求めていたもの
当然のことながら、アリッサが一人ではなく、客と共に帰ってきたことにベルトラン卿は驚いた。
「突然申し訳ございません。私はエルネスト・カスティリーニです。実はベルトラン卿に折り入ってお話があります」
相手が侯爵と聞いて、ベルトランは更に目を丸くした。
「話…どのようなお話ですか?」
ベルトラン卿は元外交官なだけに、交渉の場には慣れているので表向きは冷静だった。
しかし、侯爵の隣に立つアリッサに、どういうことだと視線で訴えているのがわかった。
「わかりました。ともかく、立ち話は失礼ですね。どうぞこちらへ」
そう言って侯爵を応接室へ案内した。
「君は席を外してくれ」
侯爵はベルトラン卿について行く前にアリッサに向かって言った。
「ですが…」
「君抜きで話がしたい」
「アリッサ、マージョリーの様子を見てきてくれ」
「わ、わかりました」
彼女の仕事はマージョリーの看護だ。今の雇い主であるロドニーにそう言われれば従うしかない。
応接室へ向かうベルトラン卿と侯爵の背中を見つめながら、どうかベルトラン卿が反対しますようにと、アリッサは祈った。
「こーひゃくと、にゃにがあったの?(侯爵と何があったの?)」
侯爵の訪問を知ったマージョリーが尋ねた。
「それが、侯爵が姪のドロシー嬢の教育係に私を雇いたいとおっしゃられて」
「まあ・・」
「ですが、私は今ベルトラン家に雇われていて、マージョリー様の看護はまだまだ必要です。そう言ってお断りしたのですが、一度ロドニー様に掛け合ってみるとおっしゃられて」
「どーして?」
「そんなのわかりません。教育係など侯爵家がちょっと声を掛ければたくさん来ると思います。私である必要はありません」
「そーね。でも・・こーしゃくは、あにゃたが、いいのね」
「私は平民で、貴族令嬢の教育なんて」
「ね、ありっさ、あにゃた、もひかして、ほんとーはきじょくのごれーじょーだったんじゃ」
「え?」
マージョリーに不意に言われて、ポーカーフェイスを取り繕うことが出来なかった。
「な、なぜ?」
アリッサとして生きようと決めてから、彼女は努めて普通に振る舞ってきた。だが、自転車の運転と同じように、身についた作法が無意識に表に現われるようだ。
マージョリーはそれに気づいていた。
「ロドニーとも、はなしていたのよ。でも、にゃにか、わけがあるのかと」
二人とも気づいていて、あえて彼女には尋ねなかったのだ。
「まだにかげつだけど、あにゃた、がんばってる。とてもいいこ」
そう言ってマージョリーは、慈愛に満ちた目でアリッサを見つめ、動く方の手で頭を撫でた。
「マージョリー様」
アリッサ・・ブリジッタは胸が熱くなるのを感じた。
妹のリリアンが生まれてから、ブリジッタはお姉さんだから我慢しなさいと言われ、こんな風に頭を撫でられることも、良い子だと褒められることもなくなった。
逆にリリアンはそんなブリジッタの前でずっと両親にそんな風に可愛がられていた。
それは彼女が社交界デビューをする年齢になっても続いた。
別に頭を撫でてほしいわけではない。
どちらかと言えば、ベタベタするのは苦手だ。
でも、今のマージョリーのように優しく触れて言葉を掛けてくれることを望んでいたことに気づいた。
「マージョリーとよんで。もう、さまはいらにゃい。あにゃたがここにきて、にかげつよ」
マージョリーの顔が滲み、アリッサは自分がいつのまにか涙していることに気づいた。
マージョリーは黙って親指で目尻に溜まった涙を拭ってくれた。
「私・・ごめんなさい」
泣くつもりはなかった。でも溢れてくる涙を止めることができない。一度泣き出したら、なかなか止まらないものだ。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
「ごめんなさい」
病から立ち直り回復しようとしているマージョリーに気を遣わせていることに、アリッサは申し訳ない気持ちになる。
マージョリーはそのまま、アリッサの涙が止まるまで黙って見守っていてくれた。
アリッサはそんな彼女の優しさに改めて感謝した。
「マージョリー、アリッサ、入って良いか?」
そこへロドニーが声をかけて入ってきた。
「・・・何かあったのか?」
一度彼の方を見たアリッサの頬に涙の跡があるの見て、ロドニーが驚いていた。
「ちょっと・・こーしゃくさまは?」
「今日の所は一旦帰られた」
ロドニーは二人の側に歩いて来て、ベッドに腰掛けた。
「アリッサから話はきいた?」
「だいたいは・・」
「そうか。すまないがアリッサ、暫くマージョリーと話し合いたい。その上でお返事申し上げるとお話した」
断るにしても、侯爵からの話を即決で断れないだろうから、一応は考えてみるふりをしたのだろうと思ったが、ベルトラン卿は真剣に侯爵の提案について考えているようだった。