105 泥も汚名も
ホットチョコレートと、おまけの焼き菓子を有難く頂いていると、さほど間を置かずに、デューイが中へと入って来た。
「…もう少し後にした方が良いか?」
ダイニングテーブルのホットチョコレートと焼き菓子に気付いて、僅かに眉を
「大丈夫です、お父様。何でも聞いて下さい。私に分かる範囲で良ければ、ですけど」
「いや、この邸宅内での事は、ヘクターやランセットからも聞いているから、良い。私が聞いておきたいのは、外での――ユリウス殿下に関する事だけだ」
馬車自体は、どうやらミュールディヒ侯爵家の物だったらしい。
書類の件と併せても、フェアラート公爵家、ルッセ公爵家、ミュールディヒ侯爵家を連座で裁く事は、確定事項になるだろうと、デューイは言った。
「キャロル。その…私が聞きたいのは、ユリウス殿下を手にかけたのは、エーレ殿下で…間違いはない…のか?と、言う事なんだが……」
デューイの言葉に、コップを両手で握りしめていた、キャロルの手がピクリと動いた。
「私を…助けてくれようとしただけ…なんです。決して玉座に就くための悪意があったとか…そう言う…事じゃ……」
「キャロル」
「その事で何か
「…公爵なら、エーレ殿下を生かすために、おまえに皇族殺しの汚名を甘受させるかも知れない。私にそれを、指を加えて見ていろ、と?」
僅かに顔色が変わったのは、気が利きすぎる娘を、デューイなりに気遣っての事だろう。
これが部下なら称賛こそすれ、実の娘となると
お父様…と、キャロルもほろ苦く
「彼を生かす事がその理由なら、私は受け入れます。私は…彼が、
何よりも、誰よりも大事だと――ただ一人、自分の隣の席を明け渡した人だから。
「……っ」
キャロルの、その微笑を目にした瞬間、ブチっと、デューイの中で、何かがキレたようだった。
クルリとその身を翻すと、半開きになっていた入口の扉を、貴族らしからぬ所作で、勢いよく蹴り飛ばす。
「お父様っ⁉」
「――まだ」
キャロルも聞いた事がない程、それは低く、怒りに満ちた声だった。
「まだこれ以上を娘に言わせるつもりなら、娘の意思とは関係なく、我々は明日にでも侯爵領に引き揚げさせて貰う。まあ、その方が
「―――」
どうやらエイダルは、エーレとキャロル、別々に話を聞く事で、証言におかしなところはないか、ただ、確かめようとしていただけだったのようだった。
だがキャロルの方から、さすがにそこまでするつもりはなかった、最も冷酷な解決策の一つを自ら提示されて、恐らく人生で初めて、言葉を失って、そこに立ちすくんでいた。
デューイの怒りではなく、キャロルの覚悟に、絶句させられたのだ。
顔色を失って、隣に立つ
現時点で、最も真っ当な皇族が誰かと聞けば、十人中十人ともが、エーレを指す――と言うくらいに、文句のつけようがない、次期皇位継承者だからだ。
間違いなく
結果的にそれが次代を安定させるのであれば、
むしろエイダル自身が、エーレに次代を継がせる為の
色々と不甲斐ない今代のツケを、次代に持ち越す訳にはいかないと思っていたからだ。
――だが。
目の前に、同じ考え方が出来る人間がいた。
絶対に失ってはならないものを理解して、そのための、自分自身の泥は
「娘。エーレの為ならば、泥も汚名も
「エイダル公爵!」「
だがエイダルはそれを無視するように、中へ足を踏み入れると、正面からキャロルを視線で射抜いた。
「――ええ、言いました」
顔色を変える、エーレとデューイをよそに、キャロルは
「私が持つ〝
「大叔父上!ふざけないで下さい!俺はそんな事を彼女にさせるつもりは――」
声を荒げて、キャロルに歩み寄るエイダルの腕を掴んだエーレだったが、片手を上げて二人を制したのは、他でもない、キャロルだった。
「公爵閣下。私には――ただ黙って、綺麗なドレスを着て、彼の隣に立つ事は、多分無理です」
「キャロル!」
愕然とした視線を向けるエーレに、ゆっくりと首を振って、再びエイダルを見やる。
「私は強欲なので……彼の隣に立ちたいし、彼と同じ道を歩きたいんです。その為に、この手を血で染めろとおっしゃるなら…それはむしろ、望むところです。お願いすれば、全て引き継いで下さいますか?」
「―――」
「馬鹿か!エーレ殿下でなくとも、私が許すか、キャロル‼」
エイダルが答える前に、声を荒げたのは、デューイだった。
「おまえは、今のままでも充分に侯爵位が継げる!侯爵位とて、お人好しでは務まりもしないが、私が生きている間なら、少なくとも、流れる血の半分は引き受けてやれる!皇家の裏で流れる血は、侯爵家などとは、比較にもならん!それを――」
「だからです、お父様」
レアール侯爵の後継者になれると、断言してくれた事もそうだが、何より自分を心配して、怒鳴ってくれる
「比較にならないからこそ、です。ユリウス皇子が亡くなった時に…玉座がどれほどの孤独の上にあるのか、見えてしまった。無理ですよ…そんなの見たら。とても、引き返せません」
「……
何の申し込みかは、お互いに確認する必要もない。
「お願い…出来ますか、お父様」
唇を噛みしめ、拳も握り締めているデューイを、宥めようとした訳でもないだろうが、深呼吸にも似た、大きな息を吐き出したのは、エイダルだった。
「……レアールの
は?と柳眉を逆立てたデューイに、エイダルが呆れ半分の視線を向けた。
「公爵を公爵とも思わぬ、その慇懃無礼さに、自分が決めた事は意地でも覆そうとしないところなど、似すぎて笑いしか出てこないくらいだ」
「…私も…ですか…?」
「敬語であれば良いと言う話でもないからな。私を
「………」
キャロルが、やや不本意に思ったのが
エイダルがそれを、愉快とばかりに見ていた。