第33話 恋は本能※小春Side※
大会が終わって週が開けた月曜日。
本格的な夏が近づく6月末の空はどこか不安定で、
その空の下で暮らす人々の雰囲気もどこかどんよりと湿っている。
朝、玄関でたまたま一緒になった梨々も、いつものような底抜けの明るさが消えていた。
「梨々?何か悩みでもあるの?」
教室に着くまで終始無言で俯いていた梨々に、席につきながら聞いてみた。
「う、、、ん、、、ちょっとね、、、」
力なく笑いながら答える梨々。
これは、優くん関連で何かあったな?
「梨々。もしよかったら、今日の練習の後、いつものカフェでお話しない?ずっと一人で悩むのも辛いわよ。私で良ければ何でも聞くわ。」
放課後や休みの日、私と梨々でよく行く行きつけのカフェがある。
そこではテスト前に勉強したり、他愛無い話で盛り上がったりしている。
「うん!ありがとう小春。、、、心配かけちゃってごめんね、、、」
「いいのよ!私にくらい、気を使わずに本音で話してほしいわ」
梨々は普段誰にでも優しいし、きっと思っていることの半分も言えていないだろう。
私と梨々は、お互いが好きな相手を知って入るものの、なんとなくそれについて話すことはなかった。
たまにふざけるようにしてからかい合うことはあるけど、しんみりと恋愛はトークをすることはなかった。
、、、梨々は、何も知らないもの。
でも私は知っているから、、、
私が好きな人が想う相手は梨々だってことも。
梨々が好きな人が想う相手は幼なじみの男子だってことも。
すべて知っているからこそ、何かを口にすれば止まらない気がして、言えなかったのよ。
普段梨々とはテニスのペアだし、教室でも一番仲の良い同性のお友達として過ごしている。
でも、五郎くんのことを考えるとき、梨々の存在はどうしても私にとって辛いものになるわ、、、
勿論、梨々は何も悪くないし、五郎くんをその気にさせられない私が悪いのは十分わかってる。
梨々に黒い感情を抱くのはこの上ないお門違いだってことも、わかってるの。
だからこそそんなことを痛感したくないから、敢えてその手の話はしなかっただけ。
放課後。
今日の練習は、コートには行かずに部室で大会の反省や今後の練習についてのミーティングのみだった。
だからいつもより早く練習が終わり、今日は一時間ほどで解放された。
その足で、まだ少し日が残っている時にカフェに入った。
とりあえずコーヒーを一杯ずつ頼み、窓際の席に向かい合って座る。
本格的な夏に向けて咲き出した2本の鮮やかな向日葵。
暮れ行く初夏の空に向かって、肩を並べて伸びている。
つんと香るこの時期特有の水と葉の匂いは、屋内にいても伝わってきそう。
そんな夕暮れ時。
私は梨々が口を開くのを待って、敢えて窓の外を見ていた。
ズズ、とミルクたっぷりのカフェラテを一口のみ、長いまつ毛を伏せたまま梨々がカップを置きながら「あのね、」と言った。
「五郎くんから聞いたの。、、、、、優くんの秘密、、、、、」
誰かに聞いて欲しいけど言葉を紡ぐのも辛い。
そんな感情が込められた声だった。
「優くんの秘密?」
きっと梨々が話そうとしていることはなんとなく予想はつくけれども、知らないのを装って聞いてみる。
「うん、、、、、あのね、、、優くんが好きなのは、幼なじみの男の子なんだって、、、、、、」
ゆっくりと、渦巻く感情を少しずつ口の外に出すように言った。
目には今にも溢れそうな涙たちがかろうじて透明なまま留まっていた。
「そうだったのね、、、、、」
全て事情を知っている私は、とりあえずそう言うしかなかった。
黄昏時を過ぎた外は、薄い一番星が遠く光っていた。
「、、、梨々ね、少し調子に乗ってたのかも、、、、」
そんな夜を背景にして、梨々は悔しさと悲しみを混ぜたような顔で気持ちを吐き出した。
「ゴールデンウイークに一緒に帰ったのをきっかけに、優くんとたくさんお話しするようになったの。
学校帰りも時間が合えば一緒に帰ったし、二人きりでご飯に行ったり、少し遊びに行ったりしてた、、、、
毎日お話して、入学したてのころからは考えられないほど、、、仲良くなってたの、、、」
確かに、梨々は優くんが話す女の子の中では誰よりも近くにいた。
「だからね、、、もっと頑張って仲よくなって、もっと沢山一緒にいられたら、もしかしたら、優くんも梨々とおんなじ気持ちになってくれるのかもしれない、って、勘違いしちゃってたの、、、、本当に恥ずかしいよ、、、、」
一度溢れたら止まらない涙を手で抑えながら、同じく止まらない感情を口にした。
「誰でもそう思うわよ、、、あんなに親しげなんだもの。」
私はテーブルを挟んで座る梨々の頭を優しく撫でながら声かける。
柔らかい感触と熱を帯びた体温が、彼女の精一杯な感情を表しているようだった。
「梨々は本当によく頑張ったわよ。優くんのことを想う女子が沢山いる中で、遠巻きに見ているだけじゃなくて、ちゃんと行動してあそこまで漕ぎ着けたんだもの。凄いわ。」
小さく嗚咽を漏らしながら泣く梨々は、いつもの元気な女の子ではなかった。
「優くんの中で、梨々は確実に一番仲の良い女の子よ。、、、、、、それじゃあ駄目かしら?」
俯いたまま、梨々はコクリ、と頷いた。
「それはどうして?」
言葉にならない感情を引き出すべく、敢えて聞いてみた。
梨々は俯いていた顔を上げ、時々鼻をすすりながら答えた。
「だって、、、、それは、お友達として、ってことでしょう?、、、、、恋愛対象として、好きにはなってもらえないんだよ、、、」
「じゃあさ、梨々が思う、友達としての好きと、恋愛としての好き、って何が違うの?」
「え、、、」
「それを考えることは、優くんが男の子を好きってことについて考えることにもなるわ」
突然の私からの質問に戸惑いながらも、梨々は考え込むように目を閉じた。
「うーん、、、、、難しい、、、けど、ドキドキするかしないか、じゃないかな、、、」
「ドキドキ?」
「うん、、、一緒にいるときに、お友達だとしないのに、優くんだとドキドキするの。」
「なるほどね。じゃあそのドキドキはどうしてだと思う?」
「なんでだろう、、、分かんないよ、、、緊張するの、、、」
「分かんないわよね、、、、」
恋愛は理屈じゃない、ってよく聞くけど。
本当にその通りだと思うわ。
「私が思うことを話してもいい?」
梨々は頷いてくれた。
「誰かを好きになる時って、その人のここが好き、っていくつか言えるじゃない?
そして、あわよくば自分もそうなりたいな、とか、その好きな部分を近くで見ていたいな、とか、自分だけのものにしたいな、とか、、、そう思うじゃない?」
梨々は真剣な目をして時折頷きながら話を聞いてくれている。
「でも、それって、友達にも実は感じられるものじゃないかしら?
この人のここが好きで、尊敬していて、憧れている。
だから近くにいて、より多くその人の好きなところに触れていたいし、憧れてるなら自分もそうなれるように近くにいたい、ってね。
その相手が同性でも異性でも、その感情はあるんじゃないかしら。」
要は人としての魅力に魅了された、ってこと。
「じゃあどうしてその感情とは別に恋愛として好きな人ができるのか。それは、もっと本能的なものだと思うのよ。」
「本能的なもの、、、?」
「そう。無意識のうちに、男と女の役割を前提とした欲が芽生えているのよ。」
つまりは、手を繋いだり、キスしたり、体でつながったり。
そういう、生身同士の肉体的な行為をしたいという欲が、無意識のうちに抱かれる。
そこで自分は男、或いは女だということを実感する。
それによって幸せを得るのが男女の恋愛の意味だと思うのよ。
「でも、それじゃあ、優くんは男の子にそういう感情を抱いてるってこと?」
「そうよ。別に必ずしも男女の組み合わせじゃなくてもいい。肌と肌で触れ合う。これは原始的で最小限の人間の幸せなのよ。近くにいたい、触れたい、自分を感じたい、っていうのは、相手がたまたま同性ってこともあるわ。」
もちろん恋愛はそれだけじゃない。
憧れだったり、尊敬だったり、人としての魅力を感じていて、その上で更に本格的な欲が生まれればそれはもう恋愛ということになる。
大抵の人がそれが異性に向くだけであって、同性に向くという人も当然いる。
毎回同性の人も、たまたまその人だけ同性って人も。
優くんの場合は、きっと後者ね。
「梨々そんなの全然考えたことなかったよ、、、」
「そうでしょうね。あなたのような純粋な子は特にね。でもそんなものよ。恋愛なんて、本当に無意識の領域での本能の欲なんだから。」
きっともしかしたら、、
「いや違う、精神的な幸せが恋愛の始まりだ」
と言う人もいるかもしれない。
だけどそれだけだと、恋愛と友情に本当に区別がつけられないと思うの。
恋愛の根源は理屈じゃないものだ。
だけどそれを理解するのは理屈が必要だ。
こんな矛盾を抱えているのが恋愛なんじゃないかしら。
「だからね梨々。もう一度、考えてみるといいわ。
優くんに対する気持ちは、本当に憧れとか尊敬とかだけなのか?ってね。
そしてそういう感情を他に抱ける人はいないのか、探してみてもいいのかもよ」
混乱させてごめんね梨々。
でも、私はあなたと五郎くんを引き離す必要があるの。
きっと五郎くんはわざと梨々に優くんのことを教えたのね。
傷ついた梨々を慰めて、近くにいる自分に振り向かせようって魂胆なんだわ。
だけど、そうはさせない。
私がこの情報を手に入れた以上、五郎くんが動くより先に隼くんを動かすわ。
梨々が叶わない優くんを想い続けてるよりは、梨々を想う隼くんにシフトしてくれた方が可能性は高くなるじゃない。
そうすれば、きっと五郎くんは諦めるか、諦めなかったとしても、梨々への想いは叶わないのだから、私へ振り向かせようとすることが今よりは不毛じゃなくなるわ。
だから、、、
「そうね、例えば、、、隼くんに相談してみるといいわ。彼なら優くんのことをよく知ってるし、何より梨々と仲がいいじゃない。もしかしたら、優くんだけじゃなくて隼くんに対する新しい感情も見つかるかもしれないわよ?」
梨々に隼くんを意識させるように仕向けて、早く梨々が優くんを諦めるようにするわ。