7 冒険者生活は甘くない
「い、一万ゼニー……?」
あまりのことに驚いて、私はつい復唱してしまった。
実家にいた頃なら、そのくらいポンと出せた金額だ。
でも、それは家が裕福だったのと、お金の価値観が貴族と市井とでは全く異なっていたからだ。今は、一ゼニーを稼ぐのでもとても大変なことを知っている。
ディータと倒したあのモンスターの討伐の報酬としてもらったのが三万ゼニー。そのほとんどは、新しい装備を作るのに使ってしまった。
つまり、今この場で払うことはできない。本登録も、できないということだ。
「これは、保険料のようなものですから。納めていただいて損をさせることはありませんし、ギルド側が損をしないための仕組みでもあります」
「それは……わかります。でも、あの……待っていただくことって、できますか?」
私はどうにかお金の工面ができないかを考えた。
二束三文にしかならないだろうけれど、教会から支給されていた古い装備を売って、それからどこかで皿洗いの日雇い仕事なんかを探して、何日か働けば……できないこともないだろう。
でも、それは途方もなく時間がかかる。冒険者として仕事ができれば、一発で稼げる額なのに。
「登録料なんてあったか? 俺、取られた覚えないんだけど」
それまでずっと黙っていたディータが、納得いかないといった様子で口を開いた。
これは突っ込まれたらまずいことなのだろうかと職員の顔をうかがうと、意外なことにケロッとしている。どうやら、後ろ暗いことはないようだ。
「ディータさんがギルドに来たときは、なかった制度ですから。でも、冒険者の増加や依頼内容の多様化に合わせて、設けることにしたんです。まあ、この登録料制度ができてからも、野良をする人や転売をする人はいなくならないので、今後変わっていくかもしれませんが」
今の説明を聞く限り、この場で誤魔化すためについている嘘というわけではないようだ。
ということは、どうあっても登録料は払わなくてはいけない。
「それなら、登録料を納めさせる前にまずこの卵を精算しろ。珍味なんだったら、そこそこ金になるはずだろ? まさか、試験で取りに行かせた卵だから精算しない、なんてこと言わないよな? 本来なら、そこそこの難易度の調達任務で、一万ゼニー以上は報酬が出たはずだと思うんだが」
「そ、それはもちろん、精算しますよ! お待ちください」
ディータが交渉してくれたことで、職員は卵を抱えて奥へと引っ込んでいった。それから少しして、ニコニコと戻ってくる。
「かなりいい状態で持ち帰っていただいたので、ひとつ二千ゼニーでいかがでしょうか」
「なるほどな。四割ほどこっちに還元する計算で、ひとつ五千ゼニーくらいでどっかの料理屋に売るってわけか」
「えっと、値付け自体は出入りの業者がやるので正確な金額まではわかりませんが、まあ、そのくらいかなぁと思うんですけど……」
ディータは卵の引き取り額に納得いってないようだったけれど、私としては少しでもお金が手に入るのはありがたかった。
とはいえ、それでも全然足りていない。こんなことなら、もっと頑張って卵を取ってくればよかった。
「んじゃ、その卵三つで六千ゼニーだな。足りない四千ゼニーは俺が出す。だから、イリメルをギルドに登録してくれよ」
私がお金の工面で頭を抱えていると、ディータが銅貨をジャラジャラとカウンターに置いて言った。
「え、ディータさん……」
「そうですね! それがいいですね! そうすればイリメルさんはギルドに登録できて、すぐに依頼を受けられるようになりますからね。ディータさんに借りたぶんも、すぐに返せますよ」
私が言葉を発するより先に、職員が意気揚々と話をまとめてしまった。そしてカウンターの上の銅貨を掴んで、また奥へと引っ込んでいってしまう。
「すみません……何から何までお世話になってしまって」
自分では職員と交渉すらできなかったし、何よりお金を工面することはできなかった。だから、本当にありがたかった。けれど、それ以上に申し訳ない。
ディータとは今日たまたま出会っただけの中で、こんなにも親切にしてもらう理由がない。おまけに私は、彼の親切に返せるものもない。
貴族の家に生まれて、返せない恩は借りてはいけないことは、よく言い聞かせられている。返せない恩とは、そのうちに弱みになる。もしくは、歪みになる。
だから、恩を受けたら多少無理をしてでもすぐに返さねばならないのだ。
今の自分に何ができるのだろうかと考えて、また頭が痛くなってきた。
「イリメル、そんなに堅苦しく考える必要はないから。それに、こういうときは『ありがとう』って言われたほうが嬉しいもんなんだよ」
「あ、ありがとうございます……本当にどうお返ししていいかわからないほどよくしていただいて」
ディータに指摘され、彼にまだお礼を言っていなかったことに気がついた。
謝罪よりもお礼をというのは、親切にした側としては当然の感情だ。謝らせたくて親切にしたわけではない。
「はい、それでは登録完了です。イリメルさんはDランクでの登録ですね。仮登録の腕輪から、こちらに付け替えてください」
「わかりました」
手続きが完了した職員に新しい腕輪を渡され、つけていたものと交換した。仮登録のものとは違い、石の珠がついている。うっすら魔法を感じるから、おそらくこれで個人の情報を管理しているのだろう。
「イリメルは、俺にどうお返ししたらいいかわかんないって言うけどさ、それなら、今後俺と一緒に行動しないか? 二人だけじゃパーティーと呼ぶには、少ないけど」
「え……」
突然のお誘いに、私は戸惑った。そんな私が口を開けないでいると、代わりに職員が話し出す。
「それはいいアイデアですね! ひとりより二人のほうが受けられる依頼の幅が広がりますから。それに、依頼受注時にギルドに預けておく保証金も頭割り、つまり半額ずつ持つことができます。多くの方がパーティーを組むのは、そういったメリットのほうが多いからなんですよ」
「メリット……なるほど」
「それに、ディータさんはこれまでずっとソロの流れ者でしたから、そろそろ誰かと組むのはよい機会だったんじゃないですかね。こうして縁があったわけですし」
お誘いの真意がわからなかったから戸惑っていたのだけれど、職員の解説によってディータにもメリットがあることがわかった。
彼も否定せずに職員の話を聞いていたということは、そういったメリット込みでの提案だったのだろう。
「足手まといになってしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」
「俺が放っておけないだけだから、気にしなくていいよ」
屈託なく笑うディータを見ていると、心の負担が少し軽くなった。
どのみち私は、今は誰かに頼らなければ生きていけない。それなら、彼みたいなおおらかな人に頼るのがいいのはわかる。
だから、私は親切で優しいディータと、彼と出会わせてくれた幸運に感謝した。
「それじゃあこれから、よろしくな。明日から、地道に依頼をこなしていこう」
「はい!」
こうして私は、野良の冒険者からギルド所属の正式な冒険者としての生活をスタートさせた。
ギルド登録料の不足分のほか、食事代、宿代など、毎日暮せば暮らすほどにディータへの借りが増えていってしまう。
それが本当に心苦しいから、野宿でいい、そのへんで食べ物を採取するからと申し出たのだけれど、驚き半分怒り半分で却下されてしまった。
彼は私を世間知らずのお嬢さんだと思っているようだけれど(確かに実際そう)、彼に出会うまでは何とか自分でやってきたのだ。
だから、少しでも日々借りを返せたらとギルドのカウンターに依頼を求めて顔を出しているのだけれど、割のいい仕事はあまりなかった。
あるにはあるのだけれど、そういった仕事は大抵、人数の多いパーティーに割り振られてしまうのだ。
だから仕方なく、私はちまちまと採取や調達などの依頼をこなし、少しずつお金を貯める日々を過ごしていた。
そんなある日、意気揚々とギルドの職員に声をかけられた。
「イリメルさんとディータさんにご紹介したい、いい仕事が入ったんですよ」
「そうなんですか?」
眼鏡の職員が妙に上機嫌なのが気にはなるけれど、依頼があるのはありがたかった。わざわざこうして声をかけてくれるということは、いい仕事なのかもしれない。
「俺たちに声かけるってことは、ほかの冒険者には頼みにくい仕事ってことか?」
ディータも何かを感じたのか、仕事の内容を聞く前に確認した。やはり、裏があると考えるのが当然なのだろう。
「まあ、簡単に言うとそうですね。というより、今回の依頼はあくまで調査なので、慎重に繊細に仕事を進めてくれそうな人に声をかけました」
疑われていることに気づいていないのか、職員は気にすることなく説明する。
そう言われると、悪い話ではないのかもしれないという気がしてきた。
「ほかの冒険者に任せると、現場を著しく破壊したりだとか、持ち帰る結果が雑だったりだとか、まあ、あまり期待はできませんので」
「ってことは、今回俺たちが行かされるのは現場の下見にまだ誰も行っていない、不確定な要素が多いってことなんだな?」
「え……ええ、まあ、そうです」
何だか信頼されているとか、評価されているように感じてホクホクとしていたのに、ディータが鋭く指摘した。すると、職員は少ししどろもどろになる。
「でも、調査ってことなら、不測の事態が起きたり危険が及んだりすれば、途中で撤退しても報酬は支払われるってことだよな? とりあえず、斥候を務めることができたら、依頼は完了だよな」
「そうです。何せ、簡単な内容ですから」
後ろ暗いことは全くないのか、職員の笑顔は崩れない。その笑顔が、逆に嫌な予感を覚えさせるのだけれど。
「――とある洞窟から不気味な声がするので、とりあえずその声の主の正体を拝んできてください」
職員の言葉を聞いて、予感というのは馬鹿にならないなと感じていた。