想像できなかった未来
コホンと咳払いをしてアリッサは自分の勘違いを恥じた。
「べ、別に・・何も」
そんな彼女の動揺を侯爵は愉快そうに眺める。
「あの子は八歳で、今のところ私が法的にも実質的にも後見人だ。だが、私は男で、あの子に淑女としての教育をしてやることはできない」
「そ、それは・・そうでしょうが」
「母親を亡くし、私は独身。あの子には近しい親族の女性もいない」
「それならあなたがどなたかと結婚されてはいかがですか? おもてになると聞きましたけど」
「そのために結婚を急いでも、誰も得をしないだろう。それに、侯爵家を継いだばかりで、自分のこととドロシーのことで手一杯で、結婚相手に気を配っている時間も余裕もない」
「どなかた懇意にされている方とかは」
「いたらこんなこと、君に頼まない」
茶化した言い方に、どこまで本気なのかわからない。
「では、奥様とかでなく、ちゃんとした教育係を雇われてはいかがですか? 侯爵なら可能でしょう」
「そうは言っても、あの子はずっと母親に勉強を教えてもらっていて、母親が死んでからはどんな家庭教師を見つめてきても、まるで言うことを聞かずに、すぐ辞めさせてしまう」
先ほど部屋を出て行くドロシー嬢が自分に向けた視線を思い出す。
叔父の前では大人しい感じだったが、陰ではどんな風なのかわからない。
「でも、私も同じだと思います」
「やってみなければわからないだろう。引き受けてくれるなら、君がブリジッタ・ヴェスタだと言うことは黙っていよう」
「それは無理です」
「なぜ?」
黙っていてくれるという言葉は魅力的だが、彼女はベルトラン家のことも気になる。
引き受けたからには最後までやり通したい。
「何度も申し上げておりますが、私はベルトラン家に雇われている身です。しかもマージョリー様はまだ病気療養中で、私が必要なのです。ドロシー嬢の教育係に通ってマージョリー様の看護もしてということはとてもできません。こことベルトラン家がどれだけ離れていると思っているんですか。行き来するだけでも大変です」
「そうかな」
のほほんとした言い方に苛つく。何でも自分の思い通りにしてきて、与えられるものを何の疑いもせず、人が自分の思いつきや勝手な言い分で振り回されるのを、何とも思っていない貴族あるあるな態度も鼻につく。
「もちろん、私に過労死しろと言っているのなら別ですが」
寝る時間、休む時間を削ればそれも可能だろうが。
「なら、ベルトラン卿夫妻が許せば、大丈夫なのだな」
「は?」
「君の言葉を借りれば夫人のことが解決すれば問題ないというこだ」
「それは、私の仕事を辞めろということですか? ドロシー嬢の教育も大事かもしれませんが、私には看護すべき患者がおります。そのためにニ年間勉学に励んできたのです。それを諦めろと?」
自分の都合で他人を振り回す貴族特有の傲慢さに腹が立った。
そう言い返すのも不敬かも知れないが、どうしても言わずにはいられなかった。
無礼だと怒鳴られてもここは譲れない。
侯爵は彼女の剣幕に呆気に取られてはいたが、「そうではない。誤解させて悪かった」と前置きして、話を続けた。
「ベルトラン卿夫妻も一緒に我が家に来てもらおうと思ったのだ」
「え?」
「今我が家は私とドロシーしかいない。母屋がだめなら離れもある。それにベルトラン家より人手もあるから、夫人の面倒を看るくらいできるだろう」
アリッサは唖然として、そうだそれがいい、と自分の考えに自画自賛している侯爵を見つめた。