【4】二人の間に愛が生まれた夜
――不安なのは、理性が堪えられるか否かだ。
一緒にいたら、押し倒してしまいそうで怖いのだ。なんと言葉をかけようか思案しながら、ジェラルドはノックした。
その音にびっくりしながら、レティシアは返事をした。
鈍い音がして扉が開き、ジェラルドが中に入ってくる。
後ろ手に扉を閉めて、彼はまっすぐにレティシアを見た。ドキドキしすぎて、じっとジェラルドを見ながら、レティシアは硬直していた。
その彼女を見て、ジェラルドはかけようと思っていた言葉を忘れた。
ふっとんでしまった。
嫌な汗をかきそうになる。煩い鼓動を自覚して、いやでも自分が一目惚れしていたという現実を突きつけられる。
様々な理由をつけたが、夜会で一目見てから、一時たりとも彼女のことが忘れられないのだ。レティシアの気持ちは分からないし、恐らく自分のことが嫌いなのだろうとジェラルドは思っているが、それでも、それでもなお、彼はレティシアのことが、正直に言ってしまえば好きだ。
「ジェラルド様……お仕事、お疲れ様でございます」
レティシアが必死に言葉を絞り出した。
その声で、ジェラルドは漸く我に返った。
「君こそ、長旅で疲れたんじゃないか?」
「お気遣い有難うございます。わたくしは大丈夫です」
彼女が自発的に口を開き会話をしている姿を、ジェラルドは初めて見たような気がした。
目がこんなにも長く合っているのも初めてだ。
理性は役に立たず、気づくとジェラルドは歩み寄っていた。
そしてレティシアの正面に立ち、右手の指先で彼女の頬に触れていた。その温度に吸い寄せられる。華奢な首筋に、目が惹きつけられる。
惜しげもなく白い肌を露出させたナイトドレスは目の毒だ。
ジェラルドは、思わず彼女を抱きしめていた。
固く厚い胸板に抱きしめられて、レティシアは動揺した。
力強い腕が背中にまわっている。温かい。
おそるおそる自分の手も、ジェラルドの背中に回してみる。
ジェラルドは、レティシアの上気した頬も涙ぐんでいる瞳も、何もかもに心を揺さぶられた。
――その日は、彼女を抱きしめて眠った。
朝になり、ジェラルドは目を覚ました。腕の中にいたレティシアもすぐに目を覚ましたが、ジェラルドは寝ていて良いと伝えた。
レティシアは、妻だから起きると小さく言ったが、起きあがろうとして動きを止めた。
体がだるいようだった。
そう述べる声が恥ずかしそうで、ジェラルドはいじめてみたいような気分になったが、優しく微笑み、彼女の髪を撫でておいた。
すると目に見えて真っ赤になったので、満たされた気分になった。
一人で朝食をとるジェラルドに、使用人達は何も言わなかった。
執務室へ行った時、無表情の執事の、それでも何か言いたそうな呆れたような瞳を見て、ジェラルドはばつの悪そうな顔をした。
「……なんだ?」
「いいえ、別に」
「言いたいことがあるならはっきりと言え」
「特にありませんが」
ローレンの声に、ジェラルドは視線を逸らした。
昨日言ったこととやったことが違う自覚があったから、なんともきまりが悪い。その後仕事をし、昼食は当初から別の予定だったので、軽食を執務室で食べた。
レティシアと再び顔を合わせたのは夕食の席だ。
彼女はこれまで通り氷のような表情で、話しかけると時折嫌そうな顔をした。
あるいは俯いている。
はじめこそジェラルドは、その反応に心が折れそうになった。
しかし、まじまじと見ている内に気がついた。
耳があかい。照れているような気がする。
仮にそれが誤解でも、ジェラルドは構わなかった。
もう彼は、レティシアに夢中だった。
露骨にその感情を表には出していないが、その思いは止まらない。
レティシアを連れ帰ってから一週間が経つ日まで、ジェラルドは毎夜彼女の部屋を訪れた。日に日にレティシアは、ジェラルドの温もりになれていく。
もうジェラルドには……子供が出来たら困るという概念はとうになかった。
逆に、一刻も早く彼女との間に愛の証が出来る事を祈っていた。
例えここを出て行ったとしても、子供が出来たとなれば、レティシアが自分と縁を完全に切ることが難しくなると言う思いさえ浮かんできていたのだ。
跡継ぎであることを切望し子供を作ることよりも不純な動機かも知れないと彼は思っていたが、ジェラルドは、もうレティシアを手放せる気がしなかったのである。
大抵毎日レティシアは夕食直前に侍女に起こされ、夜通しジェラルドに抱かれ、日中は眠っていた。その日中にジェラルドはきちんと仕事をかたづけていたのだからすごいとも言える。
――その内に、二週間などすぐに経過した。
出立の前日まで、かわらずジェラルドはレティシアを腕に抱きしめて眠った。最後の夜は、翌朝が早いこともあり、ジェラルドは別室で眠ろうかと考えていた。
しかしレティシアが、「行かないで欲しい」と泣いた時、その考えは霧散した。
彼女から自発的に頼み事をされたのは、それが初めてだったのだ。
勿論行かないわけには行かないが、ジェラルドはそれが心底嬉しかった。
「何があっても死なずに生きて絶対に帰ってきて」
そう言われた時には、もう堪えられなかった。
思わずジェラルドは、
「好きだ。愛してる」
――と、伝えていた。
するとレティシアは涙をぽろぽろこぼしたまま小さく頷いた。
結婚当初からジェラルドは、二週間経ったら出て行って良いのだと言おうとしていたのに、ついに最後まで言えなかった。
出来ることならば、レティシアに出て行って欲しくなかったのだ。ここで帰りを待っていて欲しかった。
それ以外の最低限のことは伝えた。
『使用人をやめさせる時は、きちんとした理由を提示し、執事のローレンと、手紙でジェラルドへの許可を取ること」及び「資産は好きに使って良いし、基本的にやりたいようにして良いが、家や領地が傾くようなことはしてはならないこと』
――である。
旅立つ朝は、レティシアが見送りに出てきた。
彼女が外へと出るのは、嫁いできた日以来のことである。ジェラルドが抱きしめて頬にキスをすると、レティシアが小さな声で、「私も愛しています」と呟いた。
ジェラルドは、幸せな気持ちで旅立った。