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いい実験材料

「もともとオプス先生が通信魔導工学のいい実験材料だって言ってたんだし」
メルクリウス寮の工期を水星逆行時に含める件は教授の申し入れだという。
脈衝妖気儀《パルスマギメーター》の人心動転耐性に極限を与えて閾値を探るとかなんとかいう開発テーマに霊的鬱憤の解放はうってつけだったらしい。

呪術医《シャーマン》業界にノースが攻めの営業をしかけているせいだ。
おかげさまで潤沢な研究資金を託されているらしくオプスは耳が高い毎日だ。

メッセンジャーである俺を研究陣に抱え込めば渉外がはかどる。そしてハルと俺が仲良くなればノースの野郎、いよいよ本丸を攻略できるっと。こん畜生。
まぁ、俺だって応用魔導工学系で厳しい就活に望むよりは遥かにいい。
「怪我の功名、てとこよね」
ハルシオンがベックスを飲み干す。
「あの……そんな、こちらから巻き込んじゃったことなのにごめん、…でもハルシオン、君も研究に協力して欲しい……もう一度、ノースと一緒に僕の目に適う研究方法を見つけて欲しい」
それを聞いたハルシオンは、
「どういうこと?」
「え、え~と……だから、二人の心が混ざり合うという研究のことで、その話」
俺はオプス研究室に併設予定の共同実験室のことを言っているのだ。ノースがいよいよ産学一体ビジネスに色めき立っていて俺は彼の設立するベンチャー企業の嘱託という身分になる。居住スペースつきのフロアを貰えるからワークライフバランスもいいかな、と。
「えっと、それだけ?」
ハルシオンはきょとんとしている。将来設計の話は心に響かなかったか。
俺はあわてて場がしらける前に取り繕った。
「そう、それだけです。その話が嫌なら、もういいんでしょ?」
ハルシオンは俺の目をじっと見つめ、どこか不安な色を含んだ声で告げた。
それからはハルシオンが話始めた。
彼女は自身の研究についての話を、それは無味乾燥で眠気を誘う内容だった。

虚栄心を二乗すれば負の感情となり内向性のベクトルを持つとか情緒のうねりと逡巡の円弧を回転運動から物資と精神の複素数を含む正弦波に変換とか。

どれも通信魔導回路を設計するうえで必要らしいが、そんなことよりも…。
「ハルシオン……あんまり僕自身に関することは話してくれないね」
俺は彼女の目に焦点を合わせ、その表情を目に焼き付けてみた。
「なんだよ、その微妙な表情は……」
「いや、君には特別な研究について話しているところで……」
俺はそこでハルシオンの話が気に食わないことを理解した。この研究、ハルシオンの興味は俺の研究だけで、彼女の興味はこちらではないということだ。
「何、言ってるんだよ」
ハルシオンは俺の声を遮るように話し出す。
「研究は君のものでしょ? 誰かに聞いたって教えてはくれない、それは君のはずだと思って……」
ハルシオンはそこまで言ったが、俺には彼女が話すのを待っているように思えた。
すると、ハルシオンは何か考えた後、俺に告げた。
「お母さんに相談しない?」
「え?」
ハルシオンはそれから、こう続けた。
「『お母さん、もし君がお腹の赤ちゃんに危害を加えられたらどうする? 』何て普通、訊くか?その時の反応でだいたいわかるでしょ」
俺は彼女によって俺の研究のことを聞かされたのに、その後も研究について話したり、母親の反応について話すと、ハルシオンに突っ込まれるというのは初めてであった。
「僕にも教えてくれ。僕はどうしたら良いかな?」
「そうね……」
彼女は少し悩んだ後、真剣な表情をして

俺を見つめ、こういった。
「あなたの子供には、幸せになって欲しい」
「それは、あなたの研究を認めることにつながる」
俺は、
「そうだね、きっと君は研究を続けるでしょう」
そう答えると楽になった。
ハルシオンの母親は娘の研究に反対するどころか期待していた。
ただ、ハルシオンは俺の付き合いを優先してくれる。
それが何より嬉しかった。
それが本意でなくても嬉しかった。
俺達はロンドンからマンチェスターに移動して母親に連絡をとった。というのも公私混同の強制というか少々、個人的に込み入った状態になるからだ。
俺の新しい仕事場は寮付きでオプス先生の研究室に併設される。すると法的にややこしい問題が発生する。
メッセンジャーが中立性を侵して魔導通信工学者の研究室に住む必要がある場合は、その親族を含めたセキュリティ審査に合格しなければならない。
魔導査察機構は魔法省庁と独立した第三者機関で召喚魔法、千里眼、サイコメトリーなど魔法とプライバシー保護の両立をはかっている。
ハルシオンの研究は特に人間の情動を扱うデリケートな分野だ。家族関係も影響する。
だから俺はハルシオンの母親と会う羽目になるのだ。
何だかドキドキするなあ。
エリファス・エイヴァリーは娘より快活明朗だった。
俺たちは早速彼女の自宅へと向かった。
エリファス・エヴァンズは娘とは違い、大柄な体型をしていた。
ハルもかなり体格が良い方だがそれ以上だ。
俺達を応接室へ通すと、紅茶やお菓子などを準備してくれた。
彼女は自分の仕事が終わったらしく、すぐに娘の元へ戻ると言って立ち去った。
俺とハルシオンは二人きりになったのを見てお互い顔を合わせ苦笑いをするしかできなかった。
ハルシオンは何とも言えない空気の中で口を開いた。
「ねえ……あの子には私から伝えるわ。
それで、大丈夫かしら」
ハルシオンは自分の研究を認めてもらえないのではないかという恐れを感じているようだった。
確かに、認めてもらえないということは今まで経験したことがなかったかもしれない。何しろ年頃の娘が男と住むのだ。
しかしハルシオンは、自分の母親から認めてもらえないということを恐れていた。
それもそのはずで、自分よりも研究を優先することを知っているからだ。
だから、ハルシオンが自分の研究成果を認めてもらおうとするのは至極当然のことである。
俺だって自分勝手なことばかりしてきたのだから。
俺は彼女の力になるべく ハルシオンの言葉を聞きながら言った。
「俺からも魔導査察機構に話を通しておく」
「ありがとう……」
ハルシオンも分かっていたみたいだ。
しかし認めてもらえなければまた始めなければならない。
認めてもらうためには認めてくれる人間が必要なのだということを。
俺が話そうとした時にドアが開かれた。
入ってきたのはエリファスさんと息子さんと思われる男性だ。
とても背が高く筋肉質の体型であることが一目で分かった。
俺は立ち上がり自己紹介をした。
すると彼も挨拶をし返してくれたが、彼が俺に興味を示したのはハルシオンのことだったらしい。
俺はメルクリウス寮で起きた出来事をかいつまんで話した。
俺がソファに座り直すのを見ていた彼の父親は
「ほう……この方が、あなたの研究の」と言った。
彼はハルシオンが自分に対して緊張した様子であることに気がついたのか、「そんなに硬くならず、座ったままで構わないですよ」といったがハルシオンは彼の言葉を聞いておらず民警の連中と同じ態度を取っている。
エリファスはそんな娘の様子を見てため息をつき、息子の方に向くように促すようなしぐさを見せた。
俺はその様子を黙って眺めていた。
そして彼の口が開かれかけたその時だった。
『お待ち下さい』
壁がスライドして動画が始まった。
誰かが立ち上がろうとしている。
ハルシオンだ。
映像の彼女は別人のように輝いていた。
その表情は自信と威厳に満ち宗教画のようだった。
エリファスの御長男ディック氏は新進気鋭の魔道査察官でハルシオンと一つ違いだ。つまり俺は事実上、新郎として家族会議に諮られることになる。
ううむ、ますます身がこわばる。
壁の宗教画は魔道査察官が仕事する時に掲げるしきたりがある。秩序の秩序を監督する者をさらに監視する、いわば神の視座を絵画が代理しているのだ。
ディック氏の見守る中、エリファスが登壇した。アーレン・ブラッド作 1833年 

そして『宇宙の憲法停止』に一礼した彼女はゆっくりと話し出した。
「これはこれは皆さんご機嫌麗しゅうございますわね」
挨拶を終え本題に入る。
「さて、本日ご出席いただいたのは他でもありません。ハルシオン・カルタシスの研究に関すること、及び実験内容に不審点があったことをお伝えしたく」と。その件でメルクリウス寮の舎監だった俺の母さんも同席しているのだ。
エリファスは幽霊騒動の件には触れず、そのまま続ける。

〈サリーシャかあさん。大丈夫だ。僕がついてる) 俺は目くばせした。

「まず一つ目。
先日、我が娘があなたのお子様に不用意に話しかけたことでしたわ。わたくしもハルシオンの研究のことは深く存じておりませんでしたわ」

サリーシャが恐縮する。
するとディック氏が口を挟んだ。「過剰な監督は自由な校風を損なう。オプス教授だってハルシオン――特別研究員の独自性に関与できない」
「ですが、あの方はどうもあなたが何かの研究を進めていることは知っていたようでしたが、何をしているかについては知らないそうですわね」と。

セキュリティー審査項目は情報漏洩に神経を尖らせている。特に複数にまたがる研究は機密保持に関してなあなあに成りやすく横断的な情報漏洩を招く。

ディック氏はそういう管理のゆるみでなくむしろ無関心を問題視している。
「まぁ、メルクリウス寮の事件は巧妙というかしてやられた感があります」
魔導査察機構はノースに出し抜かれて快く思ってないのは確かだ。
水星の逆行にかこつけた大胆不敵な実験は寝耳に水だったらしく思念の漏出が魔導通信工学的にどのような影響を及ぼすか環境評価を急いでいる。

ただ法的には抵触する部分は見当たらずむしろ規制が前代未聞を追う状態だ。
「残留思念のブレンド…パルスマギメーター。懸念事項山積で頭痛がする」
こめかみを揉みつつディック氏は俺を尋問した。
「地縛霊の存在に関してまったく聞いてなかったんですか?」
俺はそこで思い返したことがある。ハルシオンは本当に一匹狼だがオオカミ少女ではなかったので研究のことはほとんど誰にも話したことが無かったのだ。だから俺は何も知らなかったがハルシオンは違うはずだ。
「俺はただハルシオンの提案を形にしただけです」
「地縛霊の固定化は慧眼だったね。地縛霊はグルッパという少年という」
ディック氏は赤い宝石のペンダントを取り出した。

俺はそれを一目見て「中性長石《アンデシン》はとても俺の月収で買えません。かわりに救世主の血潮といわれる赤めのうの霊力を使いました。これだって俺の研究予算から持ち出しですよ」、と補足した。あとでノースに請求するけどな!

ディック氏はうなづき「知りたいのは宝珠の出処でなく幽霊と君の関係だ」
なぜ用意できたのか。周到な準備を勘繰っている。うたぐり深い奴だな。

「新しい寮には終夜営業の魔法具店があるじゃないですか。引っ越しの問題解決を頼まれて俺は動いてたんですよ。メッセンジャーですからね!」

嘘はついていない。幽霊の説得が膠着していて悪魔祓い師の出動を視野にいれていた。拘束具に使うアンデシンは事前に水晶で清めなくてはいけないが、それらのパワーストーンは店に入荷していた。

「なるほど。借方科目というわけか。店の帳簿と合う。不正はなかった」
ディックはまだ腑に落ちないらしくオプスとハルシオンの親交を突いてきた。

「たしかに一匹狼の研究者ですが、みんながみんな人間嫌いではないですよ」

彼女がハルと接触を持つことができたのはハルと仲良くなりたいからだと聞いている。だとすれば彼女が知っていて不思議ではないのかもしれないと思ったがどうやら違った。俺はここでやっとハルが言っていた事を思い出す。

>「君の事がよく知りたい」「約束しよう」
>心と心が混ざり合う研究……

ハルシオンは研究成果をとっくに実用化していたのだ。だからオプス先生に仕掛けたのがバレて大目玉を喰らったというわけか。

サリーシャが居ても立っても居られず弁護をはじめた。

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