苺と批判主義
「苺は、草になる。
草になる果実は、野菜である。
ゆえに苺は野菜である」
こんな話を聞いた。
三段論法だとこのようになってしまう。
苺は果物であることは疑いようがないが、
なぜこんなことになってしまうのだろうか。
このような例外はどこにでもあるものだ。
「一つの論には、必ず反論がある」
哲学者のカント派の批判主義の精神である。
人間の認識能力の限界を吟味する態度で、
すべての事象を検討する。
野菜と果物を分類しようとするとき、
定義を必要とする。
だが、明確な定義を論理的に決めると、
必ず例外が出てくる。
苺がどちらに分類できるのかを、
植物の形体的特徴から決めるからこうなるのである。
スーパーの店先に並んだ苺が、オレンジやリンゴと一緒に並べられることは、
ごく自然である。
一般的に味に酸味と甘味がある食べ物はデザートになることが多い。
苺はこちらの部類である。
ところで日本は法治国家であるが、
論理的な定義を明確に規定した刑法によって、
刑事訴訟が行われる。
すると誤審が多くなる。
過ちが起こると、さらに論理を細分化していく。
こうして素人には手が出せなくなった。