教育係の実態
エルネストとは一旦分かれ、アリッサは侍従に案内されてドロシーの部屋へと向かった。
彼女の部屋は三階にある。離れから本館に入り、階段に向かって歩いていく。一階の通路には、肖像画が掲げられている。
「こちらは歴代のカスティリーニ侯爵の肖像画ですか?」
「さようでございます」
一番新しいのが先代の侯爵夫妻なのだろう。
隣にある先々代の侯爵も先代侯爵も赤毛で、今の侯爵と同じだ。
先代侯爵の横には椅子に座った侯爵夫人、つまりドロシー嬢の母親がいる。彼女は黒髪と澄んだ青い瞳をしている。
「こちらがドロシー様のお部屋です」
「ありがとうございます」
アリッサは侍従にお礼を言うと、扉をノックして、声をかけた。
「おはようございます、ドロシー様。起きていらっしゃいますか?」
しかし、部屋の中から返事は返ってこない。
「ドロシー様はいつも朝は遅いのですか?」
「いえ、そのようなことはないと思うのですが…申し訳ございません。私もはっきりは存じかねます」
男性の侍従は普段あまりドロシーと関わらないので、正確な彼女の習慣はわからないのだろう。
「いえ、大丈夫です。どちらにしても、もう起きていないといけない時間ですから、まだのような起きていただきます」
侯爵と話しているうちに、思いの外時間が経っていて、もうお昼になろうとする時間だ。
もう一度声をかけて返事がなかったので、「失礼します」と言って扉を開けた。
「入ってこないで!」
「ひっ!」
バンと何かが飛んできて、アリッサの顔の横を通って扉にぶつかった。
侍従が驚いて後ろで悲鳴を上げたのが聞こえた。
床に落ちたのを見ると、それは枕だった。
ベッドの上から半身を起こして、ドロシーが投げた後のフォームのまま、こちらを睨んでいる。
「少しコントロールを練習をした方がいいですね。それとも、当たらないように投げてくれたのかしら」
拾い上げて枕をパンパンと叩く。
「入って来ないでって言ったでしょ! ここは私の部屋よ。私の許可なく入らないで」
「あなたの叔父様、侯爵様から許可はいただいております」
「あなたも叔父様を狙ってるんでしょ! そんな風に私に近づいてきて、結局は私のことなんてどうでもいいんでしょ!」
癇癪を起こし顔を真っ赤にして叫ぶ。
しかしその吐き出した言葉に、彼女がこれまで教育係にどう扱われてきたか理解できた。
「大丈夫でございますか?」
侍従が扉の前で気遣わしげに問いかける。
「はい。暫く二人にしてください」
そう言って、アリッサは扉を閉めてドロシーの方を振り返った。
「だから、前の教育係たちを辞めさせたのですか?」
「そうよ! 皆、叔父様の前ではいい子ぶって、陰では私のこと苛めたり酷いこと言うんだもの、だから追い出してやったの」
意気揚々とドヤ顔で言うドロシーを、アリッサは呆気に取られて見た。
そして、クビになった教育係に対して、心の中で腹を立てた。
同時に独身でそこそこ見目の良い侯爵の顔が頭に浮かぶ。
確かに侯爵であることを差し引いても、男性として十分いけている。
うまくいけば侯爵夫人になれるのだから、更に魅力的に思えるだろう。
だからと言って、親を亡くしたばかりの少女を利用して、己の欲を満たそうとするのは違う。
「私はあなたの叔父様、侯爵閣下のことはなんとも思っていません」
「うそよ! 皆最初はそう言っていても、すぐに変わるもの」
口でいくら言っても、信じられないのも無理はない。
アリッサは、ブリジッタや有紗である時の苦い経験のせいで、恋愛や結婚を否定的に捉えている。
結婚より自立して自分で身を立てる方がいいとさえ思っている。
しかし、八歳のドロシーに自分の情けない男性遍歴を語るのもどうだろうか。
ドロシーに男性に対する偏見を植え付けてしまうかも知れない。
それは侯爵も望んでいないだろうし、出来れば彼女もドロシーには、恋のキラキラした部分を知ってほしい。
だが、侯爵に興味がないと言っても、この様子では簡単に信じてはくれないだろう。
「あなただって、私がいやだと言ったらきっと叔父様は雇わないわ」
まさにその言葉をアリッサは待っていた。
ドロシーが嫌だと言うのを、無理矢理教育係としてアリッサを押しつけてもうまくいく筈がない。
「そう思うなら、そうおっしゃってくださって構いません。私にとってあなたの教育係を引き受けるのは、私の本職ではありません。私の仕事はベルトラン家のマージョリー様の看護であって、あなたの教育係を引き受けたら、仕事を掛け持ちすることになってしまいます」
「うそ・・」
最初に言った「うそ」とは明らかに勢いが違う。アリッサの言葉に、彼女は明らかに戸惑っていた。