「浮気してるって、近所の人が言ってたのよ」
浮気、その言葉に男は内心内心ぎくりとした、まさか、ばれてないよなと思ってしまう、だが、妻は、あっけらかんとした調子で、近所の人が噂してたのよと言葉を続けた。
話題を変えようと噂だろう、少しきつめの声音で表情を変えることなく返事をした、確証もなしに、そんな事を言うんじゃないと、すると妻は○△□の奥さんがねと、知らない近所の人間の話を始めた。
話題を変えようとしたのだろう、だが、一言。
「でも、皆、知ってるみたい」
おしゃべり好きの暇な奥さんて奴は、男は内心、嫌な気分になってしまった。
しかし、近所の旦那が浮気、それを薄々、感づいている人間がいて話のネタにされているというのは正直、いい気分ではない、気をつけようと思ったのは浮気をしているのがほかならぬ自分だからだ。
翌日、男は会社に行く途中、意外な人物にあった、驚いたのは右足にサポーターを巻いていることだ。
「駅の階段で脚を滑らせてしまってね、たいしたことはないんですよ」
骨折はしていない、筋を痛めただけだからという。
「久しぶりに電車通勤をしたら、このザマです」
笑った相手の顔に、そうなんですかと頷いた。
今日、○○さんに会ったよ、脚を怪我したみたいで、大変だなあというと妻は、ふーんっと素っ気ない返事だ、昨日話題にしてきたのはそっちなのにと思っていると。
「それ、自業自得ってやつじゃない」
気になる言い方で返された、しかも、妻はかすかに笑っているようだ、何故と思っていると。
「だって、浮気だよ、駅の階段で脚を滑らしたって言ってるんでしょ、皆、分かっているわよ、嘘だって」
内心、むっとしながら男は妻を睨みつけた、すると突き落とされたのよ、という言葉が返ってきた、奥さんを蔑ろにするからという。
その言葉に馬鹿馬鹿しい、当てずっぽうな、それこそ井戸端会議の女達が妄想を膨らまして、そんな事を言っているんだと思った。
ところが、その後、また出会ったのだ、あの時は脚を怪我したと思ったら、その数日後、噂の夫は顔に傷を負っていたのだ。
お早うございますと向こうから声をかけられては知らない、気づかないふりをするわけにもいかない、それにしてもなんとなく気まずさが先にたってしまう。
どこか罰が悪そうに見る相手にどんな言葉をかければいいのか、迷った。
「どうしたんです」
すると浮気の結果ですと、驚きの言葉が返ってきた。
「不満なんてありません、ただ、少しだけ、相手から声をかけられて有頂天になったというか、馬鹿ですね、離婚ですよ」
「えっ、確か、お子さんが」
妻が引き取ります、自分は一人ですと呟く相手に思わず女性はと尋ねてしまった、浮気相手の女性はと聞いてしまったのだが、後悔した。
「妻に捨てられた男なんてと、言われました」
笑われたんです、何故でしょうねと言われて言葉に詰まる、つまりは、そういうことだ、この男は妻に捨てられて浮気相手にも、多分自分でも予想しなかった結果なのでは内科と思った。
力なく歩いて行く男の後ろ姿にかける言葉もない。
旦那さんに会ったよ、離婚するそうだよと妻に話すと何がと聞かれた。
○○さん、とこの夫婦だ、離婚するらしい、だが、返事は、ふーんと、それだけだ、まるで関心がないといわんばかりだ。
妻に離婚を突きつけられて浮気相手の女性からも笑われて捨てられたと言うと、それでと妻は続きを促した。
「貴方は何が言いたいの、他人の家庭の事が、そんなに気になるの」
気にしていたのは、おまえじゃないか、近所の主婦もうわさしてたじゃないかと言うと笑われた。
「良かったじゃない、怪我と離婚程度で済んで」
何だ、その言い方は、自分の妻なのに、この時ばかりは腹が立った。
「浮気、するからでしょ」
そう言って振り返るが、視線に声に、どきりとしてしまった。
(まさか、おまえ)
気づいているのか、だが、それを聞いてしまったら駄目だ。
「子供もいるのに奥さんを裏切って、ねえっ、もしかして、あなた」
「馬鹿な事をいうんじゃない」
えっ、何、馬鹿な事って、言われてはっとした。
それから三日ほどが過ぎた。
亡くなったみたいと言われて俺は聞き返した。
離婚された男の人よと言われて、俺は驚いた。
「○○さんのご主人、駅の階段で転んで」
「打ち所が悪かったみたいで、意識が」
それで、どうなったんですと俺は近所の奥さんに尋ねた。
元、奥さんも旦那さんの家族も引き取りを拒否して、そのまま。
「ところで、貴方の奥さん、あの駅をよく、利用するのよね」
男は言葉を飲み込んだ、すると知らなかったのと奥さん達が自分を見ているに気づいた。
(本当に知らなかったの)
「まあ、昔から知らぬは亭主ばかりなりっていうしね」
「本当ね」
「仲良かったみたいだし」
誰が、誰と仲かいいって、だが、聞く事ができない、ほんの数分、ただ呆然としていた、だが我に返ると決心した、浮気相手と別れることを、だが。
「別れましょう」
その日、夕食後、妻から離婚届を突きつけられた、男は拒否した、嫌だと。
「おまえ、浮気していたんじゃないのか」
断定するような言い方に、もしかして怒るかもと思ったが、夫に対する妻の反応は呆れたと言わんばかりのものだった。
「自分が浮気しておいて」
その言い分はないんじゃない、妻の台詞にかっとなり、男は思わず両手を伸ばした。
「ええ、悲鳴を聞いて、驚いて主人と一緒に見に行ったんです、ただ事じゃないって」
「奥さんの首を両手で絞め殺そうとしていたんです」
「以前から変だったんですよ、あたし達のおしゃべりに割り込んできて、浮気がどうとか」
「奥さんに注意したんです、旦那さんのこと」
男は目を開ける、天井の代わりに覗き込んだ妻がにっこりと笑いかけてくる、よかった、ほっとしながら、ここはどこだと聞こうとして声が出ないことに気づいた、いや、それだけじゃない、起き上がろうとしても手が、体が、動かないのだ。
「事故に遭ったのよ、覚えてないの」
車でといわれて思い出した、妻の言葉にかっとなって両手を伸ばして(そうだ締めようとした、いや本気ではなかった)
だが、近所の人が、それで逃げるように飛び出して、浮気相手のところに行こうとしたのだ。
だが、体が動かない、いや、それだけではない、感覚がないのだ、医者が話しかけてくる、リハビリを続ければいずれは治るだろうと。
(だろうって、どういうことだ)
返事ができない、いや、聞きたくても言葉が出なかった。
「本当に息子がひどいことをした」
あんなに尽くしてくれる嫁を裏切ってと両親に罵られた。
違う、浮気していたのは俺だけじゃないんだ、だが、言葉は届かなかった。
「随分と、その想像というか、あるんですよ、自分が浮気をしているのは妻もしているからだと言って、ストレスのせいもあるかもしれませんね」
医者の言葉に男の両親が納得するのは十分だった、それが引き金だったのか、男は未だに声がうまくでない。
「浮気なんてするからよ」
別れ際の妻の言葉を思い出す、ああ、そうだ、自分が馬鹿だったと。
だが、後悔して声を上げて泣くこともできなかった。