魔女と痩せた黒猫
西の茶店
その日まで、俺は自分自身を疑うなんてしたことはなかった…。
そろそろ日も暮れるのが早くなってきた十月。一年の全国大会の選抜以来、ストライカーの座に居座っている俺は、朝も放課後もサッカーに明け暮れて過ごしていた。
女っ気一つもなく、一部の奴らに「サッカーバカ」と言われようと、レギュラーになれたどころか、『期待の新星』と新聞にまで載ったことが、嬉しくてたまらなかった。
それまでは、いくら熱血サッカー少年をやっていても、いつも補欠止まりでいまいち冴えない影だったんだ。これで力入れなきゃ、本当のバカだ。
その日も汗とほこりまみれになって、大雑把にシャワーで流しただけで帰って来た俺に、母さんが汚い捨て猫でも見るみたいに、「先に風呂に入ってちょうだい」と、リビングから俺を追い出した。
仕方なく俺はサッカーボールを階段に置いて、風呂場に直行した。
何か一つ脱ぐたびにパラパラと落ちてくる砂に、ヤバイな、と顔を顰めている時だった。
「ああ、手紙が来てたから、机に置いておいたわよ、香」
ドアの向こうで母さんの声がして、俺は砂がバレたのかとギクッとした後、なんでもないように答えた。
「ふーん、サンキュー。それより、風呂出たらすぐ飯にしてくれるー?俺、腹減っちゃってさぁ」
はいはい、と呆れた声で返事が帰ってきて、俺は誰からの手紙かも考えず、頭からシャワーをひっかけた。
「あーさっぱりしたっ。さ、お部屋へ行こーか、愛しのボールちゃんっ」
腰にタオル一枚を巻いた姿でダンダラ模様のボールを拾いあげると、俺はご機嫌で階段を昇って自分の部屋のドアを開けた。
PCの電源を入れ適当にYouTubeをでっかい音で再生しながら、がしがしと頭をタオルで拭いた。
そーいや、手紙が来てるって?
引っ張りだしたトランクスに足を通して、机の上に置かれたワインレッドの封筒に目をやった。
すげー色、誰からだろ?
手にとって裏返してみると、何も書いていない。消印もないし、ダイレクトメールっぽいけど、透けるように綺麗なワインレッドの封筒は、どう見ても『**ゼミ、大学受験講座!』の類いのものではない。
ダイレクトメール…?違うな、なんだよこれ、猫模様の消印?
切手も何も貼っていない封筒に、くっきりと捺された場所も日付もない消印は、見たこともないひょろりとした猫の模様だった。
痩せた黒猫の消印に、パソコンの宛名書? 何となく気味悪いと思いながらも、好奇心の方が強くて、俺は丁寧にはさみで封を切った。
中は封筒と揃えたように、微妙に色の違うワインレッドで、宛名書きと同じでパソコンで打たれていた。
シンプルに折られた便箋を広げ終わると、真ん中に寄せたように並んだ短い文章が、よけいに気味が悪かった。
『柚木香さま
魔女契約の有効期限は一年間です
失効と再契約につき後日お伺いします
高天早紀』
「魔女!?」
思わず口に出してしまって、俺は慌てて口を手で覆った。
ま、魔女だってぇ?契約の有効期限だの、失効だの、再契約だの…おまけに、[高天早紀]って、誰だよ!?
まじまじと便箋を見入ったものの、悪戯にしてはディテールがこっている。大体こういう場合は、デタラメでも名前など入れないでただの[魔女]にした方が、気味悪がられるはずだ。
「かおるー!何してるの、ご飯が冷めるわよー!」
母さんが呼ぶ声がして、俺ははっと我にかえった。
イタズラだ、イタズラ!消印だって、こんな模様のスタンプでも買ったんだろ!俺がなにを契約したって言うんだ!
そう決め込んで、俺はがさがさと便箋を封筒に戻すと、机の引き出しにしまい込んだ。
後で捨てればいいや!
ジーパンをはいて手早くパーカーを引っ掛けると、俺はばたばたと階段を降りていった。