お嬢様がお友達になりたいと申したので
「それでだ、リヒト。これは一体何なのだ?」
「…………」
目の前に居るユリウス様は笑顔で、俺がさっき渡した『養子候補』と言う名の、アザレア様に関する全ての情報が記載されている報告書を片手に持って左右に揺らしている。
一見とても爽やかな笑顔を浮かべて見えるが、額に血管が浮いている事から、相当怒っている事が直ぐに分かった。
俺はあの後ラナンキュラス邸へと連行され、屋敷の秘密通路を通ってユリウス様の自室へと入り、体の拘束も解かれないまま、向き合うようにソファーへ座らされ今に至る。
ユリウス様は普段滅多な事で怒る人ではない。怒ったとしても逃げられないように魔法で体を拘束して、理由を聞くためにわざわざ部屋まで招く事もしない。
その場で注意するか怒るかして、気になった事は直ぐにでも解決しようとする人だ。
しかし今回は状況が違うようで、どうやら俺が取った行動に心底ご立腹の様子だ。
だってその証拠に、怒りで終始笑顔なのだから。
「まったく……いきなりでびっくりしただろう? カトレアの前でこんな物を渡してくるなど、これではお主が本当に我らの子になりたくないと言っているものではないか」
「あのですね……それについてはもう、随分と前からお断りの文句を言っているじゃないですか」
「確かにそうではあるが……こうやって『養子候補』なんて名前の物を差し出されたら、誰だってそう思わざるを得ないだろう」
確かにそう思われても仕方がない事ではあるが、本当に俺はお二人の養子になる気がないんだ。
だからこの手段を取ったんだからな。
「まぁ、この件については我からカトレアに上手く説明するとしよう。話せばカトレアだって分かってくれる。そして問題はこの報告書に書かれている事だが」
ユリウス様は持っていた報告書を開くと、目で内容を追っていく。
「カトレアがある少女の事を気にかけている事は少し前から知っていたが、まさかお主も知っていたとはな。それにカトレアがその少女を養子にしたがっている事も。まさかそれもお主が独自で調べて分かった事なのか?」
「……いいえ、それについては偶然知りました。俺はある貴族が奴隷売買をしていると言う噂を耳にして、その貴族について色々と調べていたんです。そうしたら奴隷の一人であるアザレアと言う子と、カトレア様がお会いしている姿をお見かけしました。最初はただ単にお花を買っているだけなのかと思っていたのですが、カトレア様が何度もその子からお花を買っている姿を見て、養子についての話を思い出したんです。なのでもしかしてと思い、俺なりに彼女について調べさせてもらったんです」
本当はお嬢様に依頼されて、アザレア様について調べていた時に偶然知った事だったけど、お嬢様から話を聞いたなんて言うとややこしくなる問題が多いので、偶然を装って話す事にした。
何事も偶然を装った方が何かと楽だからな。
「なるほどな。だからお主は我もご一緒にと言ったわけか。カトレアが上手く話を切り出しやすくするために、わざわざこんな物まで用意しおって」
報告書の内容を目で追っていたユリウス様は、左手で指をパチンと鳴らすと体を拘束していた魔法を解いてくれた。
ようやく体が自由になった俺は、手首を回しながら体の調子を整える。
「とは言いましても、まさか魔法で体を拘束されて、ここへ連れて来られるとは思ってもいませんでしたけど」
「そうでもしないと、お主はその素早い足で逃げるだろう? それでは我がロベリア邸まで行く羽目になるではないか。そんな面倒な事はしたくない」
「……本当はアース様の長々しい話を聞きたくないからではないですか?」
「おっ、何だお主ももうあいつの犠牲者の一人になったのか?」
「はい、もう何十回と言っていいほど聞かされましたよ。ヴァーナ様との出会いのお話や、お嬢様のお兄様方の事を」
「ふっ……あいつは何よりも家族の事を大事に思っているからな、誰かに話したくて仕方ないのだろう」
ユリウス様はそう言ってどこか嬉しそうに笑みを浮かべると、持っていた報告書を机の上にそっと置いた。
「それでお主はあの子に興味でも持ったのか?」
「俺があの子に興味を持っているように見えるんですか?」
乱れた服を整えながらそう言うと、ユリウス様は意外だと言わんばかりの表情を浮かべて、額に手を当てて声をあげないようにクスクスと笑い始めた。
「まぁ、それはないだろうな。ふっ……だってお主は、自分の主にしか興味がないのだからな」
「…………っ。お嬢様に興味があるからと言って、俺はあの方の側に居るつもりではありません。興味があってもなくても、俺にとってお嬢様が『特別な人』である事に変わりありませんから」
初めて出会ったあの日、俺に今の居場所を与えてくれた方。俺に『リヒト・ルドベキア』という名を与えてくれた方。俺を『私の光だ』と言ってくれた方――
記憶を失ってから俺の『初めて』を与えてくれた方。
俺の全てはお嬢様のものだ。身も心も、存在自体さえも全部。
だからこそ俺はあの方に心からの忠誠を誓う。
お嬢様が心から欲しているもの、望んでいるもの、願っているもの、その全てを俺は叶えてあげる義務があるんだ。
「一生の人生の中で、心から『この人こそが』と思う相手に出会える事はそうない。我だってカトレアと出会えたこの人生を奇跡とすら思っておる。リヒト、お主と出会えたあの日の事も、我は奇跡だと信じている。そしてお主がカンナ嬢に出会えたのも、ほんの小さな奇跡の一部にしか過ぎない。しかしだからこそ、その奇跡を絶対に手放してはならない」
「はい、分かっています」
この名前を与えられたあの日から、お嬢様の事は必ず守ると誓った。どんな時も必ずお側で寄り添い、彼女が幸せになれるその日が来るまで、必要とされているその日まで、俺はお嬢様にお使えする。
それが今の俺の使命だからだ。
俺はもう一度覚悟を決めて、真っ直ぐユリウス様の顔をじっと見た。俺の覚悟を、思いを見届けてもらうために。
その拍子に腰から下げてある懐中時計が小さく左右に揺れる。
「ふむ、やはりそんな目を見せられては、諦めろと言われても中々そうはいかない物だな」
「ま、まだ諦めないんですか? まったく……」
本当にこの人も相当厄介なお人だ。
「それで、話を戻すか。お主はカトレアのためにあの子について調べてくれていたようだが、本当は別に理由があるのだろう?」
「……っ」
ユリウス様は『言うまで逃さないぞ』とでも言うように、指をパチンを鳴らして全ての出入口の鍵をしめた。
その姿に俺は溜め息をつく。
あぁ……やっぱりこの人は色々と鋭すぎる。
頭の中で浮かんだ数々の言い訳を全て捨て、素直に口にする事にした。
「お嬢様からのご命令ですよ。どうやら街で見かけたアザレア様に一目惚れし、お友達になりたいと思ったそうです。だから俺は彼女の事を調べていたんです」
と伝えると、ユリウス様も思ってもいなかった返答が来た事に驚いて、目を数回瞬かせた。
まぁ、当然そういう反応になりますよね。
☆ ☆ ☆
「さて、ここで働かせている奴隷たちについて話してもらいましょうか?」
「ひ、ひぃぃ……」
とある貴族の喉元に銀ナイフを当てつけながら、俺は目を細めてそう問いかけた。
真っ暗な部屋のなかで二人きり、助けは誰もやっては来ない。だってここに来るまで、外で待機していた人たちには、しばらく眠っていてもらうようにしたのだから。
「い、言う! 言うからい、命だけはどうか……どうか!」
男は命乞いをするとボロボロと涙を流し始めた。もう既に立派な大人だと言うのに、子供みたいに涙を流して助けを求めるなんて……。
「まったく無様な姿で、滑稽だな──」
俺は握っていた銀ナイフを大きく振り上げると、右から左にかけて大きく銀ナイフを振り切ろうとする。
その瞬間――
『やめろ!!』
頭の中である男の声が響き渡ったと思ったら、俺は振り切ったはずのナイフを、男の頬をかすめたところで止めていた。
『やめろ……そいつは殺すな! 誰も……殺すな! それは命令ではないだろう!』
「……っ」
そうだ、あの方からはそんな命令を受けていない。だから俺が今すべき事は──
俺は血の付いた銀ナイフをしまい込み、恐怖で震えている男に背を向けた。そして──
「ひぃ、ひぃぃぃぃ!!」
血色のように真っ赤な瞳を男に向けた後、俺はその場から姿を消したのだった。
☆ ☆ ☆
その後、ユリウス様は俺が渡した『養子候補』という名の、『奴隷売買をしているとある貴族についてと、ある少女について』の報告書を読んでから、直ぐに魔法騎士たちを率いて、奴隷売買をしていたエヴァンス男爵と彼に通ずる者たちを次々と捕らえて行った。
エヴァンス男爵は特に抵抗する様子もなく、素直に魔法騎士たちに連れて行かれ、法によって厳しい罰が与えれた。
その事件は翌日の新聞にも大きく取り上げられ、それによってユリウス様に対する名声も大きく上がり、アザレア様もまたユリウス様によって無事に保護され、彼女は養子としてラナンキュラス邸へと迎え入れられる事になった。
「これでようやく一歩目と言うところでしょうか?」
俺は新聞記事を目で追いながら、ゆっくりと空を見上げた。
「ゲームの本編が始まるのは今からおそよ四年後。残り限られた時間の中で、アザレア様のお相手となる方々を彼女から引き離す作戦を考えるのは、骨が折れるだろうな……」
しかし時間は止まってはくれない。こうしてのんびりと空を見上げている時間ですらも、針は一歩ずつ進んで行っているんだ。
お嬢様が十六歳になられる年に開かれる『デビュタント』。
それはお嬢様を含め、成人を迎えた者たちが出席するパーティーであり、またゲームの本編開始を意味するイベントでもある。
その特大イベントに向けて色々と作を練らねばならないが……。
「その前にやる事が多すぎるんだよな……」
まずお嬢様は三ヶ月後に、ルークスフロース魔法魔術アカデミーに入学する事が決まっている。
そのアカデミーはお嬢様のお兄様方である五人も入学し、全員が主席で卒業をしている。だからお嬢様もまたロベリア家の人間として恥じぬよう、アカデミーを主席で卒業する必要がある。
いや、卒業させなければならない。
そうすれば街で流れているお嬢様の噂も、ある程度消えることになるだろうしな。
「お嬢様の勉強を見てあげながら普段の仕事もこうなしつつ、攻略キャラたちに向けた作戦も立てなければならない……のか」
俺はこの先の展開を想像して深々と溜め息をつく。
いくらゲームの本編が四年後に開始するって言っても、その間アザレア様はどうするんだ?
確かお嬢様が書いたあの何とか作戦では、アザレア様はお嬢様が通うアカデミーには通わず、十六歳になって初めて学校と言う物に通う事になる、と書かれていたな。
と言う事は、お嬢様がアカデミーに通っている間アザレア様は、ラナンキュラス邸で教養を受けることになるのか。
まぁそれはそうか。
養子になって間もない中、突然アカデミーに放り込まれても教養がなっていないんじゃ、公爵令嬢として恥ずかしい思いをするだけだからな。
しかしその四年間の間にゲーム本編には何一つ触れる事はないのか……。
「だったらいっそ――」
俺は思いついた考えを頭の中でまとめながら、どうやってそれを実行させようかと作戦を練り始める。
そう、これはお嬢様には内緒だ。
話してしまったらきっと、びっくりして言葉が出てこないだろうからな。