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前世と現世の狭間で

アーニャが階段から落ち、病院に運ばれた翌日、クラスでは一騒動があった。その話を知ったセレナが、一目を憚らずリアに掴み掛かったのである。
「人を階段から突き落としておきながら、よくものこのこと学校に来られたものねっ!」
「止めろ、セレナ! リアに当たっても何にもならないだろう!」
「煩い! ライアンは黙ってなさいよ!」
 今にも殴り掛かりそうなセレナを止めに掛かるライアンを突き飛ばすと、セレナは怒りの眼差しをリアへと向け直した。
「喧嘩だか何だか知らないけど、やって良い事と悪い事があるんじゃないの? あんた、このままアーニャの目が覚めなかったら、絶対に許さないから!」
「違う、違うの……私が、故意に落としたわけじゃないの……」
「あ?」
「階段で揉み合いになってしまったの。そしたらアーニャが足を滑らせて落ちてしまったの……」
「はあ? 何よそれ! そんな嘘が通用するとでも思ってんの?」
「待ちなさいよ、セレナ。リアの言い分も聞くべきだわ」
 リアの言葉を嘘だと決め付けるセレナを、レイカが抑える。
 そうしてから、レイカはその優しい眼差しをリアへと向けた。
「リア、違うのなら、何が違うのか教えてもらえるかしら? 昨日、何があったの?」
「それは……」
 言うべきか言わざるべきか。それを一瞬迷ってから。
 リアは思い切ったようにして口を開いた。
「私達、些細な事が原因で喧嘩をしていたの。それで昨日も口論になっちゃって……。そしたらカッとなったアーニャに突き落とされそうになったの」
「えっ?」
「アーニャが突き落とそうとしたの?」
 リアの証言に、クラスメイト達が驚愕の声を上げる。喧嘩とはいえ、確かにアーニャはリアに酷い事ばかりを言っていたけれど……。でもまさか、そこまでやるとは思わなかった。
「私、怖くなって、必死に抵抗して……っ、そしたらアーニャが階段から落ちてしまったの……っ!」
 はっきりとそう言い切ると、リアは両手で顔を覆い、わあわあと泣き出してしまった。
「ごめんなさいっ! 私、そんなつもりはなかった……っ、でも伸ばした手はアーニャに届かなくってっ! どうしよう、セレナの言う通り、アーニャが二度と目を覚まさなかったら! 私、何て言ってアーニャに謝ったらいいの……っ!」
「リア、落ち着いて! リアは悪くないよ!」
「そうだよ、それじゃあアーニャの自業自得だろ? リアが気に病む必要はないって!」
「私がっ、私があの時大人しくアーニャに突き落とされていれば良かったの! そうすれば落ちたのは私で、アーニャが痛い思いする事なんてなかったのに! 私のせいだ! 私のせいでアーニャがっ、ううっ、うわああああん……っ!」
 声を上げて泣くリアを、レイカや他の生徒達が慰める。リアは悪くない、それは正当防衛だ、アーニャが落ちたのは自業自得だ、そう口にしながら。
「……」
 小さく溜め息を吐いてから、ノアがゆっくりと席を立つ。
 そしてゆっくりと教室から出て行こうとするノアを、セレナが呼び止めた。
「どこに行くのよ、ノア?」
「今日はサボる。勉強なんかやってらんないよ」
「あんたも、リアの話が本当だと思ってるの?」
「そう言うセレナはどうなんだよ?」
「私は……」
「オレは少し頭を冷やして来る。怒りで頭がおかしくなりそうだよ」
 その怒りは、果たして誰に対しての怒りなのか。
「ノア、お前、何か知っているのか?」
 そんなノアに、今度はライアンが声を掛ける。
 するとノアは、その冷たい眼差しをライアンへと向けた。
「さあ。あの二人が勝手にやっている事だ、オレは知らない。けど、自分が信じたモノが真実になるんじゃない? みんなそうだろ?」
 お前もそれ得意だろ、と言い残してから。ノアはさっさと教室から出て行ってしまった。
(信じたモノが真実、か……)
 確かに、前世の自分にピッタリな言葉だな、とライアンは自嘲の笑みを浮かべた。



 夢を見た。いや、思い出した。階段から落ちて頭を打ったからだろう。その記憶の欠片がポロリと、甦って来たのだ。
 それは前世と現世の狭間。つまり前世で死んでしまった彼女が、まだ霊体としてそこにいた時の事。自分の墓前に花を持ってやって来たライアンを、彼女は静かに見つめていた。
「あの世へ逝ったら、まずはお前に謝りたいと思っていたんだが。すまない、オレはお前と同じところへは逝けそうにもない」
 フッと、ライアンは悲しそうに笑う。彼女が見守る中で、彼は更に淡々と続けた。
「お前が命と引き換えに守ってくれた国だから、オレもこの国を命を懸けて守りたかった。でも、この国にそんな価値はない。お前が命を賭してまで守る必要はなかったんだ」
「オレは、みんなのようには割り切れない。アイツらの事、どうしても許せないんだ」
「きっとお前は怒るだろうな。だからお前には会えない。会わせる顔もないし、謝罪の言葉もない。いや、そもそもお前と同じところになんか逝けるわけないからな」
「ここにはもう来ないよ。オレの心はもう正気には戻れないから。こんなにも歪んでしまった心で、お前に会いに来る事なんて、もう出来ない」
 そっと花を添えてから、ライアンは見えないハズの彼女に向き直る。
 そして彼女を見つめながら、彼はやはり悲しそうな笑みを浮かべた。
「でも本当は、お前にもう一度会いたかった。そしてこの腕でお前を抱き締めたかった」
 ポツリとそう伝えてから。ライアンは最後に彼女へと、優しく微笑んだ。
「さようなら、アーニャ。国を守ってくれてありがとう」
 そう告げて立ち去って行くライアンの背中が見えなくなったところで、アーニャの意識は現世へと浮上して行った。

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