前世の罪
根は真面目なアーニャにとって、授業をサボるのは、前世でも現世でも初めての事であった。この事がバレれば、放課後はリアの事で怒られずとも、授業をサボった事で結局は怒られてしまうだろう。
とにかくライアンに連れて来られたのは、前世でアーニャがライアンに告白し、そしてフラれた学校の屋上。あまり良い思い出のないこの場所で、全く良い思い出のないライアンと二人っきり。アーニャにとっては好ましくないこの状況だが、ライアンが謝りたいと言うのだから仕方がない。彼が自分に謝りたいと言うのは前世でも現世でも初めての事なのだから。
やんわりと吹く風に髪が乱れぬように押さえながら。アーニャは背中を向けたままのライアンに、溜め息交じりに声を掛けた。
「別に授業が終わってからでも良かったのに。学年首席のあなたが授業なんかサボったら、その名に傷が付くんじゃないの?」
「学年首席、か。前世は違ったよな」
「え?」
返って来たその言葉に、アーニャは首を傾げる。
そんな彼女を振り返る事なく、ライアンはアーニャに背中を向けたまま言葉を続けた。
「オレがお前に嫉妬している間に、お前に追い越されたんだ。悔しかったよ。体術でも剣術でもお前には勝てなかったのに、座学でもお前には勝てなくなってしまったんだから。そして結局、お前は全ての教科において、オレよりも良い成績で騎士養成学校を卒業したんだ」
「確かにそうだけど……でも、座学はリアの方が上だったわ」
「リアはずば抜けて優秀だったからな。でも、彼女は体術や剣術が苦手だった。だから総合成績は、オレやお前の方がリアより上だった」
「ああ、そうだったわね」
「ああ。それで王国騎士団に入隊し、その数年後に行われた昇級試験で、オレはお前と剣で戦う事になり……そして負けた。その結果、お前が精鋭部隊に入る事が出来て、そのせいでお前が先に死んだ」
「精々した? 邪魔だった私が死んで」
「前世では後悔した。でも、現世では後悔などしていない。むしろそれで良かったと思っている。だってもしもあの時、精鋭部隊に入っていたのがオレだったとしたら、オレ達が生きるこの現世に、アヴニール国はなかったかもしれないからな」
「どういう事?」
意味が分からないと、アーニャは眉を顰める。
するとライアンはようやく振り返り、真剣な眼差しをアーニャへと向けた。
「既に分かっているとは思うが、オレには前世の記憶がある。物心ついた事からあったんだ。お前にも前世の記憶があるんだろう? いつからあったんだ?」
「夏休みの花火大会で、花火の爆発に驚いて気を失ってからよ。目が覚めたら、全部思い出していたわ」
「やっぱりそうか」
「知っていたの?」
「その頃からだろう? お前がシュラリア国について調べ始めたのは。だから戻ったのだとしたら、その時だろうとは思っていた」
「そう……」
「悪かったな」
「前世の事?」
「それもそうだが、今朝の事だ。オレはお前に突き落とされたと言うリアを擁護し、何の罪もないお前を責めた。わざととはいえ悪かった」
「わざと?」
その言葉に、アーニャは訝しげに眉を顰める。
するとライアンは、「そうだ」と頷いてから話を続けた。
「お前がリアと『取引』をしていた事は知っていたんだ。だからリアの願いが叶えば、彼女はお前との約束を守るふりをするため、お前と二人きりになり、自分の口で真実を口にすると思ったんだ。だからセレナやノアに協力してもらい、クラスのみんなを連れて後を付け、リアの口から語られる真実をみんなに聞いてもらったんだ。そのために、オレは敢えてリアの味方のふりをして、みんなの前でお前を非難しなければならなかった。だからごめん、わざととはいえ、お前の事を非難して傷付けた。本当にすまなかった」
「……」
すっと頭を下げるライアンに、アーニャは動揺に瞳を揺るがせる。それじゃあ今回、前世と違ってみんなが自分を信じてくれたのは、ライアンのおかげという事なのか? あのリアを裏切ってまで、自分を助けてくれたというのか? そんな、信じられない!
「何で、そんな事をしてくれるの?」
「……」
その疑問に、ライアンはそっと顔を上げる。
戸惑いに揺れるアーニャの黒い瞳。そんな彼女の瞳を、ライアンは静かに見つめた。
「ライアンは私の事を嫌っていた。その時の記憶がないならまだしも、その時の記憶があるのに、どうして助けてくれたの? 前世では、何があっても助けようとなんてしてくれなかったじゃない。前世の記憶があるのなら、現世でもそのまま私を嫌い、前世と同じように振る舞うのが普通でしょ? それなのに何で記憶があるクセに現世では優しくしてくれるの? 意味が分からない。むしろ、逆にからかわれているとしか思えないわ」
「そうだろうな」
アーニャが戸惑うのも当然だ。前世の記憶がない状態で、改めてアーニャに好意を抱くのであればまだ分かる。しかしライアンには、アーニャを疎ましく思い、冷たくあしらっていた前世の記憶があるのだ。それなのに生まれ変わったからといって、その嫌っていたハズのアーニャに、今度は優しくしてやろうなんて思うものなのだろうか。むしろ、またコイツと関わらなきゃいけないのか、とうんざりするものなのではないだろうか。
「私には前世の記憶がある。だから、私はあなたに関わるのは嫌よ。だって前世のような辛い思いはしたくないもの。あなたと会った時からあなたに好感を抱けなかったのも、前世の影響だったんだって、今では理解しているしね」
「やっぱり、オレの事は嫌いなんだな」
「前からそう言っているじゃない。私はあなたに好意を抱いたせいで、前世では辛い思いばかりしていた。だから現世では、あなたじゃない人に恋をしてみたいの。そうよ、私はあなたに好意を抱く事はもうないの。だから現世では前世のようにあなたを執拗に追い求めたりなんかしない。だからあなただって私に関わらなければいい。現世では互いに嫌っている者同士だもの、互いに近寄ろうとしないのが一番いいハズなのよ。それなのに、どうしてわざわざ私に関わろうとするの? そっとしておいて欲しいわ」
「ははっ、酷い嫌われようだな、逆に安心したよ」
「安心?」
「ああ、だってこれ以上、嫌われる事はないだろうからな」
「?」
声を上げて笑うライアンに、アーニャは不審そうに眉を顰める。
そんな彼女に向き直ると、ライアンは改めて真剣に表情を固めた。
「正直に言う。オレはお前に真実を知られたくなかった。だから図書室に来るお前の邪魔をしたり、適当な事を言って、お前が真実に辿り着けないように邪魔をした。悪かった」
「真実? え、何の事?」
「シュラリア国の王家滅亡の原因についてだ。オレは、お前にそれを知られたくなかった。だから研究自体が禁じられているとか、明らかにしてはいけない史実があると嘘を吐いた」
「えっ、嘘?」
「ああ、そうだ。シュラリア国にそんなモノはない。シュラリア国の王家が滅んだ理由なんか突き止めた日には、快挙だ何だのと称賛されるだろうな。間違っても、身に危険が迫るような事はないハズだ。悪かったな」
「はあ? な、何でそんな嘘を吐く必要があったのよ? 私がそれを調べようが何しようが、ライアンには関係ないじゃない! 何でそんな邪魔をしたのよ!」
まさかトーマスの言う通り、構って欲しくて適当な嘘を吐いたとでも言うのだろうか。
しかしそんな彼女に困ったような笑みを浮かべると、ライアンはその理由を静かに彼女へと伝えた。
「それこそが、オレの犯した最大の罪だからだ」
「え、どういう事?」
「オレなんだ」
「え?」
「オレが王家を滅ぼした」
「は? え……?」
ライアンが王家を滅ぼした? は?
「オレは、オレの罪をお前に知られたくなかった。だから必死に隠そうとした。でも、それじゃあダメなんだって気が付いたんだよ。命と引き換えに国を守り、オレ達を信頼して未来を託してくれたお前にはきちんと話し、そして謝らなければならなかったんだ。それなのにその罪をなかった事にしてお前と前に進みたいだなんて、オレが間違っていたんだ」
「ラ、ライアン? 一体何の話をしているの?」
前世の記憶はあるハズなのに。それなのにライアンが言わんとしている事がよく分からない。
戸惑いながらそう問い掛けるアーニャに向き直ると、ライアンは改めて真剣に彼女の瞳を見つめ直した。
「アーニャ。お前が守ってくれたシュラリア国を、そしてお前が託してくれた未来を滅ぼしたのはこのオレだ。本当にすまなかった!」
「え? ええ?」
改めてそう謝られても意味が分からない。
シュラリア国を滅ぼしたのはライアン? え? そんなわけないだろう。
「えっと……関節的にって事?」
「いや、直接手を下した」
「直接……って事は、騎士団で反乱でも起こしたの? でもそれだったら、ライアンだけが悪いってわけじゃ……」
「違う、オレの単独犯だ。他のヤツらに罪はない」
「いやいやいやいや、それは無理でしょ。いくらライアンが強いっていっても、たった一人で王家を滅ぼせるほど、他のみんなだって弱くはないわよ。いくら本気になったとしても、ライアン一人でどうこう出来る話じゃないわよ」
「一つだけ、それを可能にする方法があるだろう?」
「え?」
「インフェルノを使用する方法だ」
「は……っ?」
その最強にして最悪の兵器の名に、アーニャは思わず言葉を詰まらせる。
それじゃあライアンは、インフェルノを使って王家を滅ぼしたというのか? でも、インフェルノは……。
「待って、インフェルノは確かにあの時施設ごと破壊したハズよ。研究員も、資料も、実物もみんなあそこにあった。それを全部吹き飛ばしたから、何も残らなかったハズ。それなのに一体どうやって? まさかまだインフェルノに関する何かが残っていたというの?」
「ああ、そうだ」
戸惑うアーニャの言葉に頷いてから。ライアンはそっと顔を上げた。
「オレが、再生させた」
「な……ッ?」
その言葉に、アーニャは驚愕に目を見開く。
顔を上げたライアンの目に浮かぶのは、冷酷の色。だからこれから彼が話す事は、きっと嘘じゃない。
「お前達の死後、国王陛下から真実が伝えられた。お前達精鋭部隊は任務を遂行して死んだと。そしてインフェルノという最悪の兵器を、完全に破壊してくれたと」
「……」
「お前の次点だったオレは、その後、精鋭部隊となった。そして兵を率いてピートヴァール国に進軍し、国王を討ち、ピートヴァール戦に終止符を打った。その時だ。ピートヴァール城に保管されていた、予備のインフェルノに関する資料を見付けたのは」
「そんな! それじゃあ資料は完全に破壊されていなかったって事?」
「ああ、さすがのアイツらも、何かあった時のために城に予備を残していたみたいだ」
「そんな……」
「でも、それは世に出すべきじゃない。今度はそれを巡って争いが起きてしまう。そう判断したサミュエル国王陛下は、シュラリア城の地下室に、それを厳重に保管したんだ」
「処分はしなかったの?」
「それも考えた。けど、いつまたシュラリア国に危機が迫るか分からない。だからその時に国を守る最終手段として、一応保管しておく事にしたんだ」
「そう、なんだ……」
ライアンの語る、アーニャ達の死後の話。その後のシュラリア国の話をそこで一度区切ると、ライアンはフッと寂しそうな笑みを浮かべた。
「お前が極秘任務に向かって死んだって話を聞かされても、オレにはすぐには信じられなかった。どうせまたひょっこりと帰って来るんだろうって、そう思っていたんだ」
「変なの。あなたの言った通りになったのに。私が死んで喜んでいるかと思ったわ」
お前なんかいなければ良かったのに。彼が口にしたその通りになったのに。
願いが叶ったのだから喜べばいいのに、と眉を顰めるアーニャに、ライアンは寂しそうに当時の想いを語った。
「お前がいなくなって、ようやく気が付いたんだ。オレは、お前が嫌いだったんじゃない。ただお前に嫉妬していただけだったんだ」
「嫉妬? 私に?」
「騎士養成学校の時から、オレは武術や剣術でお前に勝った事はなかった。どんなに鍛錬を積んでも、お前には敵わなくって、悔しかった。その悔しさから、オレはお前を女のクセにって妬むようになったんだ」
「……」
「そんな時だったよ。オレが好きだと、お前から告白を受けたのは。腹が立ったんだ。オレはお前に追い付きたくてこんなにも努力しているのに、お前は恋愛なんかに現を抜かしている。それも、オレに対して、だ。大層な余裕じゃないか。まるでオレがどんなに努力しても無駄で、お前に追い付く事は出来ないんだと、見下されているようでムカついた」
「わ、私はそんなつもりじゃ……」
「そうだろうな、お前はそんな事をするヤツじゃないからな。でも、嫉妬に駆られていたオレにはそう見えた。だからオレはこれ見よがしにお前を傷付けて突き放した。けど、それでもお前はオレが好きだと、諦めなかった。苛立ったよ、こんなにも才能があって、オレより強い女が、どう頑張っても追い付く事の出来ないオレに恋愛感情を抱いている事自体に。お前がオレに笑い掛けてくれる度に、お前に抱く嫌悪感は強くなっていった。だからオレは、お前に辛く当たった。そしてお前が傷付く表情を見せる度に、オレは優越感に浸るようになっていったんだ」
「……」
「リアと付き合おうと思ったのも、申し訳ないがお前への当て付けだ。オレに恋人が出来たら、お前はどんな表情をするのか見たかったんだ。想像通りショックを受けるお前に、オレはいい気味だと思った。そしてお前がリアを目の敵にして彼女に嫌がらせをするようになったのをいい事に、オレは事あるごとにお前を非難し、お前に対する嫉妬の八つ当たりをしていたんだ」
「確かにリアの事は嫌いだった。でも私は嫌がらせなんかしていない。そりゃ、悪口くらいは言ったけれど……。でも、それでも私は、リアに直接手を上げるような事はしていないわ。特にリアを階段から突き落としたりなんかしていない」
「そうだな。でも、あの時のオレはお前を悪人にしていたかった。虐められているリアを庇い、お前を非難する事で、オレは自分の行動を正当化し、お前の能力も含めてお前自身を否定していたかったんだ」
「階段の件は、さすがにショックだった。大好きな人に一切信用してもらえなくて。どんなに訴えても私の言葉は、あなたには届かないんだって、思い知らされた。だから私は、その日からあなたと距離を置くようにした。それでもあなたへの好意は消せなかったけれど。でもその想いをぶつけるようにして、私は鍛錬や勉強に取り組むようになった」
「そのせいで、オレは座学の成績も、あっという間にお前に抜かれてしまったんだったな」
「ライアンに積極的に話し掛ける事も少なくなったのに、それなのにライアンは以前よりも私に冷たくなっていった。挨拶は無視するクセに、何か失敗した時にだけ冷たい言葉が飛んで来る。何があっても助けてはくれないクセに、リアが何か言えば、すぐに私を責めて来る。今思えば、私がおかしかったんだわ。何で最期の最期まで、あんたなんか好きだったんだろう。何で死ぬ前に望んだ事が、あんたに抱き締められる事だったんだろう」
「すまなかった」
「別に、謝って欲しいわけじゃないわよ」
今更、謝って欲しくなんてない。だって彼に想いを寄せていた自分はもういないのだから。最期まで傷付けられ、そして死んでいったのだから。もう存在しない自分に謝られたところで、その謝罪は意味を成さない。
「そうだな、それに気付いた時はもう遅かったんだ。お前はもう、この世にはいなかったんだから」
「……」
「念願の精鋭部隊へ配属されたオレは、ようやくお前が二度と帰って来ない事に気が付いた。その時にオレが覚えたのは精々したなんて喜びじゃない。お前を失った事に対する絶望と虚無感、そして後悔だった」
そう口にしてから。ライアンはフッと自嘲の笑みを浮かべた。
「おかしいだろ? あんなにお前に酷い事ばかりをしていたのに、お前がいなくなった途端、お前の事ばかりを考えるようになったんだ。そしてやっと気付いたんだよ。オレが嫌っていたのはお前じゃない。オレはお前の能力に嫉妬し、お前を悪人にする事でしか自分を正当化で出来ない、オレ自身が嫌いだったんだって」
気が付いたところでもうどうにもならないけどな、とライアンは続けた。
「だからオレは、せめて騎士として、お前の代わりに国を守る事を誓った。お前が命と引き換えに守ってくれた大切な国だ。だからそれを守る事で罪を償おうと、そう誓ったんだ」
国を守るため、死にいく彼女。知らなかったとはいえ、最期に彼女へと贈った言葉は「お前なんかいなければ良かった」だった。何て事を言ってしまったんだと後悔した。死の運命が変えられないのなら、せめて強く抱き締めるくらいしてやれば良かったと後悔した。だから彼女が散った海に謝罪した。そして必ず国を守ると誓った。ピートヴァール国に勝利した時も真っ先に報告に向かった。そしてこれからも国を守っていくと誓った。
それなのに。
それなのにどうして、彼は国を終焉へと導いてしまったのか。
「それじゃあどうしてシュラリア国、その王家を滅ぼしてしまったの? 陛下に死んでくれとでも言われたの?」
「……」
その問いに、ライアンはフルフルと首を横に振る。
そうしてから、彼はその瞳に冷酷の色を浮かべた。
「ピートヴァール国王を討ち、シュラリア国に平和をもたらしたのは、オレ達生き残った王国騎士団だ。でも、お前達精鋭部隊がああしてくれなければ、シュラリア国はもっと甚大な被害を受けていた。街は破壊され、国民にも多くの犠牲者が出ていただろう。でも、お前達の勇敢な行動のおかげで、それはゼロに防ぐ事が出来た。だから陛下はお前達の功績を称え、これを国民に公表、そしてお前達を偲ぶための石碑を建てようとしたんだ」
「建てようとした……って事は、結果的には建てなかったって事?」
「反対派が多かったんだ」
「反対派?」
「アーニャ。国を守るために死んだ精鋭部隊の話を聞いた時、国民は何て言ったと思う?」
「え? え、えーと、ありがとう、とか、ご冥福をお祈りします、とか?」
突然のその質問に、アーニャは頭を捻りながらそう答える。
するとその解答に、ライアンはバカにしたような笑みを浮かべた。
「死んで当たり前、だそうだ」
「っ?」
まさかの正答に、アーニャは驚愕に目を見開く。
任務で命を落とす事は、国のためだと割り切っていた。もちろん、感謝して欲しいとか、そんな恩着せがましい事を言うつもりはない。
しかしそれでもまさか、そんな冷たい事を言われているとは思わなかった。
「『税金で飯を食ってんだから、命を懸けて国民を守るのは当たり前』、『それ言う必要ある? 私ら知らなくても良くない?』、『国が勝手に下した命令で勝手に死んだんだのに、感謝しろとか恩着せがましい』、『石碑なんて無駄な物に税金を使うな。騎士が減ったんなら、その分税金を下げた方が国民は感謝するよ』と、そんな意見が大半を占めていた」
「……」
「笑えて来るだろ?」
唖然として言葉が出て来ない。確かにその通りかもしれない。でもこっちは彼らを守るために命を落としたんだぞ? もう少し気遣いの言葉をくれてもいいのではないだろうか。
「お前達が道を作り、オレ達が勝利に導いたといっても、無傷で勝利したわけじゃない。リアのように、敵に討たれて戦死した仲間もいた。それなのに、税金で飯を食ってんだから死んで当然だと言われたんだ。こんな国、ピートヴァール国に攻め落とされれば良かったのにと、正直そう思ったよ」
「……」
「他の奴らも、国民の心無い言葉に激怒した。でも国を守るのが自分達の使命だからと、みんな必死に耐え、その後も騎士として国を守ろうとした。だけど……」
そこで一度言葉を切ってから。ライアンは更に言葉を続けた。
「オレはこんな国、いらないと思った」
彼の冷酷な瞳は、前世で幾度となく見て来た。けれども今、彼の瞳に宿るのは無の感情。喜怒哀楽、その全ての感情を失ってしまったような、光のない瞳。
初めて見る彼の表情に、アーニャの背筋にゾクリとした悪寒が走った。
「お前が守ってくれた国。それなのに、お前は死んで当然だと言う国民達。そんなヤツらの命って必要か? いらないだろ? お前が死んで当然なら、いらない命も消えるべきだ」
「……」
「幸い、オレは精鋭部隊に所属していたため、様々な権利が与えられていた。地下室に保管されたインフェルノの資料を閲覧するのも自由だった。だからオレはその立場を利用し、十年の歳月を掛けて密かにインフェルノを作り上げたんだ」
そう説明をすると、ライアンはそっと目を閉じる。
思い出すのはその十年間。表では誰にも疑われないように以前の自分を演じ、そして裏では復讐に駆られた心でインフェルノの制作をしていた。
『ライアン、最近のお前おかしいよ。何か良からぬ事、企んでいるんじゃないだろうね?』
それでも全てを騙す事は出来なくて。親友だったノアは、何かに勘付いているようだった。
『何の話だ?』
『少し休んだ方がいいんじゃないか? どこか旅行にでも行って来たらどう?』
『必要ない。オレは仕事をする事で満たされているからな』
『満たしてくれているのが、本当に仕事ならいいんだけどね』
『どういう意味だ?』
『いや、何でもない。でもライアン、バカな事は考えるなよ。そんな事したって、アーニャはきっと喜ばないよ』
ノアが自分を止めようとしてくれたのは、その一度きりで。
結局自分は彼の話にも耳を傾けず、その手で彼をも葬ってしまった。
「インフェルノは城で使おうと決めていた。城で使えば、王族を含めた国の中枢機関は死ぬ。当然、中枢機関がなくなれば、国は機能しなくなる。そしてその好機を他国が逃すわけがない。国は一揆に他国に攻め込まれ、滅びるんだ」
「それじゃあ、シュラリア国、その王家が滅んだ原因って……」
「ああ、オレがインフェルノで王都を焼いたからだ。その時に王族も騎士団も、国の中枢機関を担っていた政府も全部死んだ」
そっと瞳を開いたライアンは、はっきりとそう告げる。
そしてフッと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「その後の事は知らないが、歴史の資料から見るに、シュラリア国は様々な国に攻め込まれて滅んでいる。守ってもらえて当たり前だと思っていた国民には相応しい末路だろ」
「それじゃあ、その原因がまだ解明されていないのって……」
「オレが一部の人間しか知らない兵器で、その資料も、それを知っている人間も全て消したからだ。シュラリア国に攻め込み、それを滅ぼした国だって、何が起きたのかは分からない。突然王都が消えたから、その好機に自分達がシュラリア国を乗っ取った。それ以外の事は分からないから、そいつらも何も記録を残せなかったんだ」
「それが、真実……」
「ああ。それが、真実だ」
自分が命を引き換えに守った国。それが僅か十年で滅んでしまった理由。それがまさか、同じ王国騎士団に所属していたライアンが起こした惨劇のせいだったなんて。
まさかの真実に、アーニャは悲しそうに瞳を揺らした。
「それだったら、私の事なんか嫌いのままでいて欲しかった」
「……」
「私が死んで精々したって、そう言って喜んで欲しかった」
「……」
「それなら、あなたが凶行に狂う事なんてなかったのに」
「……」
「それじゃあ私は、一体何のために死んだっていうの……?」
本当はもっと生きたかった。だけど大好きな人に生きていて欲しかったから、だから命と引き換えに国を守る決心をした。
それなのに、まさかその最たる人物が国を滅ぼしてしまっただなんて。その最たる人物が、笑う未来がなかっただなんて。
これじゃあ、何のために死んだのか分からない。
「軽蔑したか?」
「軽蔑というより、虚しい。そんな理由で仲間が国を滅ぼしてしまっただなんて。私はライアンにそんな事をさせるために命を投げ出したわけじゃないのに。そんな事になるんだったら、インフェルノによるピートヴァール国の攻撃を受けた方がまだマシだった」
「そうか……」
そっと瞳を伏せるアーニャに、ライアンはフッと寂しそうな笑みを浮かべた。
「ノアに言われずとも分かっていたんだ、オレがインフェルノで国を滅ぼせば、お前にこんな顔をさせてしまう事はな。でも、オレはオレを止められなかった。許せなかったんだよ、お前が死んで当然だと笑う奴らが。そいつらこそ死ねばいいという一心で、オレは国を滅ぼした」
「……」
「でも、今になって後悔している。だってあの時、お前の命を一番蔑ろにしてしまったのは、国王でも国民でもなくてオレだったんだからな。お前が命と引き換えに守った国を、オレがこの手で葬ったんだ。ノアの言う通り、バカな考えは止めて、精一杯生きれば良かったんだ。精一杯生きて、国を守ってくれたお前に誠意を見せる。そうすればオレは、現世でこんなにもお前に嫌われずに済んだのかもしれないからな」
「……」
「アーニャ」
改めて名前を呼ばれ、アーニャはそっと顔を上げる。
そこにいたライアンは、真剣な眼差しを真っ直ぐにアーニャへと向けていた。
「これが、オレが前世で犯した最大の罪だ。本当にすまなかった!」
サッと勢いよく頭を下げるライアンを、アーニャは静かに見つめる。
そうしてから、彼女はフルフルと首を横に振った。
「その謝罪は、シュラリア国民にするべきだわ。私じゃない」
「いや、オレはお前に謝りたいんだ。お前の命を無駄にしてしまったのは、オレなんだから。その上でお前がシュラリア国民に謝れと言うのなら、毎日教会に行ってヤツらに祈りを捧げる。だからどうか許して欲しい! すまなかった!」
「……」
ヤツらって言っている時点で、たぶんあまり反省はしていない。
「私が一言許すって言えばいいの?」
「いや、心からの許しが欲しい。じゃないと、オレは前には進めない」
「そう……」
困ったように溜め息を吐いてから。アーニャは真剣な目を改めてライアンへと向け直した。
「せっかく救われた国を滅ぼされたのは残念だけど。でも命を懸けて国を守ると決めたのは私だわ。だから残されたあなたが国を滅ぼしたのだとしても、私は自分の命を無駄にされたとは思わない。それについては、そんなに反省しなくてもいいわよ」
「許してくれるのか?」
おそるおそる顔を上げるライアンが、何だか怒られた子犬のように見えて、思わず吹き出しそうになってしまう。
それでもそれを堪えると、アーニャは首をフルフルと横に振った。
「許すも何も、私は怒っていないもの。それより本当に怒っているのは、シュラリア国の国民じゃない? 一時の感情であなたに殺されちゃったんだから。私よりも、その人たちに謝った方がいいと思うけど」
「どうやって謝ったらいいと思う? どうしたら許してもらえるだろうか?」
「どうって言われても……」
謝るも何も、相手はもう死んでいる。死んだ人間相手に謝る事など出来るわけがないし、許してもらえる事もない。そもそも、彼は本当に反省しているのだろうか。
「っていうか、本当に反省しているの?」
「お前に対しては、本当に悪かったと思っている。だが、シュラリア国民に対しては、罪悪感など微塵もない。でもお前がヤツらに対して謝れと言うから、謝ろうと思っている」
だからどうやったら許してくれると思う、と再度尋ねて来るライアンに、アーニャは呆れて言葉を失う。例え死人に謝る事が出来たとしても、そんな心構えで謝って来るヤツなど、許してくれるわけがない。
「そうね……ああ、そうだ。私やあなた、それに他のみんなもまたこの世で生を受けているんだから、元シュラリア国民もここに転生しているんじゃない? だったらもう一度騎士団に入って、今度こそ国を守るために尽力を尽くしたらいいんじゃないの?」
「あんなヤツら、二度と守りたくない」
「おい」
何だ、それ。だったらもう死んで詫びるしか方法はない。
「でも……」
と、ライアンが口を開く。
見れば彼の真剣な瞳が、真っ直ぐに自分を射抜いていた。
「お前が一緒なら、オレは罪を認め、償えるかもしれない」
「え?」
一緒なら、って……?
「アーニャ、謝罪のついでに頼みがある。ともに王国騎士団に入隊し、一緒にオレの罪を償ってはくれないか?」
「な、何で私が……っ!」
「頼む」
「……」
じっと真剣に見つめられ、アーニャは言葉を詰まらせる。
確かにライアンは嫌いだ。それは前世での自分に対するライアンの態度にあった。好意を前面に出していたアーニャに対して、ライアンは常に冷酷な態度を取っていた。リアを守るという名目で、いつもアーニャを悪人に仕立て上げていたし、何があっても手を貸してくれる事もなく、そのせいで窮地に立たされる事も幾度となくあった。そして最期には殴られ、「お前なんかいなければ良かった」と、心無い言葉を突き付けられた。そんなヤツ、二度と好きになんかなるわけがない。むしろ、そんな事をされても好きだった前世の自分がどうかしていたのだ。
だけど……。
(もしも私とライアンが互いに信頼し、背中を預けられる仲だったとしたら、どんな騎士になれたんだろうか?)
前世ではライアンが、そして現世では自分が相手に嫌悪感を抱き、互いに手を取り合えていない。仮に手を取り合えたとしても、前世では途中で自分が死ななければならなかったため、どちらにせよその結果を見る事は叶わなかっただろう。
しかし現世では、その先を見られる可能性がある。前世よりもずっと平和な現世。よっぽどの事がない限り、国王から「国のために死んでくれ」などと命じられる事もないだろう。それに現世では、ライアンは自分の事をちゃんと見てくれている。だから自分がライアンに向き合う事さえ出来れば、騎士として、互いに手を取り合った未来へと行く事が出来るのだ。
互いに認め合い、騎士として活躍出来る未来。その世界はどうなるのか、それをちょっと見てみたい。
「分かった」
「え?」
「私が、あんたにちゃんと罪を認めさせてやる。そして、その罪を一緒に償ってあげる」
「本当か?」
首を縦に振って欲しいとは思った。けれどもこんなにあっさりと首を縦に振ってくれるとは思わなかった。
思ったよりも早く了承してくれたアーニャにライアンがもう一度それを確認すれば、アーニャは改めて首を縦に振ってから、「ただし」と言葉を続けた。
「今は昔と比べて平和になった。だから王国騎士団の採用人数は少なく、前よりも就職するのは困難になっている。もちろん、また王国騎士団に入隊出来るように努力はするつもりだけれど、ダメだった時は諦めてちょうだい」
「そうか……。じゃあ、お前も王国騎士団に入れるように、オレがサポートしよう。安心してくれ」
「はあ? 何よ、サポートって。偉そうにっ」
「確かに前世ではお前の方が優秀だったが。でも現世ではオレの方が成績が良い。記憶が早く戻った分、お前より強くなるために、早い頃から勉強にも体術にも励んでいたからな。だから今回はオレが手取り足取り鍛えてやる。任せてくれ」
「ぐ……っ」
悔しい。ライアンの言う通り過ぎて、何も言い返せないのが悔しい。くそっ、絶対にライアンよりも優れた騎士になってやる。いつまでも言いなりのままでいて堪るか!
「アーニャ」
「何よ?」
一人悔しがっているアーニャに、ライアンが優しく声を掛ける。
それにムッとしながらも彼に視線を向ければ、フワリと優しく微笑む彼と目が合った。
「ありがとう」
「……」
前世に向けて欲しいと願ったその微笑み。
それにちょっとだけときめいてしまったのは、きっと気のせいだ。