109 五年越しの求婚
「わ、綺麗……ブレスレット?」
正方形に近い形をしつつ、カット自体は複雑に施されている、親指の爪ほどの黒色の宝石が、まず目に飛び込んできた。
4つ付いているそれは、黒琥珀――と、前にルスランに教わったように思う。
その間に、かなり小ぶりな、澄みきった海の様な透明な青い宝石が置かれて、金の細いスクリューチェーンが、それを繋いでいる。
後で聞くと、小さい方はブルートルマリンと言う、かなり希少な石であるらしかった。
使われている石は同じだが、二つの箱の中身は、サイズが異なっている。男性用と、女性用――で、良いのだろうか。
「俺と、君の瞳の色をベースにして、作って貰ったんだ。ネックレスと少し迷ったけど……ネックレスは、服の中に隠れてしまう事も多いからね。お互いが唯一の存在だ、って言う主張がしづらい」
「唯一……」
もしや、と戸惑うキャロルの前に、片膝をついて
「本当は、
「エーレ……」
「実を言うとこれもね、先に渡せなかったなら、即位式典の後のパーティーで、時間を作って……とか、代案を考えてはいたんだ。だけどさっき、レアール侯が大叔父上と口論した挙げ句に、君を連れて明日にでも侯爵領に戻るとか言い出しただろう? 俺はもう、君を二度と離したくないと、思っているのに。君が戸惑っているのは分かってたんだけど……好き勝手言っている大人二人の方に腹が立ったと言うか……もし結婚の申し込みに夢とかがあったんだったら、ごめん。八つ当たりは、レアール侯にしてくれるかな」
困ったように笑うエーレに、思わずキャロルも笑ってしまったが、そんな状況じゃない事に思い至って、すぐさま笑いを収めた。
「――本当に、私で良い?」
エーレの答えに迷いはなかった。
「君がいい。俺には君しかいない」
この世界、婚約〝指輪〟の習慣はないが、婚約の証に、
エーレは迷いなく、キャロル『が』良いと言った。
(もう逃げられないと思いますから、大人しく捕まって下さい)
キャロルの脳裏に、
「……はい。その、よろしく……お願いします……」
人生で初めてのプロポーズに、どう返して良いのか分からず、かなりぎこちなくなっていた感は否めない。
うっかり疑問形で頷かなかっただけ、ギリギリの及第点と言えたかも知れない。
それでも、そっとブレスレットを箱ごと受け取ったキャロルに、エーレは破顔した。
「……こちらこそ」
箱の中のブレスレットを取り出したエーレは、空になった箱を机に戻すと、ブレスレットはキャロルの左腕に留めた。
そうして今度はもう一つの箱から取り出したブレスレットを、キャロルへと差し出す。
「俺にも、付けてくれるかな?」
「あっ……う、うん」
少し手が震えていて、何度か留め具に掛けそびれたものの、何とかエーレの右手に、ブレスレットを留める。
「キャロル……」
その右手で、キャロルの、ブレスレットの付いた左手を持ち上げたエーレは、キャロルの手の甲にそっと口づけると、そのままギュッと、指と指を絡ませて、上から握り込んだ。
「エーレ……」
「……このまま、隣の部屋に行っても?」
ビクッとキャロルの身体が震えたのは、
キャロルは今更ながらに、エーレがキャロルを宮殿に泊めると言った事に、どうしてデューイがあれほど動揺したのかを、理解したのだ。
むしろ動揺しない親など、いる訳がない。
「分かってる。普通なら、結婚してからだって言われたら、その通りだと思う。だけどレアール侯に……侯爵領に引き上げるとだけは、言わせたくない。俺はもう、手の届かないところに君を行かせたくない。
キャロルの手を握り締めたまま、立ち上がったエーレは、キャロルをソファから立たせるように、自分の方へと強く引っ張り上げた。
左手をキャロルの腰に回して、右手でキャロルの髪を
「ん……っ」
キャロルの両手が、エーレの胸元の服を握り締めたが、びくともしない。
呼吸の仕方さえ忘れるような、激しい口づけが降り注いで、キャロルの両足から、力が抜けた。
「ふ……あ……」
崩れ落ちた拍子にようやく声が漏れたが、それはむしろ、吐息と言って良い、熱のこもった
とっさに支えたエーレをも、冷静でいられなくさせる程に。
「ごめん……っ」
我慢出来ない――そう、キャロルの耳元で小さく囁いたエーレは、キャロルの腰に回していた手を膝の裏までスライドさせると、自分の方へ抱え込むようにして、ぐったりとなっていたキャロルを抱き上げた。
「‼」
もはや、拒否の言葉は聞く気がないとばかりに、奥の寝室へと大股に歩くと、キャロルを抱えていない方の手で、扉を開ける。
普段は、執務室のソファに昏倒する事も多く、ロクに眠りにも来ない寝室だが、いつでも使えるように整えられているのは、使用人達の、仕事への誇りが為せる技だ。
エーレ、と、名前を呼ぼうとした唇さえも塞いで、エーレは深く長い口づけを繰り返しながら、キャロルの着ていた服を、全て脱がせた。
お酒も飲んでいない筈なのに、思うように息が出来ないせいか、キャロルはため息のような呼吸を繰り返すばかりで、身体にも力が入らなかった。
時折、エーレの熱い吐息も、耳にかかっている。
そうか、吐息が絡むって、こう言う事なのか――と、いつかの
「あっ……⁉」
エーレがいつ、自分の服を脱いでいたのかは、分からない。
ただ熱情と、今までに感じた事のない感覚が身体を駆け抜けて、自分でも止められない声が唇から零れ落ちた。
それでもエーレは、むしろ「もっと聞かせて?」と、耳元で嬉しそうに囁くばかりで、身体を離すどころか「まだだ」と、抱きしめる手さえも
「ずっとこうしたかったんだ。……まだだ。五年待った。まだ――足りない」
キャロルはその夜「本気で抱く」と言う事の意味と「抱き潰す」と言う事の意味を、身を持って知ったと言っても良かった。
――愛してるよ、と、何度も囁かれた記憶と共に。