「ゆーずーきーくん」
くすくすくす、と含み笑いを交えた声が、背後からかけられた。
ぎっくん、と心臓が飛び上がりそうになるのと同時に、また待ち伏せされていたのに思わず青ざめた。
今日はクラブも休んで、家に直行するつもりで帰ってきた。それも円城寺とキャプテンしか知らないし、今朝と違う裏道を選んだのに…。
「そう露骨にいやな顔しないでくれる?」
声の主、自称魔女は古びたブランコに腰を降ろして、キィキィと小さく揺らしていた。
「なんで、ここに…」
ブランコと砂場しかなく、子供も寄り付かないような公園と呼べるかどうかも怪しい場所で、魔女は待っていた。朝と同じセーラー服。学校はどうしたんだ…?
「魔女は、何でもお見通し、なんてね。隣、座らない?」
特別誘うような言い草でもないのに、俺はふらりと誘われるように、魔女の隣のブランコに腰を降ろした。
「今朝言ったこと、考えた?」
「…俺は、あんたとなにを契約した?」
魔女の問いには答えずに、俺は逸る鼓動を押さえて平静を保ちながら、尋ねた。
「…誰にでも、知らない方がよかった事って、あるものじゃない?」
キィキィとブランコが鳴く。はぐらかそうとしているのか、魔女はそんなことを呟いた。
「その契約の内容ってのは、今の俺は知らない方がいいような、事なのか?」
「知ったら、きっとショックでしょうね」
「…後悔、じゃないのか?」
ざざざ、黄金色の銀杏の葉が風に揺れる。風と、葉ずれの音しかない沈黙。
「わからない。どんなに願っていたことが契約で叶ったとしても、後で後悔する人もいれば、そんなこと欠片も思わないで喜ぶ人もいる。あたしにはわからないけど、それはあなたが強く望んだこと。それだけよ」
魔女の台詞には、相変わらず感情というものが感じられなかった。淡々と語る、冷めた口調。まるで突放されているみたいだ。
「…あんた、なんで魔女なんてやってんだ?」
不思議に思ったとたん、台詞は口から飛び出していた。
唐突すぎたかな、と焦る俺に、魔女はきょとんとした表情を見せた。
「…変な人」
驚いた表情から、くすくす笑いに変わった。
「…今までも「魔女なんか」とか、「魔女なんて」とか言われたけど、魔女っていっても色々あるの。あたしの仲間は分類すればウィッチとか、ウィザード。要は魔術を悪い事に使っちゃダメなの。魔女ってだけで悪い奴だって決め付けるの、やめてほしいのよね」
魔女は真摯な瞳で強く言い切った。冷たいような瞳も、からかうような口調も、くるくる変わる仮面のようで、不思議だ。
「どうしたの、黙り込んで。どっちを選ぶか決めた?」
その台詞で俺ははっと我にかえった。
…そーいや、俺は魔女と契約がどーのって話してたんだった…。
「もし俺が契約を続行するって言ったとしたら、記憶はどうなるんだ?」
魔女はそうね、と口元に手をやって、考えながらぽつりぽつり言った。
「今回の記憶はそのまま残るけど、去年の記憶は、戻らないわね。記憶を消したのは、あたしじゃないから」
「…?じゃあ、誰が?」
「…ごめんね、あなたになくした記憶を教えるのは、禁止されてるの」
時計に目をやって魔女は立ち上がり、長いふわふわとした髪を後に払った。
「今日は別の契約者の所にも行かなくちゃならないの。考えておいてね。じゃ、またね」
「おい、待てよ…!うわっ!」
手を伸ばしたとたん、びゅうっと風が吹き抜けて、俺は一瞬目を閉じた。
「…魔女?」
魔女の姿はもうどこにもなく、魔女が座っていたブランコが風に吹かれて、キィキィと鳴いているだけだった。
『今のままのあなたでいるか、昔のあなたに戻るか』
いつまでも残ってエコーする、魔女の声。
…思い当るのは、一つしかない。去年の佐竹先輩の骨折から、俺の力が認められた。というより、なかったはずの才能が、俺をレギュラーの座に着かせた…。
帰宅して引き出しを開けると、なぜか捨てることが出来なかったワインレッドの封筒が、他のがらくたに紛れて入っていた。
去年までなかった、あるはずのない才能。
ただ、これまではそれでもいいとして、これからは、どうする…?
バシャン、と引き出しを閉めて、俺は机を拳で殴り付けた。
あいつさえ現れなけりゃ、俺は何も知らずにいれたのに…!