4、落ちない羽
そうして迎えたサンミエスク公爵の舞踏会当日。
馬車から降りるアリツィアの装いは、一分の隙もなかった。
イヴォナがスワヴォミルに囁く。
「お父様、ご覧になって? さっきのお小姓、アリツィアお姉様に見とれて動きが止まってましたわ」
「イヴォナとドロータのおかげだね」
「ふふふ」
だが肝心のアリツィアはずっと無言だった。緊張しているからか動きまでぎこちない。
けれど、髪の毛のほつれ具合までイヴォナとドロータの計算の上に成り立っている今日のアリツィアは、会場中の注目の的だった。アリツィアの伏せる睫毛の影や、小刻みに揺れるドレスの裾に合わせて殿方が目を見開き、令嬢たちがうっとりとしている。
と、先ほどとは違う従僕がスワヴォミルに近づき、何かを耳打ちした。二、三言会話した後、スワヴォミルは娘たちに告げた。
「肝心の主役がまだ到着していないそうだ。君たちはここで待っていてくれるかい? 私は少し、挨拶回りに行ってくる」
「わかりましたわ」
答えたのはイヴォナだ。アリツィアはさっきからずっと大理石の模様を眺めて固まっている。
「ま、父親がそばにいない方が都合がいいこともあるだろうしね」
片目をつぶって颯爽と離れるスワヴォミルの言う通り、どうやってこの美しい姉妹とお近付きになろうかと考える殿方がじわじわ近づいてきていた。皆、トリコットの靴下や宝石のボタンの付いた上着で、華やかに着飾っている。
しかしアリツィアは、それらの視線に全く気がついていなかった。こわばった表情でついに呟く。
「来たとこだけど、帰りたい……」
「何をほざいてますの」
隣にいたイヴォナに即刻たしなめられ、アリツィアは泣きそうな顔になる。
「だって、人も会場も、思った以上にキラキラしすぎて……落ち着かない」
「お姉様も負けないくらいキラキラしてますわ。ほら下だけじゃなく、上もご覧になってください。あの羽!」
アーチ型の天井には、真っ白な鳥の羽が決して落ちることなくずっとふわふわ浮いていた。
「サンミエスク公爵様は確かにすごい魔力持ちですけれど、空中に羽をずっと留めておくのって大変ですわよね。魔力使いをこのために雇ってらっしゃるのかしら」
が、羽どころか、イヴォナの声も耳に入っていない様子のアリツィアだ。
それを見たイヴォナは、一体どうしてこの姉が自分から結婚を申し込むのだろうと、何度も浮かんだ疑問をまた抱いた。思いが通じているなら、相手が家を通して申し込んでくるのが一般的だろう。
ーーお姉様はこの舞踏会にしか出ないと決めていた。ということは、確実にここに招待されている方よね。このお屋敷で働いている誰かかとも思ったけど、先ほどからのお姉様の様子を見ているとそれも違うみたい。一番有力なのは、今夜の主役のサンミエスク公爵の長男、ミロスワフ様だけど、ミロスワフ様は大陸の大学から4年ぶりに戻ってきたところでお姉様との接点が見つからない。4年前のお姉様はまだ社交界にデビューもしていなかったはずだもの。となると、ミロスワフ様やサンミエスク公爵家に近い家柄の方かしら。将軍閣下のご嫡男、アギンリー・ナウツェツィエル様や、若手ながら
イヴォナは先ほどの父の背中を思い出す。
お父様もどうしてお姉様に決めさせるのかしら?
アリツィアの表情から何かわからないかとイヴォナが隣に目を向けると。
「損益と収支のことだけ考えていたい……」
苦手な社交界と、さらにこれから自分がすることに対して怖気付いてきたアリツィアが現実逃避を始めていた。
「今すぐ帰って帳簿に向き合いたい……」
「今日向き合うのは数字じゃないでしょう」
イヴォナが現実に引き戻す。そこに。
「お珍しいこと。ごきげんよう、アリツィア様、イヴォナ様」
アリツィアたちに最初に声をかける人物がいた。
振り返る前から声の主がわかっていたのだろう。アリツィアの肩にわずかながら力が入った。と、先ほどまでの気弱な姿からは想像できないほど優雅な微笑みを作ったアリツィアは、吹雪の薔薇にふさわしい雰囲気を纏って振り向いた。
「ごきげんよう、ラウラ様」
アリツィアが精一杯強気を装っていることはイヴォナにはわかった。今日のアリツィアはすでに気力は限界だ。おそらく姉は、妹を守るために切り替えた。母を亡くしてから、この姉妹はそういう風に支え合ってきたから。
姉の演技にイヴォナも倣った。
「ごきげんよう、ラウラ様」
3人は互いに、淑女らしい礼をとって挨拶を交わしたが、流れる空気は決して友好的なものではなかった。