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(31)予想外の展開

「所々欠損している箇所があるけど、なんて刻んであるのかな? ええと……、私は、じゃなくて、修飾語から考えると複数形だから、私達……、だよな? それで、場所? いや、どこか特定の場所じゃなくて、この場って事だと思うし……、約束、誓い、を成立させる、ええと……、成立した、の方が正しいのか?」
 一心不乱に石碑を見上げ、ぶつぶつと呟きながら解読しているディロスを、カイルは感心しきりで眺めていた。

(初対面の時にヒーリス語、バルザック語を含む、外国語五か国語が読み書き会話が可能と聞いていたが、今では全く使用されていない言語まで自ら学ぶなんて、本当にディロスの向上心には頭が下がるな。それに本当に、切れ切れだけどなんとか読み解いているみたいだ)
 カイルはそこで、異母兄の一人が授かった加護について思い出す。

(ジャスパー兄上は、古今東西のあらゆる言語の読み書き会話が可能な加護を授かっていたが、今は使われていない亡国の言語でも同様に判読できるのだろうか?)
 ふとそんな疑問を覚えたカイルは、普段ジャスパーが自分の権威を増すためだけに加護を行使していることまで思い出し、少しだけ憂鬱な気持ちになった。

(もしそれができるのなら、単に博識ぶって何か国語も自在に会話するだけの兄上より、ディロスの方がそんな加護を保持するのに相応しいのに。ディロスだったらその加護を最大限有効利用して古の記録を発掘したり、多言語で書かれた重要な技術や情報を収集するだろうな。本当にディロスも、その加護が行使できれば良いのに)
 ディロスの背中を見つめながら、カイルはそんな理不尽な思いに駆られた。すると突然、ディロスが奇声を上げる。

「ほわぁあぁぁぁぁっ!?」
「えっ?」
「ディロス? 何か気になる事でも?」
「どうした? いきなり変な声を上げて」
 尋常ではない叫び声に、カイルは本気で驚いた。アスランとロベルトも咄嗟に剣の柄に手をかけたながら問いかけたが、そこでディロスが勢いよく振り返り、まだ動揺しながらも謝罪の言葉を口にする。

「あ、ああ、ええ、えっと……、すみません。興奮しすぎて、ちょっと変な物が見えたかもしれません……」
「嬉しいのは分かるが、少し落ち着こうか」
「はい。申し訳ありませんでした」
 カイルが声をかけると、ディロスはまだ若干顔色を悪くしたまま、素直に頭を下げた。そして石碑に向き直りながら、自分自身に言い聞かせるように独り言を呟く。

「……うん、大丈夫。さっきのは、ちょっとした見間違いか幻覚だ。夜も報告書まとめに頑張り過ぎたかな? 気をつけよう」
(ディロスは本当に大丈夫か? あまり嬉し過ぎて根を詰めたりしないように、後で言っておかないとな。遺跡を目の当たりにして、ユーゼルド語の勉強を今まで以上に頑張りそうだし。本当にジャスパー兄上のようにどんな言語もスラスラ読めるようになれば、ディロスは喜ぶし負担も減ると思うが。虚栄心を満たすためだけに加護を用いている兄上より、ディロスの方があの加護には相応しいのに)
 カイルは考えを巡らせながら、ディロスの背中を眺めた。すると再び彼が、素っ頓狂な叫びを上げる。

「しぃえぇぇぇぇっ!!」
「ディロス!?」
「今度はなんだ!?」
「おい、大丈夫か?」
 さすがにこのまま傍観できす、三人は慌ててディロスに駆け寄った。そしてカイルが、軽くディロスの肩に手をかけながら声をかける。

「ディロス。その石碑に、何か変な事でも書いてあったのか?」
 するとディロスは勢いよく振り返り、両手でカイルの肩を掴みながら真剣極まりない表情で問い詰めてきた。

「カイル様!!」
「な……、何、かな?」
「正直に答えてください! 今、何をしたんですか!?」
「……は?」
「ですから、何をしたのかと聞いているんです! カイル様以外にあり得ないでしょう!?」
「いや、そう言われても……。本当にここに立ってディロスを眺めていただけで、特に何もしていないが……。それに、何を言っているのか分からないんだが……」
 気迫負けしたカイルが訳が分からないまま困惑していると、左右から渋面になったアスランとロベルトが現れ、ディロスの手を剝がしながら言い聞かせてくる。
 
「おい、ディロス。何を錯乱している。その手を放せ」
「なにを血迷ってるんだよ。らしくないぞ?」
 その指摘でディロスは我に返ったらしく、カイルに視線を合わせてから深々と頭を下げる。

「…………失礼しました」
「いや、それは構わないが……」
(ディロスはどうしたんだ? なんとなく、顔色が悪い気がするが)
 しかし冷静さを取り戻したと思われたディロスは、怖いぐらい真剣な面持ちで再度カイルに迫った。

「質問を変えます。先程、カイル様は俺を見ていたと言っていましたが、俺を見ながら何を考えていましたか?」
 アスランとロベルトが警戒して微妙な空気を醸し出す中、問われたカイルは困惑しながらも律儀に答える。

「何を、と言われても……。取り留めがない事を色々だが……」
「何か、言語について考えていませんでしたか?」
「言語? ええと……、確かに考えを巡らせていたな。私の兄の中に、どんな言語でも読み書き会話が可能な加護持ちがいるが、ディロスは知っているか?」
「小耳に挟んだことがあります。それで?」
「ディロスがあの石碑を苦労して解読しようとしているのを見て、ディロスがその
ような加護を使えれば、兄上が行使するより遥かに有益だろうなと思っていた。向上心のあるディロスの方が、あの加護には相応しいとかも考えていたが」
「そうですか……、良く分かりました」
「ディロス。本当にどうかしたのか?」
 カイルの説明に、ディロスは硬い表情のまま頷いた。さすがに心配になりながらカイルが尋ねると、ディロスは予想外の事を言い出す。

「カイル様、予定変更です。今日は宿泊しないで、大至急、トルファン城に戻りましょう」
「は? いや、でも、今日はこの付近に宿泊して、明日の午前中もこの遺跡を見学」
「それどころではありません! 緊急事態です! 急いで全速力で戻れば、夜にはなんとか到着できます!」
 ディロスはカイルの台詞を遮りつつ、必死の形相で訴えた。その様子に、アスランとロベルトも怪訝な顔で声をかける。

「ちょっと待て、何を言っているんだお前は」
「どうしてそこまで急いで帰る必要がある?」
「とんでもない事に、気がついてしまったからですよ! こんな所で、のんびり遺跡見学と古文読解をしている心境にはなれません!」
「そうは言ってもだな……」
「伯爵、どうしますか?」
 強硬に主張するディロスにどう対処したらよいか分からず、二人はカイルに指示を仰ぐ。そこでカイルは、少しだけ考えてから決断を下した。

「確かに、急いで馬車を走らせれば、遅い時間にはなるが夜に城に着けるだろう。すぐに出立しよう」
「本気ですか?」
「ああ。ディロスがそうしたいなら、それで構わない。元々ここへ立ち寄るのは、頑張ってくれたディロスへの礼のつもりだったからな」
「分かりました」
「おい、皆! 予定変更だ! 急いで今日中にトルファン城まで戻るぞ!」
 カイルの指示が出た以上、アスランとロベルトの動きは速かった。素早く他の者達が集まっている所に戻り、出発の指示を出す。大幅な予定変更に殆どの者が困惑しきりの様子を見て、ディロスは漸く自分の発言によって大勢に迷惑をかける事態になったのを自覚した。

「カイル様、申し訳ありません……」
 面目なさげに頭を下げたディロスに、カイルは鷹揚に頷いてみせる。

「いいさ。ただ戻る途中で、理由を聞かせて貰いたいな。賢い君の事だから、ちゃんとした理由があるのだろう?」
 その問いかけに、ディロスは若干迷う素振りをみせてから言葉を返した。

「勿論そうですが、馬車の中で自分の考えをきちんと纏めたいので、お話しするのは城に戻ってからでも良いでしょうか?」
「分かった。それで構わない」
「それでは帰城次第、加護持ちの方とそれを把握している人を招集してください。その場で説明します」
「そうなると……、前からの側近四人と、ダレンと、あの襲撃事件で記憶を消さなかったサーディンとアスランとロベルトになるな。これで良いかな?」
「はい。お願いします」
(一体どうしたというんだ。随分難しい顔になっているが、本当に大丈夫だろうか?)
 緊迫感漂うディロスの表情に、カイルは心配になりながら馬車に同乗し、急遽予定を変更して帰城を急がせたのだった。





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