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しゃべ部とは

「豚骨ラーメンには、豚が入ってるはずだよな」
 文彦は、ラーメンをすすりながら呟いた。
「当たり前じゃんか。豚の骨でダシを取ってるんだろう」
 友達の康介が、つまらなそうに返す。
「じゃあ、聞くが。『しゃべ部』には、何が入ってたんだ? 」
 重々しく聞くので、黙り込んでしまった。
 しばらく2人のラーメンをすする音だけが響く。
 高校3年生の2人は、「しゃべ部」という不可解な部活に所属していた。
 2月に入り、自宅研修期間になって、それなりの大学に進路を確定していた2人は、すっかり気が抜けていた。
 今日は部活に顔を出して、無駄話をしてから、なけなしの小遣いを奮発して、大好きなラーメン屋へ学校帰りに寄ったのだった。
 正式にはしゃべ部を卒業したのだが、顧問からも後輩からも、いつ来ても良いと言われていたのである。
 背が高く、声が良く通る荒井文彦(あらい ふみひこ)は、すっかり夜型生活になっていたものだから頭はボサボサ、まだ眠そうな目を時折擦ってはため息をついている。
「なあ。黙らないでくれ。俺は人生の深刻な疑問を投げかけたのだ」
 一緒にラーメンを食べている太田康介(おおた こうすけ)も同級生である。
 小柄だが、こちらも大きな声が良く通る。
 店の中なので、少し遠慮気味なトーンで返した。
「お前さ、声優になるって決めたんだから、しゃべ部のホープじゃないか。何が深刻なんだよ」
「いや。しゃべ部は俺たちが作った部活だ。作ったはいいが活動内容がはっきりしなかったし、結局無駄話をする部活だった気がする」
 ズズズ……
 康介はレンゲでスープをすすった。
「ふう。うまいなぁ」
「しゃべ部から声優やアナウンサーを育て、オーディブルな声を活かして人生を切り拓く人材をだな…… 」
「また始まったな」
 ズズズ……
 ラーメンを食べ終えると、2人とも少しだけ、つゆをすすって店を出た。
「じゃあ、ちょっと寄ってくか」
 帰り道を少し迂回したところに、大きな雑木林がある。
 市営の運動公園の裏手にあって、夏にはクヌギなどの広葉樹が枝を擦り合わす音が聞こえ、落ち葉がガサガサと心地よい音を立てていた。
 背の高さほどの立ち木も多く、人はあまり入って来ない。
 ただし夏は蚊が多いのが悩みの種だ。虫除けをしても短時間で済ませなくては、体中を刺されてしまう。
 だから夏には少し遠い河原まで行って練習する。
 そして夏から秋にかけて虫の声が響き渡る。
 秋が深くなるとドングリがパチパチと乾いた音を立てて落ちてくるので、頭に時々直撃を受ける羽目になった。
 そして冬は風が枝を揺らし、落ち葉を巻き上げる音が響く。
 春が近づいて来たため、風は和らぎ1年で一番静かな季節かも知れない。
 雑木林は、自然の防音材の役割をするので発声練習には持って来いだ。
 2人は示し合わせたように、林の中へとどんどん入って行く。
「行くぞ!! 」
 中央付近で足を止め、5メートルほど間合いを取って向き合った。
 文彦は身をかがめ、上目遣いに睨みながら挑むように気合いをかける。
「ふははは!! 人間ごときがこの大魔王フォレストに敵うものか!! 」
 勇者は大剣を振りかざし、大魔王に斬りかかる!
「そりゃああああぁ!!! 」
 康介は体を開いて躱すと、両手を突き出して呪文を唱えた!
「オオオォ!! ライディ―ン!! 」
 耳を劈くような雄たけびと共に文彦を落ち葉の上に吹き飛ばした!
「ぐあぁ!! 」
 ゴン!
「うぐっ! 痛ってぇ!! うあぁ! マジ痛てえ! 」
 木に激突して地面に投げ出された。
 後頭部を押さえながら身もだえる。
「おい! 大丈夫か? 」
 しばらくうずくまって唸っていたが、痛みが引いてくると、立ち上がって空を見上げた。
「ふう。こんなことを毎週やって来たが、これからは…… お互い忙しくなるだろうから、ネットでやろうな」
「ああ。おれは、防音材を買ったよ。うちはマンションだから、壁に貼って、デスク用も用意した」
 「しゃべ部」という音声投稿サイトがあって、そこで声優登録したり、ラジオ番組を開設したりすることができる。
 15年前に開設されたが、登録者数が伸び悩み、一度閉鎖された。
 運営会社が吸収合併を繰り返し、現在はリニューアルして再出発したばかりである。
「はあ。いてて…… この続きはネットでやろう。やっぱり体を動かした方が臨場感が出るけどな」
 康介はうなずくと、
「頭、冷やした方がいいぞ。じゃあ、後で連絡するからサンプル上げをやろう」
 と言うと、帰って行った。
 最近は投稿サイトの利用者が急激に増えていると聞く。
 イラスト、小説、動画を上げる専門のサイトがあるように、音声を専門に扱う投稿サイトもいくつかある。
 だが、音声を投稿することに抵抗を感じる利用者が多いためか、なかなか運営が難しいようだった。
 しゃべ部では、声優登録をしたり、公式ラジオ番組を立ち上げたりしてプロを目指すことを目標に設定している。
 トップページには様々なジャンルの記事が上がり、クリックするだけでコンテンツが再生される仕組みである。
 文彦のように声優を志望する利用者が多くて、登録すると仕事の依頼が来る場合がある。
 声優には、ランク付けがあり、最低ランクのジュニアランクは15000円の基本ランク料が保証される。
 声も著作物なので、個別にロイヤリティを請求することも可能である。
 これは、声優という職業が世の中に大きく取り上げられるきっかけになった、1973年のデモとストライキに始まる長い闘争の結果獲得された権利であり、声優の社会的地位を保証するためのシステムでもある。
 音声投稿サイトでの活動も、まだ年月が浅いため、仕事の依頼が来ることはなかった。
 
「康介! 仕事の依頼が来たぞ」
 パソコンの前でスマホをスピーカー設定にしたまま喋っている。
 無料通話サービスがあるので、こうしてお互いの声を確認してから、本番の録音をしている。
 パソコンを立ち上げると、いつもの習慣で通知ボタンを押してメッセージを確認する。
 すると仕事依頼の通知があったというわけだ。
「おっ! やったな。どんな内容だ? 」
「新作アニメの声優募集だ。オーディションを受けてみるよ」
 エントリーすると、事前課題が送られてきた。
 その練習用シナリオ原稿を読み上げてみた。
「『戦国の魔道士』か…… 流行りの和風ファンタジーかな。主人公は『ジクウ』というお坊さんのような名前。このシナリオに登場するのは4人か…… 全部演じ分けるとなると…… 」
 ぶつぶつ呟きながら、声のイメージを練り上げる。
「まず主人公のジクウは男。熱血の若武者という感じがする。トーンは少し高めで快活な喋り方かな。そして味方武将のアシュラだけが女の子だ。戦国時代の戦場に女の子がいることは考えにくいんだけど、ファンタジーだからね…… こちらも若くてトーン高めかな。まくし立てるように喋ると良いかもしれない…… 魔導軍指揮官ニッコウは男で年配だろうな。トーンを落として重厚な喋り方。ゆっくり重々しく言えばいいかな。4人目は敵武将クジャク。こちらはクールな感じがする。口角を広げて下げ、雰囲気を出せばいいだろう」
 部屋の中を歩き回り、刀を振る動作をしながらセリフのイメージを作り上げていった。
「シナリオはどんな感じ? 」
 康介が聞いてきた。
「良くある呪術使いが出てくるファンタジーを、戦国時代と掛け合わせた、和風ファンタジーってとこだな」
「面白そうだな」
 文彦は、シナリオに目を落したまま考え込んでいた。
「呪術を扱う和風ファンタジーはシナリオを書きやすいネタだ。魔導師としたのは、大名など位が高い者に仕えることと、剣と魔法の洋風ファンタジーも意識しているのかも知れない。何でも盛り込んだ感じがするタイトルだな」
 自分でも何本か書いてみたことがある。
 投稿サイトで発表している作品もあった。
「それと、戦国武将は人気がある。戦国時代には魅力的な人物が沢山いるから、ネタには困らないだろうな。失敗が少ない切り口だ。プロらしいと言えばそうなるが…… 」
「何か引っかかるのか」
「いや。これで良いはずなんだが、何かが引っかかる」
 お互いに唸った。
 しばらく沈黙して、
「このシナリオに豚は入っているのか? 」
 いきなり突拍子もないことを康介が投げかけた。
「それが核心だろう。豚が入っていない豚骨ラーメンは、タダの塩辛いラーメンだ。そんなシナリオはタダの紙切れ。そんなアニメは画面に色を映しているだけじゃないのか」
 声のトーンが熱を帯びてくる。
 康介もずっと共に練習してきたのだ。
 声優という仕事に、文彦に負けない誇りを抱いている。
「そうか。自分でイメージした世界が、俺の中にあるから違和感を感じるのかも知れない。出てくるセリフがどこかで聞いたようなやり取りで、物足りなさを感じていたのか」
 こんなやりとりをしたものだから、頭の中がモヤモヤしたまま床に就いた。

 オーディション当日。会場には30人ほど集まっていた。
「見たところ自分と同じか少し上くらいの歳の人が多いな」
 若干名募集、と要項に書いてあった。
 どの役を演じるかは後で決めるのかも知れない。
 控室に、受付番号順に座っている。
 前から順に一人ずつ呼ばれて行った。
「これだけの人数を捌くのだから、実際に演じる時間は少ないだろうな」
 そして、文彦の番が来た。
「17番、荒井文彦です」
 試験官は3人いる。
 30代の男女、もう1人は40代後半といったところだろう。
 意外と少ないと思った。
「では、2ページの3行目から6行目までを演じてください」
「はい」
 こうして人前で演じたことは少ない。
 練習は沢山してきたが、高校のしゃべ部で発表する機会はほとんどなかったし、オーディションは初めてである。
 緊張はしているが、初めてだから失敗して当然だと自覚しているせいか、気負いはなかった。
 指定されたフレーズは、ジクウとニッコウの会話で、意見が激しく衝突する一触即発の緊張感を感じさせる場面だった。
「ふううぅぅぅ…… 」
 文彦は深く息を吐き、電撃が走ったように立ち上がると、男の30代と思われる試験官を見据えた。
「あんた…… 」
 燃えるような視線と、指先を眉間に突き刺す勢いだった。
「戦国武将はただのお飾りじゃないか!!! 俺たち魔導士がいなければ半刻と持たないぞ!! 」
 耳をつんざく大声でまくし立てる!
「控えよ。ジクウ。お前は東軍の駒の一つに過ぎぬ。指揮に従い魔導の業を使うのみだ」
 こちらは穏やかに、余裕を持って受け流すような口調である。
 口角を開いて下げ、知的な印象の声を作っていた。
「それが驕りだと言ってんだ! 俺たちは駒じゃねぇ! 魔導士は一騎当千の誇り高き戦士だ!! 」
 部屋を出て行こうとする。
「待て…… 勝手な行動は許さん! 出て行くならこのニッコウを倒してから行け! 」
 先ほどの余裕は消え、術を練る印を結んでいた。
 そのまま固まって、静かに息を吐き、席へと戻った。
 試験官は皆押し黙って表情一つ変えなかった。
 たったこれだけのフレーズだった。
 ここに文彦なりの解釈で、ストーリーの全体像を描き、その一場面を演じきった。
「ふむ。荒井さんは、この場面をかなり激しいやり取りで演じていますが、どんな思いを込められたのでしょうか」
 一番年配の40代後半と思われる試験官が、唸りながら聞いた。
 良い感触なのかも知れない、と思ったが油断はできない。
「はい。私はこのシナリオをいただいてから、自分なりにストーリーの全体像をイメージして書いてみました。シナリオには豚骨スープが入っています。その豚の骨を探したところ、バトルシーンを描き、2人は何度か衝突して、これからもぶつかり続ける間柄だと決めたのです」
 我ながら意味不明な回答をしてしまったと思った。
「ほほう。言葉の意味は良くわからんが、とにかく凄い勢いだねぇ」
 若い男性の方が、微笑みながら言う。
「ふふふ。まあ。若いっていいわね」
 女性の方も乗ってきた。
「台詞を少し変えているようですが、そこに君のストーリーが見え隠れしました。なるほどねぇ…… 」
「まあ、シナリオライターを募集しているんじゃないからねぇ…… 」
 ちょっと自信満々になっていた文彦の心が、ポッキリ折られた。
「しまった。勢いで勝手にアドリブを効かせたのは失敗だったか」
 心で呟き、急に落ち着かない気分になった。
 まるで自分が、ニッコウに食ってかかったジクウそのもののように思えて来た。
「では。試験はここまでです。お疲れ様でした」

 後日、メールで試験結果が知らされた。
 不合格だった。
 試験の一部始終をパソコンで書き留め、康介に話した。
「そうかぁ。30人もいたんじゃぁ、仕方ないんじゃいか」
 慰めを込めて言ってくれた。
「なんだか慰められるともっと落ち込むよ。落ちて元々とは言え、実際練りに練った作戦が裏目に出て叩き落とされたからなぁ」
 声のトーンに悔しさが滲み出た。
「でもさ。自分が思った通りにやりきることが大事なんじゃないのか。周りに合わせて中途半端なことをすると、自分を見失うと思うぞ」
 まるで人生を達観した中年のような落ち着きだった。
「はぁ。お前の言う通りだよ。康介。でも気分は下がりっぱなしだ」
「もしかすると、今の自分をキャラクターに込めたのかも知れないな。きっとその情熱が認められる日がくるさ」
「ああ。そうだといいな」
 その日は練習する気分になれず、早めに床に入ってしまった。

 卒業式の日、式典はつつがなく、決まり切った起立礼の連続で、流れ作業のように終わった。
「なぁ、康介。中学校では、こう、しんみりした感じがあったけど、高校はあっさりしたものだな」
「皆それぞれの道に別れて行くし、限られた友達と話して三々五々…… まぁ、中学生より大人になったんじゃないのか」
 教室で受け取った卒業証書を筒に詰めると、そそくさと帰った2人はまた練習を始めた。
「そう言えば、康介はどうするんだ」
「何を? 」
「俺は声優を目指して活動を始めたけど、やるのかい」
「まだ決めかねているんだよなぁ。俺は大学で文学の勉強をしてみて、本格的な小説を書いてみたいんだ。もう書き始めているんだけど、自分で演じたい、という気持ちよりも創作したい気持が強いかなぁ」
 唸って考え込みながら話す。
 あまり考えがまとまらない、と言う割にははっきりした目標があるように感じられた。
「俺もシナリオを書いてるけど、自分で演じることと創作は通じているんじゃないのか」
「それは同感なんだけどね。やっぱり創作して、世の中にないストーリーを発信してみたい。それを沢山の人に読んでもらうことに喜びを感じる気がするんだ」
「そうか…… 」
 それっきり話題を変え、コンテンツをアップするとパソコンを閉じて考え込んだ。
「俺も、声優を目指すって宣言したものの、オーディションでやらかしてから、表現したい欲求が強くなった気がする…… 」

 そんなある日、文彦のスマホに電話が掛かってきた。
「もしもし。私は先日オーディションの試験官をしていた声優事務所『ROUGH STYLE』の早川と申します」
「はい」
 突然のことに面食らって、相手の真意がわからないまま空返事をした。
「実はね。先日の荒井君の演技を見て、最近の若者にない煌めきを感じてね」
「はあ」
「君は面白い! 」
 力強く、そして明るい声に、緊張が少しほぐれた。
「どういうことでしょう」
「いやぁ。ざっくばらんに言うとね。自分でオーディションのシナリオに手を加える新人なんて、ここ何年も会ったことがないんだよねぇ」
「でも、シナリオライターさんには失礼なことをしてしまったと思ってますが…… 」
 口ごもりながらも、少しずつ相手の熱意が分かってきた。
「いやいや。もちろん現場では空気を読んで欲しいところだけどさぁ。だけどね。君の現場度胸は失わないで欲しいんだなぁ」
 随分文彦のことを買ってくれているようだった。
「社長にも紹介したいし、うちに声優登録しに来て欲しいと思って電話したのだよ」
「わかりました。ありがとうございます」
 すっかり口調がフランクになって、ありがたい気持ちでいっぱいになり、2つ返事で承諾した。

 康介に話すと、
「凄いじゃないか。事務所に登録したら、もう声優として活動が始まるんだろう」
「うん。そうだな」
「お前の演技には、豚が入っていたんだよ」
「また豚か…… 」
 文彦は、全力で演技にぶつかって、必要だと思ったから自分なりのシナリオを作ったのである。
 これはクリエイティブにシナリオと向き合った結果なのだ。
 そしてそれを理解してくれる人がいた。
 業界に入ってみてわかることだが、プロとして一流になるためには、創造力が不可欠な要素なのである。
 決められたシナリオに感情を込めて読むだけでは、血の通った演技はできない。
 言葉に現れていない、背景にあるイメージを掘り起こし、自分なりの解釈を加えることで、演技に命が吹き込まれる。
 それを文彦は肌感覚で理解していた。




この物語はフィクションです
続編にご期待ください

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