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【1】王都の夜会

 このレイスロフト王国では、本来であれば、初夏に社交界が始まり、晩秋にそれは終わる。しかし今年は急遽、新年が訪れ一段落した現在、二月の中旬から大規模な夜会が開かれることになった。毎夜シーズン中と変わらないほどの夜会が予定されていて、三月の中旬まで続く事が決まっている。

 名目は、古国と呼ばれるこのレイスロフトの、第二位王位継承者である王弟殿下の妃探しだ。だが、冬の険しさがまだ残るこの時期では、雪に阻まれ出席できない者とているのだから、公平に探しているとは言えない。それでも誰も異を唱えないのは、あくまでもそれが『名目』であると分かっているからだ。

 古国レイスロフトは、近い内に開戦する。もう戦禍が迫るまで秒読みの段階だ。緩衝地帯だった隣国エスメラルダにおいては、すでに時折戦闘が起こっている。相手は、エスメラルダを挟んで広がるキーセンシア王国だ。

 実際に王弟殿下が婚姻するか否かは分からない。けれど、戦地へ向かうことになる多くの貴族男子には、結婚が求められている。無論、貴族令嬢とて相手を探し求めている。

 家を守り血を残すために他ならない。血統が死に絶えれば、お家断絶は免れない。

 他家から養子を取ろうにも、戦争へと借り出される人間が多いから情勢的に困難なのだ。そのため、夜はパーティ、昼は政略的な見合いが、現在王都では精力的に行われている。

 ――死ぬ前に恋をしたい。

 そう願う人間も多い。だから夜会の場では、数多の恋が生まれている。
 ……らしい。

 レティシア・ミーディアスは、広げた扇で口元を隠した。

 光の加減で銀にも見える、結い上げた金髪は、彼女の白磁の肌を、よりいっそう際だたせている。大きな目をふちどる睫は長く、海色の瞳は美しい。ミーディアス伯爵令嬢の美貌は会場でも噂となっている。

 だが彼女に声をかける人間は、滅多にいない。

 無表情のレティシアは、時折声をかけられると、目を細めて嫌そうな顔になり、会話の応対もあまりしないのだ。

 最初は、高嶺の花だと言われていた。

 次第にプライドが高く嫌味な女だと陰口をたたかれるようになった。そして現在、彼女は見事に嫁ぎ遅れた。十六歳から十八歳までが適齢期とされる貴族令嬢の中で、既にレティシアは二十一歳である。

 ――恋はおろか、政略結婚の話すら来ない。

 それが現実である。ミーディアス伯爵家は、伯爵家ではあるが、その歴史はどちらかといえば浅い。その上、前伯爵である父が亡くなってからは、金銭的余裕が無くなりつつある。だから持参金もあまり見込めないという評判は誰でも知っている。

 けれどミーディアス伯爵家にも、レティシアの居場所は無いに等しい。

 伯爵位を継いだ彼女の兄が、昨年結婚した。その実の兄と、義姉となった夫人とも、レティシアはお世辞にも仲が良いとは言えない。

 二人に対してもレティシアは、大抵の場合目を細めて嫌そうな表情を浮かべるのだ。話しかけられても、精々頷く程度である。

 兄夫婦が、「早く結婚して出て行かないかな」と話している姿を、レティシアは何度か目撃したことがある。いつも気づかないふりで私室へと戻るのだが。

 壁の花というのが相応しい彼女は、ただ無表情で正面を眺めていた。会場は混雑していて、行き交う人々が多い。だから一人で立っていても、遠目から見れば、きちんとパーティ参加者の一人としてなじんでいるように見えるだろう。

 彼女の隣には、たまに人が立つ。大抵そう言う人は、一休みに来て、壁に背を預けているのだ。そしてすぐにまた、恋を探しに行くのだ。だから、今回も隣に誰かが立ったが、レティシアは見もしなかった。

 隣から向けられる視線に気づいたのは、暫く経ってからのことだった。

 いっこうに立ち去る気配のない隣の人物の存在を認識した時、見られていることに気がついたのだ。なんだろうかと視線を向けて、レティシアは少し驚いた。

 目があったその相手は、彼女から見てとても格好良かったのだ。彼女は、生まれて初めて、実兄よりも端正な人間を見た気がした。レティシアは、あまり仲が良いとは言えないが、兄の顔が好きだった。

 そして現在目が合っている青年の顔も、とても好きだと思った。実はレティシアは、極度の面食いなのだ。美しい人を見るのが好きだった。ただし彼女の美的感覚は、必ずしも平均的ではないだろう。

 なぜならば、レティシアはこの会場でもっとも美しい顔立ちの女性だが、本人の評価は全く違うのだ。

 彼女は、この会場で最も見るに堪えない醜さを誇っていると自負していたのだ。昔から周囲は、彼女の美しさに息を飲む。あまりにもの美しさに目をそらす者も多かった。

 逆にじっと見たり、邪な想いを抱いてニヤニヤする人間もいた。レティシアは、それらの反応を、見るに堪えないあるいは見れば笑えてしまうほどの醜さを自身が手にしているからなのだと思いこんでいるのだ。そんな彼女からすると、夜会の場は、正直気後れしてしまう。何せ着飾った人々は、皆、美しすぎるのだ。

 美しすぎる人々を前にすると、緊張して上手く話せなくなってしまう。

 勿論、美しくない人を前にしても、極度の人見知りの彼女は、あまり話が出来ない。
なお美しくない人も滅多にいない。

 決して彼女は、お高くとまって、周囲を見下し、馬鹿にして話をしないのではない。

 それにしても、美しすぎる人々の渦中にあっても、隣に立つ人物は、レティシアにとって美しすぎた。鴉の濡れ羽色の綺麗な髪。深い緑色の瞳。その瞳と、まっすぐに目があった。

 レティシアは、思わず目を細めた。周囲が嫌そうな顔と評する表情だ。

 しかし、本人としては嫌そうな顔をしたつもりはないのだ。

 視線にさらされて居心地は悪いが、青年の顔をもっと見ていたいから、どちらかといえばうっとりとしそうになっていた。

 けれど彼女は、自分がそんな顔をしたら気持ちが悪いだろうと思い、精一杯顔を引き締める努力をしたのだ。この人は誰だろう。あがり症の彼女は、あかくなってしまいそうになったので、扇を顔によせた。

 それとなく見守っていた周囲には、目を細めた彼女が、実に嫌そうに扇で相手を振り払おうとしたようにしか見えない。

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