雇用の条件
「おはようございます。朝早くから申し訳ございません」
朝早く、侯爵家から迎えの馬車が来て、アリッサは御者に挨拶をした。
すると彼は少し驚いたような顔をした。
「どうされましたか?」
「いえ、お礼を言われるとは思わず…」
「そうなのですか。でも私も雇われている身なので、立場は同じです。本当ならこうして迎えに来てもらうのも分不相応なくらいです」
「そうなのですか…でも旦那様からはお嬢様の教育係になるかとしれないとお聞きしていますので、そこはやはり我々下っ端とは違いますよ。今までのお嬢様の教育係は皆、俺らに『ありがとう』なんて言ったことありませんでした。私達は教育を受けている。あなたたちとは違うんだって、言われたこともあります」
令嬢の教育係がそんな高慢に振る舞っていたなんてと、今度はアリッサが驚く。
「どんな人が来るかと思いましたが、お嬢さんのような方で良かったです」
「まだ引き受けたわけでは…」
まだ引き受けると決めたわけではないと、はっきり言えなかった。
彼女が出す条件を侯爵が気に入らなければ、この話はなかったことになる。もしかしたら今度こそ怒らせてしまうかも知れない。
(でも、ただ流されるだけなのはもうイヤ。それに、これは必要なことだもの)
そう思いながら、彼女は再び侯爵家を訪れた。
「ようこそ」
この前と同じ執務室に彼女は通された。
仕事が山積みなのか、侯爵の座っている机の上にはたくさんの書類が並べられている。
「お時間をとっていただきありがとうございます」
「構わない。それで、ベルトラン夫妻のお返事は?」
前置きもなく、侯爵は返事を催促した。
「はい、ベルトラン卿も奥様も閣下のご提案をお受けする意向です。最終判断は私に任せると仰っていらしたそうですね」
「それで、君の考えは?」
不安と期待の入り混じった表情で、前のめりに聞いてくる。
「いくつか、条件をお出ししてもよろしいでしょうか」
「条件…そうだな。金額について話していなかったな。そこそこ出せると・・」
「いえ、お金ではありません」
確かに金銭面での取り決めも重要だが、そうではないとアリッサは首を振った。
「では…何だ」
一瞬にして彼が身構えたのがわかる。
「条件はふたつ。まず、ドロシー嬢が私の教育係就任について、どう思われているのか、確認させてください」
この前会ったとき、部屋を出ていく際にアリッサに見せた嘲笑が気になる。
「ではすぐに彼女をここへ」
「いえ、出来れば閣下抜きでお会いしたいです」
「え?」
「これから指導を受ける私に対し、ドロシー嬢がどう思われているのか、忌憚のない彼女の言葉を聞きたいです。差し支えなければ彼女の部屋で」
「わ、わかった。案内させよう。それで、他には?」
次に何を言われるのかと、侯爵の表情は硬い。
「ベルトラン夫妻に離れを提供いただけるとこのとですが、一度設備を確認させてください。そして、奥様の今の身体状況に合わせて、必要な改修を手配してください」
「改修?」
「はい。奥様はお体が不自由です。普通の設備では不便なこともあります。不自由なく過ごせるように部屋を整える必要があります。段差を無くしたり、手すりを付けたり、設備を整える必要があります。もちろん費用は侯爵様持ちです」
これが今回の条件。なぜそこまでしなければならないと、彼が怒ってくれることを期待する。
「現場を見て、何をどうしてほしいか、私が指示をします。侯爵様には大工の手配と費用負担をお願いできますか」
「それが君の条件か」
持っていたペンを握りしめたまま侯爵が尋ねる。
「ドロシーが今回の件をどう思っているか、聞くだけでいいのか?」
「そうですね。仮に嫌だと思っているなら、きちんと理由を聞いておきたいです。その上で自分がどうやって彼女に向き合うべきか考えたいと思います」
「わかった」
「え?」
「聞こえなかったか。わかったと言ったのだ」
「え、その・・お金がいくらかかるかわかりませんよ」
「なんだ、自分から言っておいて怖じ気づいたのか。それとも私が不遜だと言って怒って君を雇うのを止めると言うとでも?」
その考えが無かったわけではないので、何も言い返せない。
「図星という訳か。だが、その手には乗らない。どのような条件を出されても君を雇うと決めているからな」
「どうして・・どうしてそこまで私を?」
アリッサにはまるでわからない。
「そうだな。もう後悔はしたくないからかな」
「後悔? 何に対してですか?」
「それは君が知る必要はない」
「でも私に関わることですよね」
「そうだとしても、話すつもりはない」
食い下がるがそれ以上は話してもらえなかった。