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作戦4・階段から突き落としましょう

 前世でも現世でも、彼女は異性にモテた。だから告白される事なんてしょっちゅうで、ある程度の年齢からは、常に彼氏がいる状態だった。
だけど男というのはすぐに飽きるモノ。だからどの男子とも長続きはしなくて、前世の彼女はライアンに出会うまでは、異性と付き合っては別れてを繰り返していたのだ。
 そんな彼女が現世でそれをしなかったのは、現世でも出会うだろうライアンと交際し、今度こそ結婚して幸せになりたいと思ったからだった。物心付いた頃からあった前世の記憶。前世よりも平和な時代に生まれ、周りにいる人間も前世と似たような人物ばかりだと知った彼女は、現世でもライアンと出会えると確信した。そして彼と結ばれるため、前世のような異性交遊は止め、好意を伝えられてもきっぱりと断って来た。
 そして傭兵育成専門学校に編入した時、予想通りライアンと再会した。正直に言うと、前世でライアンに告白された時、彼女は彼の事など好きではなかったし、嬉しくもなかった。好きだと告白されるのなんていつもの事だったから、「またか」と呆れただけだった。
 けれどもライアンは女子に人気があった。確かに顔もいいし、背も高い。成績もそこそこ良いみたいだし、剣術や体術の腕も上位にあり、それなりに強い。彼と付き合えば、女生徒は自分を羨むだろう。羨望や嫉妬の目を向けられるのは気分がいい。当時、転入したばかりで恋人のいなかった彼女は、とりあえずライアンと付き合ってやろうと、彼の告白を受けることにしたのだ。
 そしてこの選択は、リアにとって当たりだった。ライアンが隣にいる事で、面倒な男達の告白を受ける事はなくなったし、女生徒達は期待通りに自分を羨んだ。「ライアンが彼氏だなんて羨ましいな」とか、「どうやったらあんないい男と付き合えるの?」など、羨んで来る女子達を高見から見下ろすのは気分が良かった。
 特にライアンを利用して、大嫌いなアーニャを虐めるのは楽しかった。自分のような高値の花を恋人に選んだにもかかわらず、ライアンはいつもアーニャを見ていた。ライアンはアーニャを嫌いだと言っていたが、ライアンがアーニャに抱く感情が、『嫌い』ではなく『羨望』である事に彼女は気が付いていた。だからライアンのそれが『妬み』に傾いている事、そしてアーニャがライアンに『好意』を抱いている事を利用して、アーニャを痛めつけた。許せなかったのだ、恋人である自分を差し置いて、ライアンの気を引いているアーニャが。だからライアンがアーニャに向ける本当の感情に気付く前に、それを叩き潰したのだ。
 ライアンを操るのは然程難しい事ではなかった。気弱な女子を演じている自分と、気の強いアーニャの性格の差もあったからだろう。自分が泣き付けば、ライアンは思い通りに動いてくれた。自分が正しい時も正しくない時も、ただ泣き付くだけでライアンは怒りを露わにし、完膚なきまでにアーニャを叩きのめしてくれた。好きな人に非難され、苦しんでいるアーニャは見ていて楽しかった。
 しかしそうこうしているうちに、自分は本当にライアンに好意を抱くようになった。だからライアンからプロポーズをされた時、彼と結婚する事を決めたのである。
 それなのに……。
(私は死んだ。シュラリア国が平和になるその直前で死んだんだ)
 アーニャが精鋭部隊の一員として、見事に散った事を知った時は、さすがに敬意を表した。そして彼女らの死を無駄にしない事、必ずやピートヴァール国を攻め落とし、二度とシュラリア国の平和を脅かせない事を誓い、仲間達とともにピートヴァール国に攻め入った。
 しかしそのピートヴァール戦の最中、リアは敵の撃った銃弾に当たって戦死してしまったのだ。勝利を目前にしていた時の出来事であった。
(私はこれから、幸せになれるハズだったのに……っ!)
 無念にも命を落としてしまった前世。けれども現世でまたそのチャンスを得た。前世に似ているけれど少し違う、前世よりも平和な世界となった未来のこの世界で、再びライアンと巡り会う事が出来たのだ。だから今度こそライアンと結ばれ、幸せになれると、そう思った。
 それなのに……。
(現世でのライアンは、既にアーニャに好意を持っていた)
 前世では『嫌い』に傾いていたライアンの『羨望』。しかし現世では、ライアンのその気持ちは『尊敬』を越えて、『好意』に傾いていた。現世ではアーニャがライアンを嫌っている事も、ライアンに前世の記憶がない事も関係ない。自分という立派な婚約者がいたにも関わらず、彼が自分よりもアーニャを好きになっている事自体が気に入らなかったのだ。
(何で? だってどう見ても私の方が可愛いし、いい子じゃない。何であの女の方を選ぶのか意味が分からない!)
 接触すれば何か変わるかと思ったけれど、それも上手くいかなかった。勉強を教えて欲しいと頼んでも、自分よりもアーニャを優先した。アーニャに悪口を言われたと泣き付いても、それを利用してアーニャを部屋に誘おうとする始末。仕方がないからアーニャが自分を虐めていると噂を流してみたが、そんな証拠はなかったために、それもほとんど効果を成さなかった。前世ではいつでも自分を優先してくれて、望めばすぐにアーニャを糾弾してくれていたのに。その思い通りにいかない現世が、余計にリアを苛立たせていた。
 しかしそんな時だった。アーニャにも前世の記憶があるんじゃないかと気が付いたのは。そして彼女がシュラリア国が滅亡した原因を調べているという情報を手に入れたのは。
 だからリアはそれを利用する事にした。アーニャの求める情報を餌にして彼女を操り、それを利用してライアンの好意を手に入れる事にしたのだ。
 いくらアーニャが好きなライアンでも、彼女が酷い女だと分かれば、その好意は消えてなくなるハズ。そうすれば彼はもう一度自分を好きになってくれるだろう。だからアーニャが自分を虐めてくれさえすれば、ライアンを手に入れる事が出来る。そう思っていたのだ。
 それなのに……。
「何なの、あのお弁当。汚いにも程があるよ!」
「だから私ちゃんと言ったじゃない、私あんまり料理上手じゃないって。それなのに私が持って来た大きい弁当箱見て、あんたがさっきの作戦やろうって言って来たんでしょ? それが失敗したとしても、私は悪くないわよ」
 何故だろうか。結局はそれも上手くはいかなかった。
「ルーカスもルーカスよ。私の事卑怯者呼ばわりしたり、お弁当の時も邪魔しに来たり! アーニャ、まさかあなた、ルーカスに助けを求めてるんじゃないでしょうね?」
「そんな事してないよ」
「嘘! じゃあどうしてベストタイミングでいつもアイツがやって来るのよ!」
「知らないよ。でも嘘だと思うんなら、ルーカスに直接聞けばいいじゃない。アイツ、嘘は吐けないタイプだから、聞けば私は嘘なんか吐いてないって、すぐに分かると思うわよ」
「……」
 確かにそれには納得だ。ルーカスの事をよく知っているわけではないが、彼は嘘が吐けないタイプの人間だ。吐いたとしてもすぐに顔に出る。何故かは知らないが、ルーカスがベストタイミングでやって来るのは、偶然であると納得出来た。
「まあ、いいや。それよりもいい事思い付いたの。回りくどいやり方はもうやめて、これで一発で嫌われてよ」
「何よ、そのいい事って? 雑巾水でも頭からぶっ掛けてやればいいの?」
「あれ? 意外と手緩い事考えるんだね。そうじゃないよ」
 放課後、アーニャを屋上へと続く階段へと呼び出したリア。そこで思い付いた名案に、リアはニッコリと微笑んだ。
「ここから私を突き落としてよ」
「は?」
 その名案に、アーニャは一瞬キョトンと目を丸くする。
 そしてその意味を理解したのか、そんな事出来るわけないと表情を歪めた。
「あんた何言ってんの? そんな事出来るわけないじゃない」
「どうして? だって落ちるのは、アーニャじゃなくって私だよ。怪我をするのはアーニャじゃなくって私なんだから、別にいいじゃない」
「そういう問題じゃないわよ。いくら何でも誰かが怪我をする作戦は嫌よ。それはやりすぎだわ」
「そんな事ないよ。あのね、ライアンに話があるから屋上に来てねって伝えてあるの。だからライアンが来たタイミングでアーニャが私を落としてくれれば、ライアンは一発であなたの事を嫌いになる。そうすれば回りくどい事なんかもうしなくていいし。ね、いい案でしょ? これでいこうよ」
「あんた、階段から落ちたらどうなるか分かってんの? 運が良ければ打ち身で済むだろうけど、下手をすれば死ぬのよ。それで例えライアンの好意を手に入れられたとしても、死んだら意味がないわ」
「大丈夫だよ、だって前世では怪我しなかったじゃない。だから今回も大丈夫だよ」
「前世は軽くぶつかっただけだったからでしょ。今回突き落としたらどうなるか分からないわ」
「じゃあ、突き落とすふりだけでいいよ。後は私が落とされたふりするから。そうすれば私は上手に落ちれるよ。だから大丈夫」
「……」
 アーニャはやりたくないと拒むが、リアとてそこで引くわけにはいかない。リアの目的を果たすためには、これが一番確実で、一番手っ取り早いのだから。アーニャがライアンの目の前でリアを突き落とす。そうすればライアンはアーニャに幻滅するだろうし、その噂が広まれば、アーニャを見る周囲の目も変わるだろう。そうなればライアンはきっと二度とアーニャを好きになる事はない。前世と同じようにライアンと結ばれるのは自分。そしてこの平和な世界で、今度こそ前世では掴めなかった幸せを掴むのだ。
「私は、どうしてもライアンと恋仲になりたいの。そして今度こそ幸せな未来に行きたいの。そのためなら何だってやるわ。ちょっと怪我をする事くらい、どうって事ない」
「……」
「だからやってよ、アーニャ。ライアンの目の前で、私を突き落として」
「……」
 じっと真っ直ぐに見つめて来るリアの瞳を、アーニャもまた真っ直ぐに見つめ返す。
 その瞳の奥に見えるのは固い決意。ライアンの心を手に入れたいという危険な覚悟。おそらくそれは、アーニャがどんなに反対したところで揺らぐ事はないのだろう。アーニャがリアを突き落とすまで、彼女はきっと譲らない。説得は無駄だろう。
「……分かった」
 そう判断したところで、アーニャは諦めたように溜め息を吐く。
 そうしてから、アーニャは改めてリアへと真っ直ぐに視線を向けた。
「じゃあ、もういい」
「え?」
 予想外の答えに、リアはパチパチと目を瞬かせる。そんな彼女に、アーニャは更に言葉を続けた。
「あんたには怪我をする覚悟があるのかもしれないけど、私には他人に怪我を負わせる覚悟なんかない。そこまでしなくちゃいけないのなら、私はこれ以上の協力は出来ない。今回の話はなかった事にしてちょうだい」
 そう告げると、アーニャはクルリと踵を返す。
 しかしそのまま立ち去ろうとするアーニャを、リアは諦める事なく呼び止めた。
「ちょっと待ってよ! じゃあ、アーニャはいらないの? シュラリア国が滅亡したその理由! 私達、利害関係が一致しているから協力しているんだよね? 私を突き落としてくれれば、アーニャが調べようとしているその原因がすぐに分かるんだよ? アーニャが命を落としてまで守ろうとしたシュラリア国、その国が滅亡した原因が知りたいんでしょ? それならさっさと私を突き落としてよ!」
「いらないわ」
「え?」
 はっきりとそう言い切ってから、アーニャはもう一度リアを振り返る。
 ポカンと目を丸くするリアに、アーニャは呆れた眼差しを向けた。
「あんたの悪口ぐらいなら、いくらでも言ってあげる。それでライアンに嫌われて、あんたがシュラリ国滅亡の原因を教えてくれるのなら、別に構わない。でも、いくら何でもあんたに怪我をさせてまでそれが欲しいとは思わない。だからそうしなければ教えてもらえないのなら、そんな情報いらないわ。それだったら将来は学者になって、その原因を地道に解明していくから別にいい」
 説得が無理ならば、その話に乗らなければいいだけの事。それによって情報を手に入れる事は出来なくなるけれど。でも例え嫌いな相手とはいえ、他人に怪我を負わせてまで手に入れる程価値のある情報でもない。ならばここは、そんな情報などすっぱりと諦めるべきだ。
 自分の意志をはっきりと告げると、アーニャは今度こそその場から立ち去ろうとした。
「待ってよ!」
「っ!」
 しかし、そんなアーニャの腕を掴む事によって、リアは彼女を引き止める。諦めきれないのはリアも同じ事。だってここでアーニャを行かせてしまえば、全てはふりだしに戻ってしまうのだから。
 だからここでアーニャを行かせるわけにはいかない。アーニャには何としてでも、このまま協力してもらわなければならないのだから。
「ねえ、何でダメなの? だってアーニャは痛くも痒くもないんだよ? それなのにやりたくないなんて納得出来ない!」
「やりたくないものはやりたくないの! だから嫌! 放してよ!」
「嫌! あなたがライアンに嫌われるまで絶対に放さない!」
「私は別にライアンに好かれようなんて思ってないわよ! 好きなら好きで、もっとグイグイ迫ればいいじゃない! 私は邪魔しないから勝手にやりなさいよ!」
「そんなはしたない事、私、出来ない!」
「自分を突き落としてくれって喚くよりも、はしたなくないわよ!」
 むしろ、恋愛成就のために自分を虐めてくれ、と頼む方がどうかと思う。
「あっ、もしかしてアーニャ、協力しないとか邪魔しないとか言って、恋愛成就のために私を虐めてくれって私があなたに頼んでいた事、ライアンやクラスのみんなに言うつもりなんでしょう? そんなの卑怯だわ!」
「言わないわよ、そんな事! 面倒臭い!」
「嘘! 信用出来ない!」
「絶対言わない! もし言ったら、今度はライアンの目の前で突き落としてやるって約束するから! だから放してよ!」
「やだ! それなら今落としてよ!」
「ああ、もう! だから嫌だって言ってるじゃないのよッ!」
 言っても聞かないリアに苛立ったアーニャは、その怒りに身を任せて、力一杯リアの腕を振り払う。
 しかし、思いっ切りリアを振り払ったその瞬間だった。
 グラリと、アーニャの体が傾いたのは。
「え……?」
「あ……」
 階段で揉めていたせいだろう。リアの腕を振り払った時に、階段を踏み外してしまったらしい。しまったと思った時には既に遅く、アーニャの体は宙を舞っていた。
「きゃああああっ!」
 思わず伸ばした手は虚空を掴み、アーニャの体が下へと落ちて行く。
 その体が階段の下へと叩き付けられた時、リアもまた、慌ててアーニャへと駆け寄って行った。
「アーニャ!」
「リア? 今の悲鳴は……」
 と、その時、リアに呼び出されていたライアンがその場に姿を現す。
 今の悲鳴は何だと眉を顰めるライアンであったが、彼はその場に横たわる人物に気が付くと、瞬く間に表情を青ざめさせた。
「アーニャッ!」
 思わずアーニャに駆け寄り、乱暴にその体を抱き起す。名前を呼んでみたが、彼女は目を閉じたまま、何も反応する事はなかった。
「ち、違う……私じゃない、私がやったんじゃない、アーニャが勝手に……っ!」
「アーニャ! アーニャ……ッ!」
 震えるリアが何かを言っているが、そんな事聞こえるわけがなくて。
「アーニャ! おい、起きろ、アーニャ!」
 気が狂ったように、彼女の名を叫び続ける彼の悲鳴。
 そんな彼の脳裏に、前世の出来事が甦る。
『我が親愛なる王国騎士の諸君。今日はキミ達に伝えなければならない事がある』
『ピートヴァール国が秘密裏に制作していた兵器、インフェルノ。それを破壊しなければ、我が国に未来はなかったのだ』
『精鋭部隊はみな、国を守るために死んだ。私がそうしてくれと、命令を下したのだ』
(嫌だ、またアーニャを失う事になるなんて……っ!)
 その前世の記憶を振り払うように、ライアンは彼女の名を叫び続ける。
 騒ぎを聞き付けた他の生徒達が集まって来るまで、彼の悲鳴が鳴り止む事はなかった。

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