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第四話

 カツン、カツンと靴音が響く。ゆっくりと遠くからこちらへ近づいてくる。

「う……」

 俺は頭を上げ、目を開ける。真っ暗。あ? 目隠しか、これ。外そうと手を動かして、そこで自分が後ろ手に拘束されていることに気づいた。脳に情報が集まるにつれ、否応なく心拍数が上がる。

「落ち着け」

 スッキリとした頭で、努めて冷静に思い返す。確か昨日は風邪をひいて病院に行く途中だった。そこで誰かに会って手を引かれて、そして。

「お目覚めですか」

 バッと反射的に顔を向ける。足音が俺の背後に回り、少しした後、目隠しが取られた。
 目を開けると、そこは一面グレーの簡素な部屋だった。目立つものは小さな机と簡易ベッドくらいしかない。俺はそんな部屋の真ん中で拘束されて座っていた。

「なぁ、ここはどこなんだ?」

 部屋の隅で静かに控える少女に問いかけてみる。少女は一言。

「それは直接聞くのがよろしいかと」

 直後、プシューと圧縮空気が抜けるような音とともに扉が開き、男が入ってきた。

「目覚めたか。気分はどうかね、波切レンくん」

 仏頂面で静かに問う男に、俺は好戦的に答える。

「二日ぶりに頭がスッキリしてるよ。今は変なもん吸い込んで溜まったストレスを発散したい気分だ」
「それは結構」

 男はまるで興味がないような口調で言うと、「波切レンくん」と再び俺の名前を呼んだ。

「私の名はアラキという。このような形で対面する非礼を詫びる。だが、我々革命派は君の力を必要としていてね。どうしても会って話さなくてはならなかったのだ」
「ご丁寧にどうも。だがテロリストに協力するつもりはない」

 にべもなく切って捨てる俺に、一切表情を変えずアラキは言った。

「そうか。では、我々の目的が『高瀬ひなのの死を回避すること』だと言ったら?」
「なっ……!?」

 ドクン、と心臓が跳ね上がった。余裕を装っていた仮面があっさり剥がれる。俺は思わず拳を握りしめ、仏頂面を睨みつけた。

「高瀬ひなのはこれから2日後、落下した鉄骨の下敷きになって死ぬ。あるいは死因が変わる可能性もあるが、なんにせよ彼女の死はすでに確定している」
「ちょっと待て! なんでお前がそんなことを言い切れる!? ひなのに何をした!」

 俺は拘束を必死に解こうと体をよじらせ、叫ぶ。アラキはそれを無感動な目で見つめ口を開いた。

「それにはDOOMシステムが関係している」

 それまで控えていた少女が動き、壁に映像が投影される。映し出されたのは、巨大な電子の川だ。

「これは我々が独自に開発した未来観測システムの映像だ。この川はリアルタイムに進行する『時の流れ』そのものだと思ってくれたまえ」

 時の流れ……。これが時間の姿なのか。言葉もなく見入る俺にアラキは説明を続ける。

「我々はこの川の流れに身を任せ、日々を過ごしている。一つ一つの選択をすることで右へ左へ体を傾けて障害を避け、自分にとってより良いルートを選んでいる」

 アラキはそう言うと、手に握っていた端末を操作した。川の中に大量の船とそれを漕ぐ人々が映し出される。船は流れに乗ってくねくねと曲がりながら前へ進んでいく。しかし、突然その中のいくつかが沈没した。

「だが、障害は事前に見えるものではない。難破して初めて、それが障害だったのだと気づくこともあるだろう。それを可視化したのが、DOOMシステムだ」

 再び端末が操作され、川の中に無数の赤い丸が姿を現す。画面内の船が大きく丸を迂回して進むようになり、結果として沈没するものは圧倒的に少なくなった。

「DOOMシステムの設計思想は悪い運命の回避。では、その悪い運命とは『誰にとっての何』を指す? どこまでを悪い運命と定義する? その命題をある研究者は発想を逆転させることで解決した」

 不運の創造。あらかじめ障害を生み出し、固定化することで、それ以外の道を選ぶという選択の正しさを保証する。

「分かるかね? DOOMシステムは未来を予測するシステムではない。未来を確定させるシステムなのだ」

 俺の目の前で一つの船が赤い丸に囲われた一角に流れていく。船は体を揺らし、赤丸を回避しようとするが、右も左も逃げ場はない。そのまま流れは止まらず赤丸に当たり、そして、消えた。

「はっ……、はっ……はぁ、は……」

 呼吸が乱れる。息が苦しい。耳に膜が張ったように音がくぐもって聞こえる。どういうことだ、なんで、どうして。そんな言葉が脳内をぐるぐる回る。

「確定した未来を我々は変えられない。例えどんなことをしようとも、それは現実になる。逃れようのない運命としてそれは立ちはだかっている。──だが、君ならば変えられる。そうだろう?」
「……ッ!」

 胸中にあの日の後悔が押し寄せる。運命を変えると息巻いて、全てを失ったあの日の記憶が溢れ出す。

………
……


 俺は緑の丘の上に座っていた。体を丸めて、ちょこんと一人で座っていた。

「レンくん。どうしたの?」

 そこへアキ姉が声をかけてきた。アキ姉は俺の姉じゃなくて、本当はひなのの姉ちゃんだけどよく俺を気にかけてくれた。

「……ちょっとアキ姉のびょうき? のこと聞いちゃった」
「そっか。なんて聞いたの?」

 俺はうつむいたまま「DOOMシステムの不具合でもう長くない、って」と言うと「そうだね」と返ってきた。
 その声があまりに寂しくて、なんだか遠くへ行ってしまう気がして俺は引き留めようと良いところをたくさん言った。

「でも! アキ姉はめっちゃ歌が上手いし、踊るの好きだし、優しいし、ひなのも自慢だって言ってたし、俺も……!」

 言いながら目から涙が溢れてくる。何が言いたいのかよくわからなくなってきた。頭がこんがらがって訳がわからない。でも、何かしなくちゃと思った。

「ありがとう。すごく嬉しいよ、レンくん。……こんなこと本当は言わないほうがいいのかもしれないけど、私はずっとひなのの側にいることはできないから、何かあったらレンくんが助けてあげてね」

 俺はしばらくうつむいたまま鼻水をすすり、それから顔を上げてこくりと頷いた。
 そうだ。ひなののためにも俺が運命を変えよう。俺がアキ姉を救おう。そう決めて、目を、閉じた。



 救急車のサイレンが鳴り響く。体に冷たい雨が打ち付ける。俺は目を開けて、愕然とした。
 目の前には研究所があって、救急車に運ばれていくタンカーから真っ黒に焦げた手がはみ出ていた。
 また別のタンカーには少女が縋りついて悲痛な叫びをあげていた。

「お姉ちゃん! ねえ、アキお姉ちゃん! 起きて、起きてよぅ……!」

 ひなのの泣き声が響く。しゃくりあげる様子が網膜に刻まれる。
 どんどん景色が遠くなっていく。どんどん周りが黒くなっていく。

 ああ、違うんだ。俺は本当に、こんなことしようだなんて、思ってなかったんだ。

………
……


「──猶予は残り2日。ゆっくりと考えたまえ」

 アラキは持っていた端末を机に置き、うつむく俺にそう言い残すと外へ出ていった。カシャリとかすかに金属が擦れるような音がした後、両手が自由になる。

「あと2日……」

 アラキの言葉が真実ならタイムリミットは残りわずかだ。運命を変えなくてはひなのは死ぬ。でも、俺に変えられるのか?

「あーくそ、情けねぇ」

 体の震えが止まらない。ギュッと拳を握りしめてゆっくりと息を吸い込む。吐き出す息が震えた。
 俺は変えられなかった。動いたら全てを失った。今回もまた同じかもしれない。何もかも失って、そうして一人だけ生き残るかもしれない。

『何かあったらレンくんが助けてあげてね』

 耳元でささやかれた言葉にハッとなって顔を上げた。辺りを見回す。当然いるはずなどない。でも。

「そうだな、アキ姉。約束はしっかり果たすよ」

 俺は確固たる意志を持って立ち上がり、端末を手に取った。

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