誰よりも先に蜘蛛の糸を掴め
「栗栖は息をしていない。」
俺の背後からの声だ。
その言葉には抑揚の無い特徴的な喋り方…、糞平か。
糞平は感情の起伏に乏しく、何故かいつも布団を担いで持ち歩いてる男だ。
布団を持ち歩く理由は誰も知らない。
俺は振り返り、背後にいる糞平を見る。
今日は布団を担いでいない。
と思ったのだが、近くに畳んで置いてあった。
やはり屋上にまで布団を担いで来たのだ。
糞平のその言葉にクロと榎本が露骨に後退りした。
「糞平、それは本当か?」
「よく見ればわかる。栗栖の胸は動いていない。」
俺は栗栖の胸元を凝視する。
糞平の言う通り、栗栖は息をしていない…
栗栖は死んでいる…、のか?
糞平が栗栖に近付き、手首を手に取る。
「脈も無い。彼は死んでいるよ。」
栗栖は死んでいる…
どういうことだ…
「死んだと決めるのはまだ早いよ!僕が救急車を呼ぶから、誰か救急車を呼んで!」
クロはそう言った後、スマホを取り出す。
そうだ、クロの言う通りだ。
まだ蘇生する可能性があるかもしれない。
妻殴りが心臓マッサージをしようと栗栖の胸元に両手を当てる。
「ちょっと待ったっ!」
珍しいことに糞平が語気を強めた。
こんな糞平を見たことが無い。
糞平の勢いに一同、圧倒され凍り付いたかのように動きを止めた。
糞平は栗栖のサスペンダーをそっと摘み、観察し始めた。
「大丈夫だ…」
元の抑揚の無さを取り戻した糞平だが、額に汗を滲ませ、目を充血させている。
何が大丈夫だと言うのか?
こうしてる間にも蘇生出来なくなるというのに…
「栗栖に触らないで。」
糞平は妻殴りを後に退がるように促す。
「ちょっと待って、心臓マッサージをしないと、」
「蘇生は後だ!」
焦るクロを糞平は一喝した。
再び一同、凍り付く。
糞平の言う、蘇生は後とはどういうことなのか?
糞平はゆっくりと栗栖の白ブリーフを留めているサスペンダーの金具に触れ、慎重過ぎるぐらいに金具を外した。
糞平は額に滲む汗をハンカチで拭う。
そして、わざとらしいぐらいの溜息を漏らす。
こいつ、この緊急事態に何をしているのだ?
糞平はそのサスペンダーの紐を栗栖の肩の方へ退かす。
そして今度は白ブリーフの腰回りのゴム部に手を掛けた。
こいつ、白ブリーフを脱がし栗栖のいちもつを拝もうって魂胆か?
一刻を争うこの時に何をやってるのか…
糞平は白ブリーフの腰回りのゴムを広げ、ゆっくりと下げていく。
こいつ、何を考えてるんだ?
栗栖の巨大な股間の膨らみを避けるようにして白ブリーフが下げられた。
そこにあったのはいちもつでは無かった。
デジタル時計と何か機械のような物だった。
「やっぱり。
これは時限爆弾だ。」
糞平のその言葉に一同驚く。
近くでクロが嘔吐をし、その悪臭が漂ってくる。
いつもなら貰いゲロしそうになるのだが、今はそれどころではない。
「時限爆弾だと⁉︎糞平、それは本当なのか?」
糞平は頷く。
栗栖の股間の上にある時限爆弾らしき物のデジタル時計を見る。
既にカウントダウンが始まっていた。
残すところ、あと1分を切った。
「糞平、解除しろ!」
「シロタン、何を言うんだ。
僕にそんな事出来るわけないじゃないか。」
この状況下でさえも糞平の言葉には抑揚が無く冷静だ。
「糞平っ、お前は爆弾魔みたいな人相なのに解除出来ないのか⁉︎」
「それは君の勝手な思い込みだよ。」
「ならば、その爆弾を遠くへ投げろ!」
「ダメだよ、シロタン。この爆弾はしっかり栗栖の股間に取り付けてある。無理に外したらどうなるかわからない。」
どうしたらいい?どうしたらいいのか?
そんな中、糞平がいつも担いで持ち歩いている布団が目に入った。
「お前のその布団を栗栖に被せるんだ!そうすれば多少は爆発の衝撃を抑えられるかも知れない。」
「何を言うんだ!これは駄目だ、絶対に駄目だっ!」
糞平の顔色が変わった。
小走りに布団の元へ行き、手にとった。
この布団がどんなに大事なものかは知らぬが、これしか無い!
周りを見ると既にクロと榎本はこの場から離れていた。
奴ら、逃げ足だけは早い。
「妻殴り、お前がやれ!」
「わかった、しろたん!」
妻殴りは糞平から無理矢理に布団を奪い取った。
既に時計は20秒を切った。
「急げ、妻殴り!」
妻殴りはすがる糞平を蹴飛ばし、布団を栗栖に向かって投げた。
布団は上手い具合に栗栖に被さった。
俺は車椅子を方向転換させ急発進、渾身の力を込め、全力で車椅子をこぐ。
数秒後、爆発音が鳴り響き、その衝撃で校舎が揺れた。
俺は車椅子ごと横転、地面に叩き付けられた。
しかし無事だ。
幸いなことに腕を擦り剥いた程度の傷で済んだ。
辺りを見回すと、妻殴りと糞平がうずくまっていた。
二人は動いている。無事なようだ。
「シロタン!大丈夫⁉︎」
クロの声だ。
どこからかクロが駆け寄ってきた。
「ああ、クロはどうだ?」
「僕はこの通り、無傷だよ。」
「それは無傷だろうよ。
お前と榎本は先に逃げたのだからな。」
「ごめん…」
クロは俺の車椅子を起こし、手を差し出す。
クロは気まずそうな表情を浮かべていた。
俺はその手を握るのだが、クロ一人の力では俺を起こすことが出来ない。
「妻殴り、手を貸して。」
クロのその言葉に、既に起き上がっていた妻殴りが寄ってくる。
クロと妻殴りの力によって俺は起き上がり、なんとか車椅子へと移乗した。
爆発のあった場所を見る。
栗栖も糞平の布団も跡形無く、その場周辺の床や壁、フェンスも爆発によって吹き飛ばされたようだ。
そしてその周辺には栗栖のものと思われる肉片が散乱している。
「うっ、ぼぇっ、」
隣にいたクロもそれを見たのか、嘔吐しそうな声を出した。
「お前は見ない方がいい。」
クロは爆発地点から顔を逸らした。
ふと糞平のことが気になり、奴がうずくまっていた方を見る。
糞平は爆発地点の方を見て、その場に座り込んでいた。
元から感情の起伏に乏しい奴だが、それでもわかるぐらいに生気を失い、正に茫然自失としていた。
栗栖に布団を被せろと俺が言った時、糞平は感情を爆発させた。
あんな糞平を見たことが無かった。あの様子から察するに、そんなにあの布団が大事な物だったのか…
それなら家に置いておけ、と思うのだが、それだけ大事だからこそ持ち歩いていたのかもしれない。
その時、何処かでハウリングさせたような騒音が鳴り響いた。