かった。
「よかった……私の研究成果が認められるんだ……」
ハルシオンは嬉しそうだ。
「ハルシオン、これからは僕が支えていくから、安心して研究を続けていいんだよ」と伝えたのだがハルシオンは答えた。
「ありがとう。嬉しいな……」
ハルシオンの声に覇気は無かったがその目は輝いていたように見えたのだった。
俺達はロンドンからマンチェスターへ戻ってすぐに研究所へ向かった。そしてハルシオンの母親とのやりとり、また査察機構から連絡が来たことで、俺は俺の研究が認められることになったことを喜んだ。

ただ一方で少し思うところもあった。果たしてこれで良いのだろうかということだ。俺は俺自身の判断に自信がないわけではない。でも、俺の行動は俺だけの意思に基づいて行ったものではなく全てなりゆきだ。そのことに少し抵抗を感じ始めていたからだ。そんな時だった、突然部屋にあった翡翠タブレットンから音が鳴り響いた。画面にはメッセージが書かれていた。
内容は
『お疲れさま。ハルシオン・カルタシスと会えたかしら?』
という文面からだった。
オプスからのメールだったのである。

俺はすぐさまハルシオンの方を見て彼女に尋ねた。
「今の音聞こえたか?」と聞いたので彼女は首を縦に振った。
俺は画面を操作し、
『さっきはどうも』

そう書いたメッセージを送信するやいなやすぐに返信があった。
『いえいえ』と書かれた文章だ。翡翠タブレットはメルクリウス寮の件で厳格化された新しい魔導通信プロトコルに対応した最新版だ。
オプス先生はこんなこともあろうかと予め準備してくれていたらしい。
俺はそんな彼女に対し改めて尊敬の念を抱いた。それから俺が画面を見つめている間にも彼女は話を続ける。

『魔導査察機構の人から話は聞かせてもらったわ。応用魔導工学の研究予算は増枠が承認された。おめでとう。君のお陰だわ』という文字が表示される。
「ねえ……どういうこと……あんた、何かしたの……?」
ハルシオンは尋ねてきたが話していいかどうかわからないので言うべきでないと判断し、
「まあまあ」と言いながらごまかすことにした。不妊治療分野の可能性に関してノースから呪術医学会に例の小冊子を回してもらったのだ。結果は上々でこの翡翠タブレットもメーカーから供与されたという次第だ。

そんなやり取りをしていると、次の瞬間また別の画面が現れたのだ。発信人はディック氏だった。

『査察官としてではなくハルの友人としての俺から君に忠告しておく。まず最初にハルは、君のことを大切に思っているみたいだから、報いるべきだろう。それからハルシオン・カルタシス、お前のことは、お前の研究の協力者、お前の理解者を含め数え切れないほどの人間が認識している。俺もお前とお前の夫が望むのであれば研究に協力できる立場にいる』と表示される。
俺は思わず「どういう意味でしょうか?研究に協力するということはハルがあなたと一緒に住んで、一緒に生活しろということですかね。
もしそうだったらお断りしたいところですが」といった。画面の中のディック氏は言う。
正直言って結婚相手の兄貴と同じ敷地内で暮らすというのは気が進まない。

「いやいや。君たちと査察官が同じ施設に入ることは残念だけど難しい。利益相反と便宜供与になるからだ。だが、ハルシオン・カルタシスの住居をセキュリティー対策の一環として提供するという約束は出来るかもしれない。」
ハルシオンが驚いてこちらを見る。
「それは……お腹の赤ちゃんがと安心して暮らせるということかな……」と言ったので俺は
「まだよくわからないけど……」と不安げに答える。
監督省庁のセキュリティーポリスがつかず離れずの位置で護衛任務にあたるというが妹を監視下に置きたいディック氏の下心が見え見えだ。
彼女は
「そっか……」と言って俯いた。それからしばらく無言の時間が続いた後、彼女は言った。

「私ね、自分でも感情融合技術の進展にどんな未来が待っているか研究テーマが自分に何をさせようとしているのか百パーセント把握していたわけじゃないけど……でも、あなたが私を元気づけようとしてくれたことはすごくわかったから……だから私はここにいていいと思ったんだ……私はどんな善意も拒まずここで研究をすることにするよ」といってから俺達を見て微笑みかけたのである。

その笑顔はどこか切なくも思えたが俺はそれでもいいと思っていた。だから彼女の言葉を信じることにしよう。そう思っていた。

そのタイミングでまた通知が届いていることに気づく。俺はその画面に視線を向けた。するとそれは来客通知だった。
俺はそのことをハルシオンに伝える。するとハルシオンが言った。
「あの、オプス教授が今、玄関前に来てくれているみたいなんだけど、どうしましょう」と聞いてきたので俺は
「せっかくだし話してくるといい」と言う。ハルシオンはそれを聞いて「じゃあちょっと失礼します」と言って部屋の外に出ていった。彼女が戻ってくるまで、俺達は待つことにしたのである。

ツルシダがしげるプロムナードに若草色のスカートがトコトコと駆けていく。

数分が経ち、ハルシオンは帰ってきた。

彼女が開口一番発した言葉は俺の予想していなかったものであったのだ。その内容はオプスがディック氏とハルシオンの母親との間で行われた会話の一部分を聞いたというのだ。ハルシオンの言葉をまとめるとこうだった。

グルッパと名乗る公益通報がありパルスマギメーターの閾値設定に魔導査察機構が関与しているというのだ。メルクリウス寮の幽霊問題は黙殺というより長期的な意図が疑われるという。

しおり