涙は屈辱の味がする
銃声の後、妻殴りが飛び降りてきた。
「妻殴り、急げ!」
高梨とパリスがダストシュートのゴミ溜めから妻殴りを引き摺り出す。
しかし妻殴りは動こうとしない。
「おい、妻殴り、どうした⁉︎」
ふと妻殴りの顔を見ると、そこに見慣れた妻殴りは居なかった。
顔が誰か判別つかない程に崩れていたのだ。
「詩郎!パリス!行くよ!」
高梨のその声で我に返った。
どのくらいの間か、俺は呆気に取られていたのだ。
さっきの銃声は妻殴りが三階で銃撃を受けたものだったのか?
だから妻殴りは…
妻殴りまでもが…
頭上、三階辺りから男達が騒いでいるような声が聞こえる。
今の俺たちには感傷的になる暇さえも無い。
「詩郎、急ぐよ!」
高梨が俺の背後に周り、車椅子を急発進させる。
地下一階へ行くスロープは目と鼻の先、坂を下れば給食室まであと少しだ。
給食室まで行けば出口が見えてくる。
車椅子を押す人間が違うと乗り心地がこうも違うのか。
パリスや栗栖だと遅かったり、急な停止で揺れるのだが、高梨が押すと動きが滑らかなのだ。
これは安心して乗っていられる。
速度も明らかに高梨の方が速い。
疾走する車椅子がスロープに差し掛かった時、急にバランスを崩し俺は車椅子から放り出された。
「ぬなーーっ!」
斜面に身体を打ち付けられ、そのまま俺は横転し転がり落ちていく。
何処まで転がって行くのかわからなくなるほど転がり続ける。
何かに激しくぶつかって、やっと止まることが出来た。
ここはどこだ?
身体の全ての部位が痛いと言っても過言では無いぐらいの苦痛だ。
その苦痛に耐え、頭を起こし周囲を見回す。
地下一階の給食室外の搬入口のようだ。
なんとかここまで辿り着いたか。
俺はどうやら停車しているトラックのタイヤにぶつかって止まったようだ。
「詩郎ーっ!」
高梨がすぐさま駆け寄ってきた。
「高梨…、お前は俺に何をした?」
「詩郎、ごめんね。急に車椅子の車輪が片方外れたんだよ!」
スロープの方を見上げると、確かに車椅子の片方の車輪は外れて横転、壊れていた。
「ダストシュートから落とした衝撃で壊れていたのか。」
「そうかもしれないね、ごめん詩郎。痛くない?」
高梨が俺に肩を貸し、立ち上がらせようとするのだが痛くて立ち上がれない。
何処が痛い?身体の全てだ。
ここでパリスが来て、俺のもう片方の肩を支えようとするのだが、この状況においてもパリスの野郎はいつもの薄笑いを浮かべてやがる。
パリスの野郎っ、ぶん殴りてぇ…
「シロタン大丈夫?」
社交辞令のようなパリスの一言が余計に腹が立つのだが、怒りよりも痛みが遥かに勝る。
「大丈夫じゃない…」
「パリス、あれを持ってきて。」
そんな中、高梨がパリスへ目配せした。
高梨の視線の先にあった物はトラックの後輪付近に置いたままで放置してあった手押し台車だった。
パリスがその手押し台車を持ってくる。
大きい段ボール箱を乗せられるぐらいの大きさの台車だ。
食材を搬入するのに使っている物だろう。
「俺を…、その台車へ乗せるのか?」
誰も何も言わない。
「俺は食材か?俺は……、豚肉か?」
「詩郎、ごめんね。車椅子は壊れたからこれしかないんだよ。」
こんな物に乗せられてたまるか!
と思うのだが、今や俺の身体は自分の意志で満足に動かすことすら出来ない。
どこか骨折しているかもしれない。
高梨とパリスは俺を台車の上に乗せる。
俺はそこで全身の痛みに耐えながら、やっとの思いで胡座をかく。
俺のような並外れた肥満体が手押し台車に乗せられている光景を思い浮かべてみろよ…
なんて滑稽かつ惨めなことだろう。
今や俺の服はあちこち破け半裸に近く、しかも全身傷だらけだ。
その様が滑稽さをより引き立てている事だろうよ。
これが他の奴だったら、俺は罵倒し嘲笑っていることだろう。
それを俺が…、この俺が…、みすぼらしく惨めだ。
頬に熱いものが流れてくる。
高梨が清潔そうなハンカチを取り出し、それで俺の涙を拭う。
「嫌だろうけど、あと少しだから我慢してね。」
そんな高梨の言葉が余計に哀しい。
「パリス、急ごう。」
高梨は自動小銃を片手に給食室へと繋がる大きな引き戸を開け、台車に乗った俺はパリスに押され給食室へと入る。
俺たちが給食室へと入り、引き戸が閉まった時、大きな笑い声が響き渡った。
「風間!その姿はどうした?
屠殺され食肉センターから運ばれてきた豚肉みてぇだな!」
その声の主はヅラリーノだった。
ヅラリーノがデカい声で哄笑している。
ヅラリーノの声が酷く耳に響き、心臓の鼓動と同期しているかの様に頭が痛む。
しかし、
「お前は生きていたのか?」
なんとか声を絞り出す。
「ああ、お前らは俺の演技に騙されたんだよ!」
「畜生っ。」
横で高梨が吐き捨てるかのように言い、自動小銃を構える。
「おっと、撃つなよ。俺にはこいつがいるんだからな。」
ヅラリーノは丁度テーブルで死角になっていた所から、何かを抱き起こした。