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4-12 Leave Me Alone

 次の日、モーニングの片付けまで終えた流雫と澪は、昨日オープンしたばかりのアウトレット施設へ行くことにした。
 ……あの後はペンションに戻ると、暖房を強くして夜中まで過ごし、1つのベッドに2人で潜って寝た。交わした言葉は多くなく、澪はあの男が気になってはいたが、流雫といると気を紛らわせていられた。
 今日も秋晴れの天気だった。2人を乗せたバスが河月駅に着いたのは10時ちょうど。それは、アウトレット全体の開店時間でもあった。これから乗り換える直行バスの列は昨日同様既に長いが、それに並ぶ。
 バスは2便目に乗ることができた。臨時便で、高速バスに使うタイプのバスがやって来たが、それは修学旅行に行かなかった流雫と、行ったものの福岡に軟禁されていた澪にとっては、その代わりと云う感覚だった。
 そして、流雫は鐘釣夫妻からも任務を授かっていた。オープン特需が落ち着けば行ってみたいらしいが、その前情報としてどんな様子か視察してきてほしい、と言われていた。
 アウトレットまでは、バスで40分。渋滞を見越してか、周辺道路にはバス専用レーンが整備されていて、数分遅れる程度で着いた。カワヅキ・レイクシティ・アウトレットと英語で書かれた大きな看板が、無数の来客を出迎える。
 2階建てで開放感が有る構造がウリ……ではあるのだが、如何せん人が多過ぎて狭苦しく感じる。流雫と澪は、逸れないように隣同士で手をしっかりつなぐ。
 オープンと同時に、2ヶ月近くに亘るクリスマス商戦に突入するためか、どの店もスタートダッシュを決めるべく慌ただしいのが判る。一部の店では、既に1時間単位の入店制限が出ているほどだった。
 特別欲しい何かが有るワケでもないが、見て回るのは楽しい。高校生らしい地元のデートスポットと云っても、隣に建つショッピングモールと駅ビルしか無かっただけに、新鮮味は有った。
 アウトレットの外周を1周してみたが、何度か行ったアフロディーテキャッスルよりも疲れる。開放感は有っても、人の熱気にやられたからだろう。熱気と気温の高さは、感じ方が全く違う。
 どうにか入口まで戻り、漸く再会した涼しさに安堵の溜め息をついた2人の目に、ベージュのコートにワインレッドのロングスカートの少女が見えた。……その黒のいロングヘアに、流雫は見覚えが有る。またか……と云う表情を浮かべた流雫に近付いた彼女は
「宇奈月くん!」
と呼んだ。
 ……確かに河月は流雫の地元だし、この1週間で言葉を交わした2人の同級生の地元でもあるのだが、しかし昨日の黒薙と云い今日の笹平と云い、何故澪といる時に出会すのか。
「宇奈月くんも来てたんだ?意外だな」
と言った笹平は、隣にいる少女に目が止まる。初めて見る、ストレートのセミロングヘアの少女。
「あれ?宇奈月くんの知り合い?……うちの学校にいたっけ?」
と笹平は流雫に問うたが、同時に澪は彼女が彼の同級生だと判った。しかし、昨日会った男が最悪な印象だった反動からか、彼女には既に好印象ではあった。
「こ、こんにちは……」
と、澪は頭を下げた。
 「あ、もしかして、彼女だったりして」
笹平の言葉に、澪は一瞬で頬を紅くする。……他人から彼女だの恋人だのと言われることには、澪は相変わらず耐性が無いらしい。そのリアクションに逆に驚いた同級生は
「あ……当たり?でも、お似合いだと思うわ」
と微笑み、続けた。
「宇奈月くんの顔、美桜がいた頃に似てる。笑ってるの、久々に見たかも」
 あの日以降、笹平は流雫が微笑んでいるのを初めて見た。だから、あの平和だった頃を思い出した。……あの頃を思い出した、それだけなのに。
 突然、笹平が俯く。
「……笹平さん?」
流雫がその名を呼ぶと同時に、黒いロングヘアの学級委員長は
「……美桜……」
と、この地球にいない少女の名前を、震えた声で呼ぶ。
 咄嗟に笹平に寄った澪は、昨日流雫が言っていた、美桜のことで苦しんでいる人と云うのが、目の前の少女だと確信した。
 澪は、流雫が確保した近くのベンチに笹平を座らせる。そして流雫は、少しだけでも落ち着かせようと、近くのフルーツジュースの店に並んだ。

 流雫が笹平と呼んだ少女に、澪はかつての彼を見ている気がした。
「……ちょっと、取り乱してしまって……」
と俯いたまま細い声で言った笹平に、澪は
「気にしないで下さい」
と言いながら、彼女の顔を覗き込む。
 「……少し、同級生のことを思い出して……」
その言葉に、澪は
「美桜さんの……ことでしょう?」
と恐る恐る問うた。……今の彼女と、どう話せばよいのか迷いながらも、それしか言葉に出なかった。
 「知ってるんですか……!?」
と笹平は目を見開きながら顔を上げる。澪は頷いた。
「流雫から話は……。あの日、彼と美桜さんに何が有ったのかも……」
その一言が、笹平にとっての引き金だった。澪から目を逸らした少女は、再度俯いて切り出した。
 「……私、あの日美桜と一緒にいたんです……」
澪の眉間に皺が寄る。
「数分だけ、渋谷駅で離れ離れになったんです。私の具合が悪くて。その間に、爆発が起きて……。私はどうにか無事でした。でも美桜は……」
「……私が見た時は、血塗れで爛れて……もう息もしてなくて……」
途切れ途切れに言葉を絞り出す笹平の背中を擦る澪は、しかし彼女に罪悪感を抱えていた。
 ……昨日流雫が言っていた通りだった。誰にとっても、
欅平美桜と云う少女の死は大きかった。それなのに、思い出させた。
 「笹平、さん……」
澪は彼女の名を呼ぶ。先刻、流雫がそう呼んでいた。笹平は、少しの間を置いて言った。
「……それから少しして……、PTSD……そう診断されたんです……。最初は、東京に行くのも怖いし、今日のような人混みもダメでした。何時、また遭遇して……死ぬか判らなくて」
「でも、修学旅行で東京の空港に行ったり、こんなアウトレットに行けるぐらいには、どうにか……回復したんですよ」
そう言いながら最後に少しだけ微笑む、流雫の同級生。コートを羽織った体が震えるのは、寒いからではなかった。
 彼女を見ていると、美桜の死が……トーキョーアタックがどれほどの爪痕を残したのか、澪は改めて思い知らされる。流雫が今でも引きずっているのも、無理は無いと思った。
「……」
言葉を失った澪に、笹平は言った。流雫の恋人が何を思っているのか、何となく察しがついた。
 「……あ……、名前、未だでしたね。……私は、志織と言います。笹平志織」
「あたしは、室堂……、……澪……」
澪も名乗ったが、尻窄みになった。呟くような声の、みお……その名前が美桜を思い出させるのではないか。それが気懸かりだった。
 「澪……。いい名前ですね」
そう言った笹平は微笑むが、澪は
「何か、辛いことを思い出させてしまって……」
と言い、俯く。
「いいんですよ。事実ですから。……でも、宇奈月くんの方が、多分もっと……」
と言った笹平に、澪はゆっくりと顔を上げ、気になることをぶつけた。
「……ところで、一つ気になるんです」
「何が……ですか?」
 「……昨日、湖のところで……流雫の同級生と出会して……。流雫が美桜さんを見殺しにした、と言ってたんです……。それが誰なのか……」
と澪が言うと、黒いロングヘアの彼女には誰のことかすぐに判ったらしく、深い溜め息をつく。
「澪さんも、何か直接言われたりは……?」
「あたしは何も。ただ流雫は、美桜さんを見殺しにしたのに、新しい女と遊んでるのか、と……」
澪の答えに、笹平は更に溜め息をつく。誰が隣にいてもお構いなし、その黒薙の性格には呆れるばかりだった。
 「だからあたし、その男を思わず引っ叩いて……」
「え?引っ叩いた……!?」
澪の言葉に笹平は驚く。しかし同時に、その光景を見てみたいと思った。彼女にとっても、さぞかし痛快だったことだろう。
 「……それで腕を掴まれそうになって、それは流雫が払い除けて……」
と言った澪の言葉に
「宇奈月くんもやるわね……」
と笹平は感心した。流雫がそう云うことをするとは思っていなかった。
「最後にあたしに、流雫は疫病神だから思い直せ。流雫にお前は最低だ、と言い残して……。……あまりに酷すぎて……」
と言った澪は、最後に溜め息をついた。忘れていたハズの苛立ちが蘇りそうになる。
 「……どこまで敵視すれば気が済むのかしら……」
と笹平は呟き、続ける。
「……流石に看過できないわね……」
その声に被せるように
「待たせた。かなり混んでて」
と言って、流雫が紙コップを両手に持って戻ってくる。
「温かいのにすればよかったかな……」
と言いながら、少し大きめの紙コップを2人の隣に置く流雫に、澪は問う。
 「えっ?あたしのも?でも、流雫の分は?」
「これ以上持てなかったからね。僕なら帰りにでも……並ぶ気力が有れば」
と言う流雫は、2人の礼を待たず笹平に問う。
「……少しは落ち着けた?」
「うん。……やはり、美桜を思い出すと……」
と笹平は答えた。
 その隣で澪は、笹平が美桜の死を見ているように、流雫も大町の死に目に会ったことを思い出す。

 ……正直、澪の元同級生に対して、彼女自身にもよい記憶は無い。しかし、わざわざ隣県のショッピングモールまで出向いて、演説会と云う衆人環視の中心で、佐賀出身の政治家を父親殺し呼ばわりした。それは事実だったが、今思えばトーキョーゲートのターニングポイントの1つだった。
 その場に偶然居合わせた流雫も、直後に起きた自爆テロに遭遇し、瀕死の大町に駆け寄った。そして、自爆を敵対する者の仕業にしたかった支持者に大町は射殺され、流雫はその銃口が自分に向けられると、引き金を引いた。
 彼自身も、ゲームフェスで偶然会った時にその見た目を揶揄われていたが、それに対する感情を捨てていた。それは、撃った後に澪に会いたいと言ってきたこと、彼が東京に行く代わりに刑事の父と河月に行って、1週間ぶりに再会した彼が泣いていたことで判る。
 ……澪は、未だ人の死に目に会ったことは無い。それだけが……語弊を招く言い方をすれば救いだった。そして流雫も、彼女がテロで人の死に目に会わないことを願っていた。
 「それより昨日、黒薙くんに会ったの?澪さんから聞いたけど」
そう笹平に問い返された流雫は、軽く頭を掻きながら頷く。そして澪は、昨日の無礼な男の名を初めて知った。
「うん。澪に助けられたけど」
「しかし、大概どうにかしないと……学級委員長としても、これ以上は見ていられないわ」
と笹平は言う。流雫はどうも思わないとしても、あまりにも酷い話だ。
 そして、澪は流雫の学校での立場や同級生との関わりが、想像以上に険悪なことが気懸かりだった。流雫は、澪がいるからどうってことない、と言った。しかし、その範疇を超えていると澪は思った。

 ふと、救急車のサイレンが遠くから聞こえた。それは徐々に大きくなっていく。誰かが倒れたのだろうか。
 救急車のサイレンが止まると、少し奥の緊急車両専用エントランスから、救急隊員が施設の奥へストレッチャーを運ぶのが見える。
 ……何か有ったのか。ただ自分には無関係……そう思っていたかった流雫は、
「これからどうする?」
と澪に問うが、彼女は
「志織さんは?」
と更に笹平に問う。……自分がフルーツジュース屋に並んでいる間に、既に仲よくなったのか?女子同士の関係は、男である流雫にはよく判らない。
 「私は今日、1人で……」
そう答えた笹平に、澪は
「じゃあ、一緒に回らない?」
と提案する。澪の性格なら言うだろう、と流雫は思った。
「え?でもデート中じゃ……」
「流雫?いいよね?両手に花でしょ?」
と澪は戯ける感じで問う。笹平は流石に驚いていた。
 ……ただ、それなら寧ろ……。
「……でもそれなら、折角だし2人で回ってくるといいよ。1時間後に此処で合流でも。ちょっと、行きたい店が有るし」
と流雫は答えた。
 「もしかして、流雫……あたしとデートできなくて不貞腐れてる?」
「……不貞腐れてる」
と、一言だけ澪の問いに答えた流雫は、紙コップに残るジュースを飲む2人に向かって言った。
「じゃあ、後で」
 「あ、流雫……」
とだけ言って言葉を切った澪に
「……判ってる。じゃ」
と言い残した流雫は2人から離れ、すぐに人混みに紛れた。ブルートゥースイヤフォンを右耳だけ着け、音楽は流さない。これで、何か有ってもハンズフリーで話せる上に、片側は空いているため周囲の音を聞き取れる。
 ……行きたい店が有る。それは単に、2人から離れるための尤もらしい口実に過ぎない。2人の時間を同級生に邪魔されて不貞腐れている……本当にそれならまだ可愛く、そうであればどれだけよかったか。
 
 「……よかったんですか?」
と笹平は恐る恐る澪に問う。デートを邪魔したようで、後ろめたさを感じる。
「流雫もいいと言ってるので……」
と澪は答え、
「そう云うところ、流雫らしくて……あたしは好きですよ」
と続けながら微笑んでみせた。しかし、セミロングヘアの少女は、しかし流雫の行方が気になっていた。
 ……不貞腐れてる。その言葉を隠れ蓑に、同級生をあたしに預け、身軽になりたかった。それは、先刻のサイレンが気になったからか。……ヤジ馬になりたいワケではなく、何かが引っ掛かるからか。
 今までのことが有るだけに、サイレン1つで疑心暗鬼に陥るのは避けられないとは思う。……思い過ごしであってほしい。そう幾度となく期待し、そして悉く裏切られてきた。しかしやはり期待したい。今度こそは、と。
 「……宇奈月くんって、普段どんな感じです?」
笹平の問いに、澪は
「え?」
と問い返す。
「……澪さんにだけは、喜怒哀楽の全てを見せている気がして」
と笹平は言った。これから卒業するまで、シルバーヘアとオッドアイが特徴的な同級生の喜楽を見ることは、学校にいる限りは叶わない……と学級委員長は思っている。だから、今誰よりも流雫に近い存在から話を聞くしかない。
 澪は少し間を置いて、話し始めた。
「流雫は……」

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