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決戦・後

昼休みのリアは上機嫌だった。そりゃそうだろう。だって全てリアの思い通りに事が運んだのだから。
 階段の一件で、ライアンは遂にアーニャを見限り、自分の味方をしてくれた。ノアやセレナなど一部例外はいたが、それでもクラスのほとんどの人間は自分を信じ、アーニャに軽蔑の目を向けていた。全部自分の思い通り。これでもう少ししたら、ライアンはきっと前世のように自分の事を好きになってくれるだろう。そうすれば恋仲となるのも、彼と婚約するのも時間の問題。良かった、これでやっと前世では手に入れられなかった幸せが手に入る。今度こそ、ライアンと結ばれて幸せになるんだ。
「これで満足?」
「うん、満足よ、ありがとう、アーニャ」
 昼休み。人気のない体育館の裏にて、げっそりとしたアーニャがそう尋ねれば、リアはこれまた満足そうに頷く。ライアンに嫌われるのは別に構わないが、クラスのみんなから非難されたり、悪くもないのに先生から怒られるのは、精神的に割とキツい。現世でも来世でも、コイツと関わるのはもう止めにしたい。
「あんたの嘘のせいで、放課後は先生から説教を受けるハメになったじゃない。最悪。被害者は私なのに」
「そんなの、アーニャが素直に私を突き落としてくれなかったのが悪いんじゃない。どうせこうなるんだから、あの時ライアンの目の前で私を突き落としてくれれば良かったのに。そうすれば、無駄に怪我をする事もなかったのにね。ライアンの言う通り、大人しく私の言う事を聞かなかったアーニャの自業自得だよ」
「ホント、あんたって性悪女よね。何でみんなこんな簡単に騙されるのかしら」
「日頃、どれだけいい子ちゃんぶれるかの違いじゃない? 性悪女なのはお互い様だもんね」
「ふん。まあいいわ。それよりも約束は守ってくれるんでしょうね? さっさとシュラリア国滅亡の原因を教えなさいよ」
「いいよ。ちゃんとライアンに嫌われてくれたもんね」
 ニコリと微笑みながら頷くリアに、アーニャはホッと安堵の息を吐く。性悪リアの事だ。もしかしたら、何だかんだ言って約束を反故されるかと心配だったのだが……。良かった、約束は守ってくれるようだ。
「シュラリア国が滅亡したのは、権力争いが原因だよ」
「え、権力争い?」
 その予想外の理由に、アーニャはポカンと間の抜けた表情を浮かべる。え? インフェルノって関係ないの?
「ピートヴァール戦後、三人の皇子達が跡継ぎ問題で揉めたの。城内でも派閥に別れちゃってね。それで全面的に争って結局は相打ち。巻き込まれたこっちとしてはいい迷惑だよね」
「???」
 跡継ぎ問題で王家が滅亡? え? でもそれだと資料や文献が残っていて、後世にも伝わっていそうなモノじゃないだろうか?
「インフェルノ関係ないの?」
「関係ないよ? どうしてそう思ったの?」
 ポカンと間の抜けた顔をするアーニャに、リアはコテンと首を傾げる。
 と、その時だった。
「ねえ、今の話って何?」
「っ?」
 突然聞こえて来た第三者の声に、二人はハッとして顔を上げる。
 いつからそこにいたのだろうか。視線を向けたその先では、険しい表情のセレナが鋭くリアを睨み付けていた。
「アーニャがリアの言う事を聞かなかったから悪い、って……?」
「まさか、リアが嘘を吐いていたって事か?」
「どういう事……?」
 みんな、いつからそこにいたのだろう。セレナに続き、クラスメイト達がわらわらと姿を見せる。
 一体どうなっているんだとポカンとしているアーニャはさておき、真っ青な表情をしたレイカが、自分を責めるようにして言葉を震わせた。
「そ、それじゃあ本当は、リアが悪かったって事? 私が、間違っていたの……?」
「そうよ、あんたも私も、みんな騙されていたのよ!」
 はっきりとそう言い切ってから。セレナは今にも殴り掛かりそうな勢いで、改めてリアを睨み付けた。
「今の話、あんたがライアンの気を引きたいから、自分を階段から突き落とすようにアーニャに頼んだ、って解釈でいいのよね? どういう事か、詳しく説明してくれるんでしょうね?」
「そ、それは、その……っ」
 クラスのみんなが見ている前だ。下手な事は言えないのだろう。どう弁解しようかと言葉を選んでいるリアを、セレナは更に問い詰めた。
「アーニャがあんたを突き落とそうとしたから抵抗した結果、アーニャが落ちてしまったとあんたは説明したけれど、それは嘘。本当は、自分を突き落としてくれと迫るあんたと揉めた結果、アーニャが運悪く落ちてしまった、って事でいいのよね?」
「そ、それはっ!」
「マジかよ……」
「え、じゃあ、やっぱりリアが悪いって事?」
「うわ、怖……っ」
 形勢逆転。どこからどう見てもリアに非がある今回の件に、話を聞いていたクラスメイト達がリアに非難の目を向ける。
「っ!」
 これは何とかしなければマズい。せっかくライアンがアーニャを見限り、自分を見てくれようとしているのに、このままでは元に戻ってしまう。いや、逆に自分を軽蔑し、二度と自分の事なんか見てくれなくなってしまう。それは嫌だ。それだけは何とかして回避しなければ……!
 そう危機感を覚えたリアは、咄嗟に勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい! 私、怖くて本当の事が言えなかったの! だって言ったところで、きっと誰も信じてくれないって思っていたから……っ」
「本当の事?」
 その一言に、レイカは訝しげに首を傾げる。
 するとリアは勢いよく頭を上げ、今にも泣き出しそうな目でレイカを見つめた。
「アーニャに頼まれたの! ライアンに嫌われるように協力してくれないかって!」
 ……は?
「断ってもしつこく好意を寄せて来るライアンが面倒臭いって。だから手っ取り早く彼に嫌われたいから協力してくれないかって、アーニャに頼まれたの! それで、アーニャが嫌な女を演じればいいんじゃないかって話になって、私がアーニャにわざと虐められる事によって、ライアンがアーニャを嫌うように仕向けていたの!」
 ……。
「階段の事も、私が提案したの。ライアンの目の前で私を突き落とせば、彼はきっとアーニャに幻滅するだろうって。でもアーニャはそこまではしなくていいって断ってくれたんだけど、私がしつこく迫ったから揉み合いになっちゃって、それで運悪くアーニャが落ちてしまったの……。だから、ごめんなさい! 私が自分の身を守りたいがために吐いた嘘なの! 全部私が悪いの! ごめんなさいっ!」
「……」
 再び勢いよく頭を下げるリアに、アーニャは言葉を失う。
 よくもまあポロポロと言葉が出て来るものだと、怒りを通り越して感心するわ。
「じゃあ、やっぱり悪いのはアーニャじゃないか」
「アーニャがリアに余計な事を頼んだのが、原因なんだもんね」
「でも、今の話は本当なの?」
「リアが嘘吐くわけないだろ」
「ええ? で、結局どっちが悪いの?」
 リアの話を信じるべきか、疑うべきか。混乱するクラスメイト達の中から、比較的落ち着いた声が上がる。
「アーニャ」
 そしてスッと一歩前に歩み出ると、その声の持ち主、ライアンは、その真剣な眼差しを真っ直ぐにアーニャへと向けた。
「リアの話は本当か?」
「え? えっと……」
 ライアンに倣うようにして、クラスメイト達の視線が一斉にアーニャへと向けられる。
 厳密にいえば、リアの話は嘘である。しかしライアンの好意を疎ましく思っていたのは事実だ。それに何より、アーニャは今、リアからシュラリア国の王家滅亡の原因を聞いてしまったのだ。つまりリアは、ライアンに嫌われてくれたお礼として、アーニャとの約束を守ってくれた事になる。
しかし、ここでアーニャが本当の事を話してしまえば、今度はリアがライアンに嫌われてしまうだろう。そうなれば、約束を違えた事になるのは自分の方だ。大嫌いなリアに約束を守らせておきながら、自分が約束を破るなんてあってはならない。ならばここはリアとの約束を守るべく、話を彼女に会わせるべきだろう。
「ええ、そ……」
「その前に、一つ教えてやる」
「?」
 頷こうとしたアーニャの言葉を遮って、ライアンが口を開く。
 一体何だと首を傾げれば、ライアンはじっとアーニャを見つめながら、その言葉の続きを口にした。
「リアが亡くなったのは、ピートヴァール戦中だ」
「……?」
 え?
「ピートヴァール国に進軍中、敵の銃弾に撃たれて戦死した。オレ達シュラリア国騎士団が、ピートヴァール国を討ち滅ぼす直前の出来事だった」
「は……?」
 いや、ちょっと待て。リアはピートヴァール戦中に亡くなっただって? でもシュラリア国が滅んだのは、その十年後だったハズだ。
「って事は……」
 リアはシュラリア国の王家が滅んだ時、既にこの世にいなかったのではないだろうか。
「あんた、シュラリア国が滅ぶ時にはもう、死んでたって事じゃないのよ!」
「うっ」
「って事は、あんたは王家滅亡の原因は知らないハズ……。あんた、私を騙したわね!」
 その事実にようやく気付いたアーニャは、カアッと怒りに顔を真っ赤に染める。まさかこんな大嫌いなヤツに騙されるなんて! 何という屈辱! あああああっ、自分自身にも腹が立つッ!
「嘘よ、嘘! コイツ嘘吐きよ! 人の弱みに付け込んで、私を利用してライアンに好かれようとしていたのよ! みんな聞いていたでしょ! 私がライアンに嫌われてくれたお礼にって、コイツがニコニコしながらシュラリア国滅亡の原因を私に教えてくれていた事! シュラリア国滅亡の原因を教えてもらう代わりに、私がライアンに嫌われて、リアが彼に好かれるように、私がコイツに協力していたのよ!」
「じゃあ、何でお前は階段から落ちた? リアに突き落とされたのか?」
「はあ? あんた、何聞いていたのよ! 私があんたに嫌われるために、あんたの目の前で自分を突き落としてくれって、リアが頼んでいたって、コイツが言っていたじゃない! 私はそれを断ったけど、リアがそれをしつこくせがんで来たから、揉み合いになった挙句、私がうっかり落ちちゃったの! だからあれは事故よ、事故!」
 最初からリアが自分を騙そうとしていたのなら、これ以上リアに従う理由などどこにもない。
 騙されていた事を知ったアーニャは、その怒りに身を任せて早口で真相をバラしてやった。
「確かに、さっきリアがアーニャに何か教えてあげていたよね?」
「じゃあ、最近アーニャがやけにリアに絡んでいたのも、リアに頼まれてやっていたって事?」
「それって自作自演ってヤツ?」
「おいおい、嘘だろ……?」
 先程、リアが自ら楽しそうに話していたのを聞いていたせいもあるのだろう。レイカを始め、教室ではアーニャが何を言っても信じてくれない者が多かったのに。それなのに今度は、その多くがアーニャの言葉に耳を傾けてくれたのだ。
「何それ、じゃあ私達もリアの策略にハメられていたの?」
「みんなまとめて騙すつもりだったんだ」
「うわ、最悪……」
 そして教室の時とは逆に、リアを非難する声の方が多くなる。
 前世ではアーニャに向けられ、自分には決して向けられる事のなかった非難の目。初めて向けられた多くのそれに、リアはゾクリと背筋を震わせた。
「ち、違う、私じゃない……嘘を吐いているのはアーニャなの、私は、アーニャに脅されて……っ、お願い、信じてっ!」
「リア」
 ふと、名を呼ばれ顔を上げる。
 そこにいたのはライアン。前世では絶対的な味方でいてくれて、何があっても自分を守り、アーニャを悪人へと仕立て上げてくれた元婚約者。
 クラスメイト達の冷たい眼差しを受けながら、リアは涙ながらにライアンへと縋り付いた。
「ライアン! ライアン助けて! 私、嘘なんか言っていない! 悪いのはアーニャなの! お願い、信じてっ!」
「リア……」
 もう一度、ライアンがその名を呼ぶ。
 そして怯えるリアに、どこか悲しそうな目を向けた。
「オレにも、前世の記憶があるんだ」
「え……?」
「だから、お前がアーニャに『シュラリア国の王家滅亡の原因を教える』と約束した時点で、どっちが嘘吐きなのかは分かるんだよ」
「あ……」
 リアの表情に絶望の色が浮かぶ。
 ライアンに前世の記憶があるだって? そんな、それじゃあライアンは、全てを知っている上で、自分よりアーニャを選ぼうというのか?
「な、何で? それならどうして私じゃないの? 何でアーニャなの? だってライアン、アーニャの事あんなに嫌いだったじゃない! 何で現世では違うの? 何で現世ではアーニャの事が好きなの? 前世では私がライアンと婚約していたのに! それなのに何で現世では私を選んでくれないのっ!」
 何でその思いは受け継がれなかったのか。受け継がれれば、また自分を好きになってくれたのに。今だってきっと自分の味方になってくれて、アーニャの言葉になんか聞く耳も持たず、アーニャが悪いと決め付けて、彼女を非難してくれていたのに! それなのに、何でっ!
「リア、一つだけ聞きたい事がある」
 泣きながら訴えて来るリアに、やはり悲しそうな目を向けながら。
 ライアンはあの日の真実を、もう一度だけリアに尋ねた。
「あの時、お前がアーニャに突き落とされたと泣いていたのも、嘘だったのか?」
「っ!」
 それは前世のあの時の事を言っているのだろう。
 あの時、自分は階段から下りて来たアーニャにわざとぶつかり、落下した。自分が彼女を陥れようとしている事など知らないアーニャは、慌てて自分に駆け寄り、悪かったと謝って来た。けれどもそんな彼女を振り切ると、彼女を陥れるために、アーニャに階段から突き落とされたとライアンに泣き付いた。当然、自分を信じてくれるライアンは、激しくアーニャを責めた。必死に否定するアーニャの言葉なんか聞き入れず、アーニャが悪いと決め付けて非難した。ショックを受けるアーニャの表情に、快感を覚えたのはよく覚えている。
 その時の自分の行動が正しかったのかを、ライアンは確認しているのだろう。正直に言えば、アーニャは何も悪くない。彼女はただぼんやりと階段を下りていただけ。全ては彼女を陥れようとした自分の自作自演だ。
 けれどもそれを言うわけにはいかない。いや、言う必要などない。だってその真実を知っているのは自分だけなのだから。本当の事を言わなかったところで、誰にもバレはしない。
「それは本当! あの時、アーニャに突き落とされたのは本当よ! ライアンに好かれている私を嫉妬して、アーニャが私を突き落として来たの! お願い、信じてっ!」
「それ『は』か……」
「なら、今回の事『は』どうなんだろうな」
「そ、それは……っ」
「すまない、リア」
 縋り付くリアの体を、ライアンはそっと引き離した。
「どちらが本当の事を言っていたのか。オレにはもう、分からないよ」
 その言葉に絶望したリアが、その場にガクリと膝を着く。
 けれども振り返る事なくリアの横を通り過ぎると、ライアンはアーニャの前でそっと立ち止まった。
「アーニャ、お前に謝りたい事があるんだ。一緒に来てくれないか?」
「何よ、謝りたい事って」
「今の事。そしてオレの犯した過ちについてだ」
「……」
 過ち。それは一体何を指すのだろう。前世で冷酷な態度を取った事なのか、階段からリアを突き落としたと信じて疑わなかった事なのか、それとも……。
「分かった」
 行こう、と促すライアンに連れられて、アーニャはクラスメイト達の輪を後にする。
 けれどもそこを立ち去る前に、輪の一番後ろにいたノアの前で、ライアンはピタリと足を止めた。
「またアーニャを泣かせたら、次は許さない」
「分かっている。協力してくれてありがとう」
「ああ」
 ノアが何の協力をしてくれたのかは分からないけれど。
 それでもライアンの言葉に頷くと、ノアはアーニャの肩をポンと叩いた。
「ノア?」
 そんな彼女に言葉を残す事はなくて。
 その場を治めるべく、ノアはクラスメイト達の中心へと歩いて行った。
「行こう、アーニャ。後はノアがやってくれる」
「う、うん……」
 残されたクラスメイト達の事が気になるが、ライアンがそう言うのなら仕方がない。
 ここはノアに任せる事にすると、アーニャはライアンに促されるままにこの場から立ち去る事にした。

しおり