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49、駒

「そんな約束はしてませんわ」

 自分でも意外なほどはっきりと、拒否の言葉が口から出た。この魔力使いには、ちゃんと言わなければ通じない。
 アリツィアは背筋を伸ばした。

「条件は婚約破棄だけでした。それだけで十分だと思いますけど」

 カミルは二、三度小さな瞬きをした。

「でも一緒がいいんだよ。言っただろ? アリツィアのこと気に入ったって」
「あのときもお断りしましたわ」
「え……? でも……そんな」

 アリツィアが断るとは思ってなかったのだろうか。カミルは意外そうにアリツィアを見ている。
 この思い込みの強さは、大魔力使いに近い自分の地位への傲慢さというより、もっと素朴な、カミル自身の幼さに由来するのではないだろうかとアリツィアは思う。
 そう思えば、この花だらけの大広間も、子供の描く落書きに似たものを感じた。統一感がなく、季節に関係なく満開を誇る花、花、花ーー。
 思い付きで行動する子供のそれだ。
 アリツィアは少しだけ声を柔らかくした。 

「第一、カミル様にはラウラ様という婚約者様がいらっしゃるじゃありませんか。わたくしではなく、ラウラ様とこれからは共に過ごすのでしょう?」
「ラウラ? 誰だっけ。ああ、あの女の人」

 イヴォナの寝台の周りに咲いている百合のような、艶やかで匂い立つ美女。ラウラ・ジェリンスキ。
 それをカミルは鼻で笑った。

「あの人に興味はないよ。頼まれたから婚約しただけ。いつでも破棄していいって言われているし」

 頼まれている? 言われている? 
 その言い方が気になった。

「ジェリンスキ公爵様に頼まれたのですか?」
「まさか。あいつはただの哀れな駒だよ。言われるまま、いろんな犯罪に手を染めてさ。発覚するのは時間の問題だ」

 カミルの淡々とした言いように、アリツィアはジェリンスキ公爵家が本当に没落に向かっていることを実感した。
 
「ではやはり……スモラレク男爵に融資をする代わりにレナーテを送り込んだのは、ジェリンスキ公爵様ですのね」

 カミルは笑った。

「知ってたんだ。そうだよ?」
「お父様に呪いをかけたのも、そうでしょうか」

 カミルは意外そうに眉を上げたが、すぐに頷いた。

「そうだよ」
「どうして?!」
「アリツィアのせいだよ?」
「わたくし?」
「アリツィアがミロスワフと仲がいいことを知ったラウラが、ジェリンスキ公爵になんとかしてくれって頼んだんだってさ。ジェリンスキ公爵はクリヴァフ伯爵家とサンミエスク公爵家がくっつくのが怖くなって、レナーテを送り込んで呪いを発動させたんだ」

 アリツィアは背中に氷水を浴びたような気持ちになった。

 ーーまさか。

「レナーテを使ってですって!? じゃあ、お父様を呪ったのはレナーテですの?」
「本人は気づいていないよ。レナーテがクリヴァフ伯爵と接するたびに、少しずつ体力がなくなる呪いをかけたんだ」

 誰が、とは聞かなくてもわかった。

「そんなことできる方、一人しかおりませんわよね?」
「そうだよ」

 カミルは誇らしげに言った。

「それをしたのは僕だよ」

 褒めて、と言わんばかりのカミルの笑顔にアリツィアは目眩がした。
 違う、カミルは子供なのではない。
 誰かにとって大切な存在が傷つけられることが、どういうことなのかわからないのだ。


「ね? アリツィア、僕ってすごいだろ?」

 その言葉にアリツィアが頷くと思っているのだ。
 アリツィアはゆっくりと首を振った。
 
「……レナーテに呪いをかけながら、イヴォナとレナーテがさらわれそうになったら助けたのはなぜですの?」
「いちいち、誰にどんな呪いをかけたのか覚えてないから。偶然だよ。レナーテも僕に呪いをかけられたことは知らないでしょう?」

 アリツィアはわずかに眉を寄せて、唇をぎゅっと結んだ。
 小さく息を吐く。

「……さっき、ジェリンスキ公爵のことを駒だとおっしゃいましたけど」

 この若い魔力使いは何も考えていないのだ。

「あなたもそうですのね」
 
 誰かの考えを代わりに遂行しているだけ。

「あなたも駒なんだわ」

          ‡

 温かい牛乳を用意してアリツィアの寝室に戻ったドロータは、わずかな時間の間にアリツィアが姿を消したことを、すぐにスワヴォミルに報告した。
 もうこれ以上娘を失うわけにはいかないとばかりに取ったスワヴォミルの行動は、素早かった。
 すぐにサンミエスク公爵家と魔力法学者ヘンリク・ヴィシュネヴェーツィキに連絡を取り、アリツィアの所在を探すための協力を依頼した。
 それからスワヴォミル自身は、真夜中にも関わらず、ジェリンスキ公爵家に向かった。
 
「……なんらかの方法で連絡を取っているはずだ」

 カミル、あるいはーー魔力保持協会と。

「いつまでもやられているばかりと思うなよ」

 スワヴォミルは奥歯を噛み締めた。

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