111 侍女長の歓喜
「長くカーヴィアルに
「ええと…まあ…そんな、ところかと……」
身体を拭き始めながら、世間話で友好を深めようとしてくれているリーアムに、全てを説明出来ないまでも、キャロルも曖昧に頷いておく。
カーヴィアルにおける、ルフトヴェーク大使館職員
もしかすると、エーレが何か、それに近い話をリーアムにしたのかも知れない。
「
「えっ…いやそんな、私はそんなに大層な人間じゃ――」
「エーレ様が、これほどまでに
「リヒャルト様?…ああ、エイダル公爵……」
一瞬、ピンと来なかったが、そう言えば、公爵邸の使用人達は皆、エイダルの事をそう呼んでいたなと、キャロルも思い出した。
「私は本職ではございませんので、簡易的にしか包帯は巻けませんが、よろしゅうございますか?宮殿付の侍医をお呼びしましょうか?」
公爵邸を出る前に巻いてあった包帯は、昨夜
ある程度はエーレから聞いていたとは言え、それがリーアムの想像を超えていたため、侍医を呼んだ方が良いのかと、思わず焦っていたのだが、当のキャロルはやんわりと、首を横に振った。
「これでも、痛みはもうほとんどないから…今は簡易的に巻いて貰って大丈夫。この後、式典用のドレスのサイズ確認もあるし、どのみち崩れると思うので……」
むしろ、この
やせ我慢をしたとしても、その方がよっぽどマシだとの言葉は、さすがに胸にしまっておく。
「キャロル様がそうおっしゃるのであれば、従わせていただきますが……侍医はすぐに呼べますので、何かありましたら、いつでもおっしゃって下さいませ」
心配そうな表情のまま、そう言ったリーアムは、キャロルに白麻製の
「これでしたら、動きやすく、そのお傷にもそれほど響きませんでしょう?少し丈が足りないかも知れませんが、公式の場に出る訳ではございませんし、問題ないかと存じます。髪は…今は緩く部分編みだけさせて頂きます」
「そうだね。ありがとう、リーアム。あっ、でも、髪飾りだけは、あの、サイドテーブルの上の物をお願い。大切な――髪飾りだから」
使い込まれてはいるが、キャロルの口調や表情から、その贈り主が誰かと言う事は、察したらしい。リーアムは僅かに口元を緩めながら、頷いた。
支度が終わったキャロルが、ややフラつきながらも、寝室から私室の方に移動をすると、エーレがギョッとして、手元から書類を落とした。
「エーレ様、このくらいで驚かれていては、式典の際、どうなさるおつもりです」
「……欠席させようか」
はい?と声を上げたのはキャロルで、リーアムは、呆れた視線をエーレに向けた。
「皆さんに、自慢されたいんじゃなかったのですか」
「自慢はしたいが、余計な虫が寄って来るのは、困る」
「なら、閉じ込めてしまわれる前に、ご自身を高める努力をなさって、
さすが小さい頃からエーレを見てきていると言うだけあって、どうやら、リーアムは、エーレにとって、気の置けない会話が成り立たせられる内の一人であるようだった。
「相変わらずリーアムは、手厳しい」
エーレも、困ったように
「とりあえず、彼女と2人で、ここの書類をある程度片付けてから、朝食は貰うよ。フルコースの必要性はないから、手短に食べられる、パンとチーズとハムくらいを置いておいくれれば良いから」
「エーレ様は…それで宜しいかも知れませんが……」
「あ…私の事ならお構いなく。むしろ、朝からフルコースの方が、ドン引くので…」
エーレと同じように
だが、2人で取りかかると言っていた書類仕事において、てっきり実務に関係のない、周りの事を手伝っているのかと思いきや、温かくした紅茶を部屋に運んだ際、キャロルは普通に応接机の前で、エーレと同じ書類を読み、最小限の確認で、次々に書類の山を処理していた。
「エーレ、この、シザーリって言う人のニーソン伯爵領に関する報告書は、式典の後で精査した方が良いと思う。この人が書いてる通り、何もないのがおかしいと、私も思うな。この数字は、明らかに出来過ぎだよ」
「シザーリ……ミュールディヒ侯爵領の傘下貴族を内偵している監察官か。分かった。じゃあそれは、こちらの山に置いて」
「あと、単純な計算間違いに関しては、こっちで修正してしまっても?」
「構わない。任せるよ」
エーレがただ、キャロルを側に置いておきたい訳ではないのだと、美貌ではない部分を、あらゆる周囲に見せつけているのだと、リーアムには分かった。
恐らく、キャロルの方には、そんな意図はない。むしろエーレが、キャロル以外目を向けるつもりがない事を、周知させたがっている。
宮殿の使用人達の実家に話が伝わる事を、既に前提として、並の令嬢では、幾重もの意味で太刀打ち出来ないと、側室狙いの家に釘を刺そうとしているのだろう。
書類処理の目処を立たせて、2人が朝食をとり始めた頃には、既に宮殿の正門が、毎朝開かれる時間の直前になっていた。