(32)一見、意味不明な検証
休憩もろくに取らず馬を駆けさせ、一行は通常の夕食の時間をかなり過ぎた時間帯に、トルファン城に到着した。それで終わりではなく、ディロスは加護持ちの側近四人に加え、加護保持者を知っている人員をすぐに呼び集めるようにアスランとロベルトに頼み込む。それなりに疲労していた二人はそれを聞いて憮然となったが、カイルが彼らを宥め、該当者達はそれほど時間を要さず執務室に集合した。
「皆さん、夜も遅い時間にお集まりいただいて、誠に申し訳ありません」
ディロスはカイルの机の前に立ち、集まった者達に深々と頭を下げた。年長者であるダレンやサーディンは無言でディロスを凝視しただけだったが、若手からはかなり不満げな声が返ってくる。
「ディロス。本当にそう思っているのなら明日にしろ」
「しかもお前の一存で、伯爵の予定を変えさせたって?」
「周囲の人間の迷惑も考えなさいよ。何様のつもり? 大体、あんたは昔から」
「シーラ、それこそお説教は明日にして。ディロス。私達を急遽呼び集めたのには、理由があるのでしょう? まず、それを聞かせて欲しいわ」
苦情だけで時間を浪費したくなかったメリアは同僚達を宥め、話の続きを促した。それにディロスが小さく頷き、話を切り出す。
「それでは、できるだけ簡潔に話を進めます。僕はトルファンへの旅程の途中でロベルトさん達に襲撃された時、カイル様の加護が『他人の加護を奪う加護だ』と推察しましたが、それは間違いだったのが判明しました」
「え?」
唐突に告げられた内容に、一同は呆気に取られた。しかしその中で、当事者であるロベルトだけは、盛大に異論を唱える。
「おい、ちょっと待て! 現に俺は《他人の加護を無効化する加護》を使えなくなったんだぜ? それをどう説明するつもりだよ?」
「カイル様の本当の加護が僕の考えているとおりなら、その現象についても説明がつきます。シーラ姉さん、ちょっと手伝って」
いきなり指名されて、シーラが如何にも嫌そうな顔で問い返した。
「はぁ? あんたこの場で、私に何をさせる気?」
「これを読んで」
「何よ、これ?」
「バルザック語で書かれた、バルザック帝国の歴史書」
予めカイルの机に載せておいた本を、ディロスがシーラに向けて差し出す。取り敢えず素直に受け取ったシーラだったが、その内容を聞いて苛立たしげに叫んだ。
「何の嫌がらせよ! 私がバルザック語は片言しか、読み書き会話ができないと知っているわよね!?」
「だからだよ。僕は完璧に読めるから、この場合検証の役に立たない」
「何の検証よ!? それにあんたの性格がそこまで悪いとは、今の今まで知らなかったわ!」
ディロスが真顔で告げた内容に、シーラは本気で腹を立てた。そこでカイルが、シーラに声をかける。
「シーラ。すまないが、ディロスの言う通りにしてくれないか? 勿論、シーラを笑ったりしないから。誰にでも得手不得手はあるさ」
「分かりました。カイル様がそう仰るなら……」
「あ、僕とカイル様はこっちで話をしているから、それには構わずに音読し続けて」
「他人が必至に解読している時に、何を話し込むつもりよ!」
「シーラ、とにかく早く済ませましょう。遅くまで起きていると、明日の予定に響くわ」
「分かったわよ……」
メリアからも溜め息まじりに促され、シーラは憤然としながらもページをめくって音読し始めた。
「ええと……、バルザック帝国、……起原は、大陸、……中心部、地方……、エーデル? あ、これは名詞? じゃあ、エーデル地方、ってことかな? 発生……、じゃなくて、発祥の地で一人、違うな。人数じゃなくて、一人目……、初代ってことか。初代皇帝が行う……、行った、特徴、って、何の特徴よ? なんかずらずらと書いてあって……、施政?」
「…………」
悪戦苦闘しながらぶつぶつと呟いているシーラに、室内の殆どの者が憐憫の視線を送った。そんな中、ディロスだけはカイルに視線を合わせ、低い声で囁いてくる。
「カイル様、シーラ姉さんは大変そうですよね?」
「ディロス……。それをさせているのは、君自身だが……」
「この際、それはどうでも良いです。シーラ姉さんが大変そうで気の毒ですよね?」
「……ああ、そうだな」
繰り返し同意を求められ、カイルは溜め息を吐きたいのを堪えながら頷いた。
「例の、どんな言語でも読み書き会話がこなせる加護が使えたら、シーラ姉さんは助かりますよね?」
「ジャスパー兄上の加護? ああ、それはそうだろうな。語学は習得するのに時間がかかるし、人には向き不向きがあるし。兄上のような加護を使えたら、シーラも楽だろう」
カイルが真顔でそう告げた時、一瞬、シーラの音読が滑らかになった。
「整備……、帝都? 初期帝都の発展は、初代皇帝が外部から攻め込まれにくくするためわざと屈曲させて整備していた街路を一直線に伸ばした上で、帝都内を縦横に走らせたことで流通能力を飛躍的に向上させたのが一因と言われている。あら? ここだけグレンドル語で記載……、え? 見間違い? 今、一瞬スラスラ読めたんだけど……。気のせい? おかしいわね……」
「…………」
読むことに夢中になっていたシーラは、若干の違和感を感じただけだったが、傍から見ていた面々はその異常さに揃って固まり、無言になった。
「ええと……、川……、じゃなくて、この単語の並び方だと構造物だから、水路、かな? 水路の発展……、また川が出てきたんだけど……、川を変える? つまり、川の流れを変えるってこと?」
再びシーラが途切れ途切れに解読しているのを横目で見ながら、ディロスがカイルに問いを発する。
「カイル様。僕が以前、バルザック語の習得をしておいた方が良いと言った事を覚えていますか? ダレンさんは問題ありませんし、側近の四人についてはどうでしょうか?」
「あ、ああ……。取り敢えず側近の中では、シーラ以外は大丈夫みたいだが……」
「そうですか……。やっぱりシーラ姉さんは、特訓確定ですね。情け無用で追い込んででも、習得させないといけません」
(ディロスは本気で、シーラをとことん追い込むつもりらしい。本当にジャスパー兄上の加護のような能力が、シーラに少しでも備わっていれば良かったのだが)
ディロスが些か物騒な視線をシーラに向けているのに気づいたカイルは、彼女に同情しながら考えを巡らせた。すると再び、シーラの音読に異常が生じる。
「湿る、湿った? ええと……、帝都北西部に広がっていた湿地帯を、そこを横切っている川の流れを西部から南部に至る経路に変え、水はけを良くした後に埋め立てて肥沃の大地に……。ちょっと! どうして私、バルザック語が普通に読めるのよ!?」
「…………」
ここで漸く自分の異常を自覚したシーラは、勢い良く顔を上げて狼狽気味に周囲に問いかけた。しかしその疑問に答える者はなく、彼女の疑問を無視しながら再びディロスがカイルに確認を入れる。
「カイル様。今、考えていましたよね? シーラ姉さんが、お兄さんの加護のような能力を使えるようになれば良いとか」
「いや、あの……、それは確かにそうだが」
「最終確認です。僕に、シーラ姉さんのような《他人の精神支配加護》が仕えるようになれば良いと考えてください。僕が何を言っても、引き続き考え続けてください。いいですね?」
「でも、ディロス」
「宜しいですね!? 僕が何を言っても、続けてください!! 何を言っても、ですよ!?」
「……ああ、分かった。ちゃんと考えているから」
語気強く迫るディロスに気迫負けをし、カイルは仕方なく頷いた。
(なんとなく、ディロスが何を明らかにしたいのか、分かった気がするが……。ひとまず言う通りにしてみよう……)
そこでカイルは、とにかくディロスの指示通りしてみる事にした。